わたしを、わたしが見つけるまで
「自己肯定感が大切です!」と言われる現代社会。
褒め言葉や、感謝の言葉。
言葉が持つポジティブなエネルギーを、そのまま素直に受け取ることが出来ている人は、果たしてどのくらいいるのだろうか。
わたしは、言葉の適切な受け取り方や自己肯定する方法がわからないことさえも気づかないまま、生きてきた。
違和感に気づいて、自分を知るという段階へ至るまで、実に30年以上の月日を必要としたのである。
悩みやすい。SOSを出せない。休みベタ代表。
わたしを端的に表すとしたら、そんな人間である。
日本人の価値観として、「頑張ることこそ美徳」「謙遜するのがいい」というものが存在しているのかもしれない。かく言うわたしも、そんなThe日本人の両親に育てられた。
母親は、謙遜人間とも言える程に、言葉を素直に受け取らないタイプの人。
父親は、基本的に無口で、感情が見えない。おしゃべりできるのは、お酒を飲んでいる時くらいで、まともに話すようになったのも、わたしが飲酒できる年を越えてからだ。
わたしは、ふたり姉妹の姉ということもあってか、褒められた記憶は、あまりない。
4学年下の妹は、生徒会に入ったり、部活の副部長になっていたりと、他者からの信頼を得てなるような役割を担っていた。
その一方、姉のわたしはというと、妹の面倒見役のような認識こそあったかもしれないが、他者に誇れるような役職についたことはない。強いて言えば、良くも悪くも、体育以外の教科は、平均的にこなして、怒られることがなく、自分をよく見ることなく、なんとなく過ごしてきて、成績もそこそこ取れていた。
年の差があったおかげで、できる妹とは、中学高校と学生時代が被ったことがない。
中学校で同じ先生が担当しても、高校が同じ学校だったとしても、直接比較の言葉を受けとる機会がなかったことは、精神衛生上、かなり幸いしていた。
テストで悪い点数を取らないようにするのは、当たり前。
人並みにやることをやり、極力目立たないようにするのが、普通。
学生時代のわたしのポリシーで言えば、担任から何も指摘するようなところはなかったのかもしれない。
幼少期には入院しがちだった身体の弱さも、歳を重ねるごとに見られなくなり、たまに風邪をひくくらいの健康状態となって、表面上、わたしが他の人から気にかけてもらえる機会は失っていた。
「当たり前」で、自分に求めるハードルが高すぎた。
思えば、褒められた経験がないのではなく、その会話のやり取りが褒められているに値していると認識できていなかったことなのかもしれない。
わたしが学習したのは、「それ、かわいいね」「その髪色、イイ感じだね」と言われた時、その言葉を受け取ることなく、「そんなことないですよ~」と、まるで相手が言ってくださった言葉を否定するかのごとく、流して返す方法しかなかった。
そのまま社会人になったわたしは、相手からへりくだるスタイルで、コミュニケーションを取っていた。自分を見ず、相手の顔色ばかり窺っていた。
メジャーではない国家資格を取得し、大学卒業後、卵から生まれてもないようなひよっこ以前の状態でも、名ばかりの職業人になれた。
仕事もそれなりにこなすし、先輩を見て学習したやり方で業務をし、Noを言わなかったから、次々に仕事は増えていった。
新卒当時に約4年間勤めていた職場の人事考課では、「業務過多だから」としか言われなかった。
同職種ではない上司に評価され、「この人は、何を見て、どこからの情報を踏まえて、この面談をしているのだろう。とりあえず同情だけしていればいいと思っているのだろうか」と、冷めきった心を裏に隠しながらも、表面上は感謝を伝えるというスタイルで面談に臨んでいたが、そんな表面的すぎる同情では、仕事のモチベーションを維持することはできなかった。
わたしの仕事は、社会通念上で言えば、必要なのだと思う。ただ、その成果の数値化ができず、目に見えづらいないのだ。
そのために、業務の評価が難しければ、リアルタイムで感謝されることも、かなり稀である。
関わったことによって得られた変化に気付くことが出来るのは、関わっている最中ではない頃に起きることが多い。
わたしは、小さい頃から、将来の夢や目標を尋ねられた時には、「人の役に立つことがしたい」と、道徳的なことを書き続けてきた。
それは、幼少期以降「人に迷惑をかけず、怒られない、いい子でなければ、認められない自分」という看板を、無意識のうちに背負ってきたからだと思う。
「ことば」とは、言えば言うほどに、書けば書くほどに、自分の身体に染みついてしまうのかもしれない。
いつしか、「自分の言葉を嘘にしてはならない」との思いから、人の役に立つ仕事を選ばなければならないと思っていた。
今立ち止まって振り返ると、目的と手段が混在していることに気付くのだが、当時のわたしは、そんなことに気付く由もない。
どんなに過酷な状況でも、「人の為に働けてえらいね」と思われるようなことがあったのかもしれない。
でも、今になって思うのだ。
わたしは、「人の役に立ちたい」なんて、心の底では思っていなかった。
それなのに、なぜ、そのような仕事をここまで熱心にしているのかといえば、
「夢中になっている自分が好きだから」と、答えるだろう。
身を粉にして頑張ることは、見たくない醜い自分を隠すための鎧だった。
「頑張れることだって、あなたの持つ力なんだ」と肯定的に思えないこともないが、この頑張りの欠点は、いろんな事情により、持続できなくなることだ。
「ただ頑張ることだけが、美徳ではない」と思えるようになったのは、わたしが働けなくなってからだった。
働けなくなった時。
ーー資格を持ちながらも、いろいろな理由で、2度の退職を経験している。
「退職を決めた」と、家族や夫に宣言した時。
この宣言を聞いた人は皆そろって、安堵していた。
無職期間は、バーンアウトによって、何もできない日が多かった。
少し回復してきても、収入を得ることは一切せず、動画を見たり、口コミを見て化粧品を集めてみたり、スタバに行ってコーヒーを飲んでみたり、自由に過ごしていて、ろくでもなかった。
1度目の退職時は、まだ独身で、実家で生活していたが、こんな怠惰な生活をしている(ように見える)娘を見た父親から激しく怒られた。
それでも、わたしはすぐには動き出すことができなかった。
2度目の退職時は、重大な任務をやり切った達成感からか、心身共に疲れ切っていた。それに加えて、退職直前の健康診断で婦人科系の病気が見つかり、全身麻酔の手術入院を控えていた。
コロナウィルスに感染してしまったことで、手術は延期された。その間も、「病気がいきなり暴発するのではないか」と思うと、怖くて仕方なかった。
夫を仕事へ送り出した後は、自宅にひとり。
襲いかかってくる得体の知れない不安に勝る楽しみはなく、とにかく落ち着かなかった。
「不安を打ち消したい」と藁にも縋る思いで、ひとりでいる間は常にイヤフォンをつけて、何かしらを能動的に聞いていた。
そんな時に出逢ったのは、SUPERBEAVERの音楽だった。
わたしは、音楽を聴いてこなかった人生だった。
聞いていたアーティストこそ覚えているが、どの時代に何を聞いていたのかはっきり思い出せないし、たいていの曲は、歌詞も覚えていない。
ただ、傷心中に耳にした彼らの音楽に乗せられた言葉たちは、心に染みこむように入ってきた。
そこからは、ひとりの時は必ず、彼らの奏でる音楽を聴いていた。彼らがコロナ自粛中に行っていた動画サイトでのオンライン配信は、入院中の食事のお供だった。
未経験の恐怖や不安、孤独に耐えることが出来たのは、彼らのおかげなのである。
彼らの音楽活動は、確かに愛を訴えている。
それも、恋愛よりはるかに深い「人への愛」を、「あなた」というただひとりに向けて届けたい、という強い信念とともに伝わってくる。
SUPERBEAVERの楽曲『アイラヴユー』の序盤には、このようなフレーズが出てくる。
褒められたら 「ありがとう」でいい
嬉しい時は 嬉しくていい
口癖のように 謙遜してばかりじゃ
心が瘦せちゃうぜ
このフレーズを聴いて、ハッとした。
思えば、謙遜してばかりの人生だった。
「良かれと思って」ではなく、わたしに向けられていたポジティブな言葉も、どれも受け流してきてしまった。
生まれて初めて、自分の中に閉じ込めていた心の蓋を開けてみると、そこには今にも消えてしまいそうなほどのほっそりしたモノが在った。
このフレーズの先には、この一言が続く。
元気してるかい?
「元気にしてる?」という、まるであいさつのように使える言葉。
これは、相手が好きな人に限らずとも、相手を思い遣った上で語り掛ける言葉なのではないだろうか。
うれしい時は、笑っていい。
不安な時やしんどいことがあった時は、泣いていい。
そんな何気ない言葉たちが、確かにわたしを救ってくれた。
この曲に出逢ってから、わたしから見える世界観は、180度変わった。
自分にも、意識を向けるようになれた。
相手を、大多数ではなく、「あなた」になったり、目の前にあることを大切にするようになった。
自分のために一所懸命になる時間が増えたら、周りの目や評価を気にすることが減ってきた。
「子どもがいない」とか、
「(義)親に孫を見せられていない」とか、
「家のローンの金利が気になるし、もっと稼げるようにならないと」とか。
これらを全く気にしていないと言えば、それは嘘になるけれど、今の生活や、夫との関係性、その時々で過ごしている瞬間に、満足できるようになった。
「なんだかんだ、今がいちばん幸せ」と感じる時間が、圧倒的に増えた。
これは、わたしが、勝手に装備していた鎧を意に反して強制的に脱がされて、等身大の小さな自分となったこと、一時的に、まるで悲劇のヒロインかのような絶望感、強い不安感を味わったからこそ得られた経験だったのだと思う。
ポジティブも、ネガティブも、どんな言葉も素直に受け取ることが出来なかった日々も、
もう生きていけないかもしれない…夫に迷惑をかけるかもしれない…と絶望感に立たされた日々も、
結果は悪いものではなく、今の生活を大切に生きている今日という日々も、
どれも、自分の生きてきた道にあったんだ。
わたしが生きてきた時間は、苦しい時期の出来事でさえも、人生における種まきに過ぎなかった。
生きてきた道の足元に目を向けると、種から芽を出して、小さく儚いながらも、芯の強い花を咲かせてくれたようだった。

自分のことを、こうしてはっきりと言えるようになったわたしは、少しずつでも、人として成長しているのかもしれない。
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