#224 人生、遊びも大切だ
「お前って、真面目だよな」
と、ある日親友に言われたことがある。
それはかつての自分があまりに不真面目に生きていたから、その反動というのもあるかもしれない。
真面目。
一見すると、好印象に感じる言葉である。
だけど最近、僕は真面目であるがゆえに苦しみを感じることもあった。
真面目も過ぎれば息が詰まる
真面目とは
1 うそやいいかげんなところがなく、真剣であること。本気であること。また、そのさま。
2 真心のあること。誠実であること。また、そのさま。
図書館の仕事やnoteの執筆、創作活動に読書に筋トレ――。
僕の生活を形成する行動に対して、僕は一つ一つ真剣だし、本気で取り組んでいるという自負はある。
一方で、そんな真面目な生活に息が詰まる瞬間もある。
執筆や読書は、本来自分がやりたいからやっていることにもかかわらず、息が詰まり始めると「やらねばならない」というマスト思考に転じる。
記事を書かなきゃ。
積読もあるし、本を読まなきゃ。
筋トレしなきゃ。
こういう考え方になりがちなのは、真面目なことのデメリットだと思う。
真面目も過ぎてしまえば、自分を苦しめる要因になってしまう。
結果的にあらゆることに対してモチベーションが下がってしまったのだ。
遊びが足りないことに気が付いた
モチベーションを上げるというのはかなり難しいことだと思っている。
「~しなきゃ」と考えているうちは少なくともやる気なんて出ない。
どうすればやる気が出てくるのだろう。
次第に落ち込み始めた僕はふとスマホを開くと、あるニュースが飛び込んできた。
それは、Nintendo Switch 2の発売を知らせるものだった。
僕はかつては任天堂のゲームが大好きで、ポケモンやMOTHERをはじめ、マリオやカービィ、あらゆるゲームをプレイしたものだ。
どこか懐かしさを覚えながら、任天堂のホームページを見ていると、もう何度も目にしてきたのに、なぜか心に強く残った言葉があった。
それが、「あそぶ」という言葉だった。
あ、これだ。
今の僕に足りないものを見つけたという確信があった。
最近の僕には、遊びが足りない……!
「よく学びよく遊べ」こそよき人生の秘訣
もちろん全く遊んでいないというわけではないけれど、以前よりは確実に遊ぶ時間が少なくなっていたことに気が付いた。
やりたいゲームは山ほどあるけれど「時間がない」と言い訳をしてやらなくなってしまった。
一人で出かけようにも、あまりお金を使いたくないからとあえて出かけることもしていなかった。
友達と遊ぶことは多少あれど頻度は少なくなったし、一人で遊ぶ時間はここ最近、皆無に等しかった。
思えば常に我慢しっぱなしな毎日を送っていた気がする。
「よく学びよく遊べ」とはアメリカのことわざである。
図書館の仕事や記事執筆、読書などは、僕にとっては「学び」なのだ。
おかげ様でたくさん学ぶことができている。
だが学び一辺倒で、「遊び」を疎かにしていたのである。
どうせ真面目なのならば、「遊び」に対しても真面目でいよう。
そう思い、今後の休日の遊びプランを立てることに今日は時間を費やした。
それだけでも、最近忘れていたワクワクを思い出させてくれたのだった。
生きづらいときこそ遊んでみる
生きづらさを感じやすい人には、真面目な人が多い気がする。
生きていること、今抱えている悩みに真摯に、真面目に向き合っているからこそ生きづらさを感じてしまっている部分もあるのだと思う。
だが、生きづらいときこそ遊んでみるのもいいのかもしれない。
現実逃避ということになるかもしれないが、時には生きづらい現実から逃げることだって大切なことだと思う。
少し遊んでいるうちに、生きづらさが解消されることもあるだろう。
もっと言えば、「生きること=遊び」くらいに考えておいた方がいいのかもしれない。
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