黒猫が教えてくれた一歩 | 短編小説
こちらは、RaMの創作ストーリーです。
本日の🍀nanohanacafe🍀のお客さまは、仕事に、日常に、大忙しそうな女性です。
フィクションのなんのはなしですか短編小説ですので、あまり重くならずに、お読みください。
黒猫が教えてくれた一歩
周りも何かとざわつく春。
ただ、歩いているだけでも、新入園、新入学、就職、異動…。いろいろな変化の種がしっかり芽を出して、まるで、わたしにまで新しい変化を喜べと言わんばかりの猛アピールをしてくるようだ。
この季節は、どうやっても、変化がつきもの。
飛び交う話の規模が、自分の脳内キャパをはるかに超えていて、適切に情報を処理できずにいる。
ただでさえも、自分の生活だけで精一杯なのに、これ以上どうしろって言うんだ…。
この不安な感情を、同居している彼にぶつけてしまう自分にも不甲斐なさを感じ始めていた。春特有のムズムズ感も相まって、絶不調以外の言葉は見つからない。

ひと通り、今日の仕事の最優先タスクを終えたわたしは、公園のベンチに腰を掛けた。
ふう…とひと呼吸。時刻は、14時を回ろうとしている。今日は、夜にどうしても受講したい研修があり、午後は休暇をもらっていた。
このあと帰宅して、研修前の準備をしなくてはならないが、どうもやる気が出てこず、この場所からも動けそうにない。
少しだけ休んでいると、ようやく呼吸している実感がもててきた。そのままボーッとしていると、体の不調に気づく。
朝7時に家を出てから、何も飲まず食べずで過ごしていたことを思い出した。慌ててかばんの中に仕込んでいたお水を一口含んだ。視界がはっきりしてくる。体内の水分が、すっかり枯渇していたみたい。

視界が少しずつ明るくなってきた頃、足元に一匹の黒猫がいるのが見えた。
撫でようとしても逃げることなく、むしろ撫でて欲しい様子だった。
『キミが食べられるものは、何も持ってないよ〜。わたしがご飯を食べることだって、忘れちゃうくらいなんだからさ。』
目の前にいる黒猫に話しかけたとしても、もちろん返答が来るはずもない。相変わらずの自虐具合に、話しながら、苦笑してしまった。
その言葉を聞いていたのかは分からないが、黒猫が歩き始めた。
5歩進むたびに、こちらを振り返って見てくる。
黒猫が「わたしに、ついてきて欲しいのよ」と訴えているように感じた。
この後の予定があるし…と思う自分と、少しくらい準備不足でもいいから、ちょっと寄り道しちゃおうかな…と思う自分。
こういう時は、直感を信じて動くタイプだ。
わたしは、黒猫の後を追うことにした。
黒猫は、既にわたしの数m先を歩いていた。急ぎ足で黒猫が向かった方向へ進んでいくと、これまで入ったことのない路地に入っていく。1本小道に入っただけで、こんな人通りが少ない場所があるのかと、これまでにない街並みを知った。
そうこうしていると、1軒の店の前にたどり着いた。看板があるが、筆記体のおしゃれなロゴで、読み取れない。
『ここ…なんの店だろ?』
さっきまで、わたしの足元にいたはずの黒猫の姿は、いつの間にか見えなくなっていた。
『あれ…幻でも見ていたのかな?』
わたしの脳内では、会議が開かれている。
この情報がかなり限られている中で、どんな選択をするか。
メニューも見えない、知らないお店に入るのは、不安でしかない。黒猫がどんな思いをして連れてきたのかも分からない。どんな場所に到着するか分からないのに、安易に黒猫の進む道をついてきてしまった、自分の選択を後悔しかけていた。
店の入口で立ち止まり、悩んでいると、中からひとりの男性が出てきた。
「いらっしゃいませ。あなたも、黒猫に導かれて来てくれました?ここ、入りにくいですよねぇ。」
目の前の男性は、ふふっと笑みをこぼしながら、こう話し続けた。
「ここは、🍀nanohanacafe🍀です。誰でも、ふら〜っとお入りいただけますよ。メニューは、まだ手探りしている段階なので、少ないですけどね。怪しく見えるかもしれませんが、店内はそうでもないはずですよ。もしお時間よろしければ、中に入って、休んでいきませんか?」
こう誘われると、断れないタイプでもある。
『あぁ…じゃあ、お言葉に甘えさせてもらいます。』
「お好きな席にどうぞ。ちなみに、お食事は、お済みでしたか?」
『いえ、実は、朝家を出てから、何も食べていなくて。少し空腹を感じ始めたところで、黒猫ちゃんに会って…。』
「そうでしたか。お腹空いていらっしゃるのなら、気まぐれランチセットはいかがでしょう?今日は、菜の花とあさりの和風パスタ、春キャベツの温サラダ、トマトのコンソメスープをご用意しています。食後には、ホットコーヒーも付いています。女性には、ミニデザートのサービスがあるんです。多くの店が言う一般的なランチタイムの時間帯は終わってしまってるんですけど、当店はこの通りお客さんは来たり来なかったりなので、ランチタイム問わずに、お店が開いている間は、この価格です。」
店主に示されたメニュー表を見ると、1200円と書かれていた。
『おすすめをいただきたいです。』
店主と思われる男性は、承知しました、とだけ言い、キッチンへ向かって行った。

店の隅の方にあるテーブル席を選び、腰を掛けた。初めて来た場所のはずなのに、なぜだか安心する。
コートを脱ぎ終えて、店内を見渡してみる。さっきまで一緒に歩いていた黒猫が、暖炉のそばにいるのが見えた。丸いクッションが置かれているのがわかる。そこが、あの子の定位置なのかもしれない。
どこかにピントを合わせるでなく、ただただ遠くを眺めていると、水とおしぼり、カトラリーセットが運ばれてきた。
「あの黒猫には、何かセンサーのようなものがあるのでしょうかねぇ。あなたと同じように、お客さんを連れてきてくれるのです。とっても不思議な子なんですよ。私のお店に協力してくれるなんて、かわいい存在ですけどね。」
『…?案内猫ちゃんなんですか?』
「たぶん、そう。私も出会ってからまだ半年くらいだから、いまいち掴めていないのですけど。なんだか、この場所が必要になった方だけを案内してくれているように感じることが、ここ最近、多くてね。あの子、自分からはなかなか人に寄っていけないみたいなので、もしよければ、近くに行って遊んであげてください。ご注文のお料理は、もう少しお待ちになってくださいねぇ。」
私がこの子について知っているとしたら、この黒猫は女の子だということくらいかなあ…ハハハ。と、ひとりごとなのか、わたしとの会話の一部なのか分からない声量でつぶやきながら、店主はキッチンに戻っていった。
空腹を紛らわすためにも、黒猫と遊ぶことにした。
さっきは、黒猫ちゃんからそっと近づいて来てくれていたのに、店主は、自分から人に寄り付かない子だ、と言う。それはどういうことなのだろう?
暖炉の前のクッションの上で、丸くなっている黒猫をそっと撫でてみた。威嚇するでもなく、逃げだすわけでもなく、ただ撫でられ続けていたように見えたが、今のわたしの隣に静かにいてくれるということは、何かしらを感じているかもしれなかった。
『きっと優しい子なんだね』

黒猫は、一度だけ ニャン… と小さく鳴いた。
まるで、なんのはなしか分からないよ…と言わんばかりに、ただこちらを見つめ返してくれただけだった。

店内に、良い香りが漂ってきた。そろそろかなと思い、席に戻る。
先ほどまで、少しだけだと思っていた空腹度が、一気に上昇して、今すぐにでも何か食べたいと思った。先に出してもらっていた水を口に含んで、心の準備をする。
ー そういえば…。食事が楽しみだという感覚なんて、いつぶりだろう。
トレーにのせられて、食事が運ばれてきた。左手には、丸皿にパスタが入れられ、その隣には、スープマグ、その上に小鉢的な立ち位置で、温サラダが置かれている。思わず、美味しそう…と小声が漏れた。
「お待たせいたしました。本日の気まぐれランチセットです。温サラダには、にんじんドレッシングをかけています。このドレッシング、にんじんが苦手な方でも食べられるという噂のものなんですよ。サラダチキンとミックスビーンズも入っています。ドレッシングとよく和えてお召し上がりくださいね。食後にコーヒーとデザートをお持ちします。どうぞ、ごゆっくり。」
男性は、再びキッチンに戻り、後片付けを始めたようだ。
おしゃれなランチを食べる機会は、めったにない。急いでスマホを取り出し、写真を撮った。
『いただきます。』
見ただけで、満たされるこの感覚は、食材のおかげなのか。それとも、この店内でいただく、自分ではない他の方に作ってもらった料理だからなのか。
一瞬だけそんなことが気になったけれど、それを考え続けていられないほどに、早く食べたい気持ちが勝った。
何から食べるか迷ったが、まずはスープに決めた。
角切りされたトマトが入っている、コンソメ味のスープだ。スプーンですくい、口に運ぶ。まろやかな優しい味わいで、自分で作るコンソメスープとは違う気がしたが、それが何かはわからなかった。スープの熱が体内に入っていくのを実感する。
パスタは温かいうちにいただきたいところだけれど、ぐっと堪えて、野菜から食べる。
店主から言われたとおりに、ドレッシングとよく和えてから食べる。具材は、蒸しキャベツ、ブロッコリー、小さく裂かれたサラダチキン、ミックスビーンズ。キャベツは、春キャベツって言っていたっけ…。
メインのキャベツを食べてみる。やわらかく、甘い。とても美味しい春キャベツは、旬の味がした。
店主がおすすめしていた、にんじんのドレッシングは、確かににんじんを感じるのだけれど、にんじん特有の青臭さは一切ない。どこかカレーみを感じるから、きっと何かスパイスが入っているのだろう。そのスパイスが、春キャベツの甘さを、より一層引き立ててくれているようにも感じられた。
それぞれの食感も異なり、最後まで美味しくいただけそうな温サラダだ。
サラダを半分くらい食べてから、ようやくメインのパスタに目を向ける。
菜の花の鮮やかな緑色と桜えびのピンク色が、春の訪れを感じさせた。紺色の丸皿が、さらに食材の色味をより鮮やかにしているようだった。
あさりとガーリックの香りが、さらに食欲をかき立てる。
たまらずに、パスタをフォークで巻いて、一口食べる。ガーリックの効いた、しょうゆベースの和風パスタ。上に乗っていた菜の花を急いで口に運んだ。口の中で食材を合わせることで、この料理が本当の意味で完成するということを改めて感じられた。
スープにサラダ、パスタを夢中になって味わっていたら、突然過去の出来事が、鮮明な映像として、脳裏に浮かんできた。

小さい頃に家族で旅館に泊まって、美味しいご飯をお腹いっぱいに食べたこと。
友人とファミレスに行き、低価格で美味しいご飯を食べた後も、たわいもないおしゃべりをしながら、ドリンクバーで何時間も過ごしたこと。
日常が少しでも楽しくなるように…と、友人や彼氏となんとか休みを合わせて、旅行に行って食べ歩きしたこと。

美味しいものを食べる時間を、大切な人とシェアすることが好きだった。
『美味しいね』『これ、また食べにきたいね』『今度は、こっちのメニューもいいよね』
こんな話をしながら、休日を楽しみな予定を立てる時間が、日常の中にあったんだよなあ…。
この味わうという感覚が、最近のわたしに欠けている部分だったことに気づく。
最近の大変さは、いろいろなものが絡み合って起こっていたから、一概に何が原因でとは言えなかった。こなせないわけではなかったけれど、期日に追われて、複数のものを同時進行しなくてはならなちという毎日のさりげない歩幅が、自分に合わない時もあったことは事実だ。
わたしは、こういうあたたかい時間があるから、大変な仕事があっても頑張ろう!と、思えていたんだった。
ー 毎日踏み出す歩幅は、人と違って当たり前だし、日によって違ってもいいんだよね。
メインの食事を終える頃には、目に涙が浮かんでいた。
「食後のコーヒーとミニデザートをお持ちしました。コーヒーは……えっ。どうかされましたか?」
食後のコーヒーを運んできた店主が、慌てて声をかけてくれる。
『あ…すみません。突然泣いていたらびっくりしますよね。大丈夫なんです。』
「大丈夫ならいいんですけど。とりあえず、セットのコーヒーとミニデザートを置きますね。コーヒーは、アロマ強めのコロンビア産の豆を使用しています。本日のミニデザートは、ミルクプリンです。カロリー低めですので、安心して食べられるのではないかと思います。」
『ありがとうございます。ここのお料理、どれも美味しかったです。』
「褒めていただいて、光栄です。褒められることあまりないので」
『味付けも、見た目も、とても素敵でした。このような店にお客さんが気づかないのはなぜなんだろう?って思いました。あと、お料理をいただきながら、気づいたんですよね。まだなんにも失ってないし、終わってもいないんだな、ということに。』
「なんのはなしですか?」
『一歩の歩幅が違っていたり、自分のペースに合わないまま進んでいくと、見たい景色が見えないこともあるのかもしれないな〜と気づいて。最近のわたしは、求められている姿に少しでも追いつきたくて、ちょっと急ぎすぎていたのかもしれないです。これまで、自分とか大切な人がよろこびを感じられるように、足元にたくさんの種をまいていたはずなのに、すっかり忘れて置き去りにしてきてしまいました。一旦、ちゃんと自分の地に戻ろうと思います。』
沈黙の時間が流れた。都合の悪さを誤魔化すかのように、コーヒーカップを口元に運んだ。
「他の誰かには、どう頑張ってもなれませんからね。それに、きっと苦しいですし。ちょっと周りから浮いたとしても、それがいいと思ってくれる方はいるものですよ。」
返事をしてくれたことに驚きながらも、「そうですよね」とうなずきながら、再びコーヒーを口に運ぶ。少し冷めてしまったコーヒーカップから漂う芳醇な香りに包まれて、そっと背中を押してもらった気がした。
デザートのミルクプリンに目を向ける。スライスされたいちごがトッピングされ、季節を感じられるデザートだ。ミルクの優しい甘さは、どこか懐かしい味がした。
ゆっくりと、食事を味わう時間を過ごして、心もお腹も満たされた。『ごちそうさまでした』と手を合わせ、会計を済ませた。
「こちらにお越しになった時より、顔色が明るくなったようですね。良かったです。」
『はい。ありがとうございました。あ。最後に、黒猫ちゃんにご挨拶してもいいですか?』
「えぇ。もちろんです。」
店主に了解をもらって、黒猫のもとに行き、抱きかかえた。

『なんだか。わたしたち似ているなぁって思ったよ。連れてきてくれてありがとうね。元気でね。』
ニャン…と、小さく鳴いた黒猫を放して、店を後にした。
何が起こるかわからなかったけれど、こういう出会いこそ、わたし自身の一歩から生まれるものだ。
申し分ない美味しさだったし、何よりも食材を味わう時間がくれたものは、価格以上の価値だった。
今日は、自分にも、最大限優しくなれそうな予感がしている。
春を呼ぶ風と共に、軽やかに歩き出した。
黒猫が教えてくれた一歩
《了》

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