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わたしを見つけた。わたしが、帰り着く場所

わたしは、臆病だ。


それ故、動き出せずに反省した日々も、勇気を出して動いた時に限って、うまく行かなくて落ち込んだ日々もある。

どんな自分も受け入れてもらえる空間。
心の底から、安心できる場所。

わたしが暮らしていく上で、最も大切となるものだ。


これは、

臆病者なわたしが、わたし自身の安心を求めて、探し歩いた物語

である。




"安心”を求めていたのは、ずっと前から


小さい頃から、自分を肯定できない子だった。

何か少しでもうまく行かないことは、とことん自分を責めてしまう。

外にいる時間は、外見上何とか自分を保っているが、家に帰れば、そこには甘えがあって、癇癪を起こすことだってあったのだと思う。


その上、わたしは、今で言う繊細さんだった。

環境の変化は、わたしにとって、かなりの危機となる。

周りの空気感や人間関係に怯えて、緊張が絶頂に達して、言葉がうまく出てこないこと、挙動不審となることがよくあった。

でも、自分からSOSを求めたり、相談するということは、できてこなかった。
そうして育まれたわたしの処世術は、自分を持たず、周囲に合わせることだったのだ。


周囲に合わせることでしか、その場の環境に適応できないわたしは、もしかすると、大して心配のいらない子と思われていた可能性だってある。


周囲に合わせることでしかそこにいられないということ、大人に迷惑をかけないということで、得たものもあった。

だけど・・・
その分、大きな代償だって、負っていた。

自分がわからないことで、もがいたり、傷ついたりもしていた。


そんな時。
わたしは、わたしの"安心”を、求めていた。


傷ついて、落ち込んで、どうしようもなかった日。

悶々とした暗い感情に覆われて、心の中がざわついた日。


危機を迎えた先で、わたしには帰る場所があったことは、とても幸いしていたのだと思う。

そこには、ちゃんと待っていてくれる人がいる、帰れる家があったのだ。

その点に関しては、両親、祖父母へ感謝している。



家族以上の「支え」となったのは


時は経ち、子どもだったわたしは、社会人になった。

新卒時は、一時的に実家で暮らしていたものの、遠距離恋愛のまま、なあなあで続いていた彼氏との将来性を確かめるべく、自立するという選択をして、実家を出た。


その後、いろいろなことが起こったが、交際して10年の節目に結婚した。

結婚した当時は、その半分が遠距離恋愛の期間で、別々で過ごす時間が圧倒的に多かったのだが、今では、一緒に暮らすようになってからの期間の方が長くなった。

それもそのはず。今の夫と出会ってから、既に干支が一周以上している。


彼と出会ったから、今のわたしがいて、ちゃんとになれたと思っている。

彼は、わたしにとっては、恩人だ。


結婚した当時、「わたしは、この人と生きていくんだ」と思っていたし、実際に、楽しいも、悲しいも、嬉しいも、苦しいも、共に歩んできた。

これは、わたしが思っていることに過ぎず、彼の真意はわからないが、今もなお一緒にいてくれていることを鑑みると、わたしが感じていることと極端にかけ離れてはないのだろう、と思える。


彼は、わたしの傾向をよくつかんで、付き合ってくれていた。

辛くて、しんどくて、家についた後、涙が止まらなくなった日は、泣き止むまで付き合ってくれて、胸を貸してくれた。

少しでも、気分転換が出来るように、と、休日にドライブへ連れて行ってくれたこともあった。

突然、「高級ホテルのアフタヌーンティーへ行こう!」と、突飛な誘いをしてきて、ドレスコードに合わせた服を調達する作業が加わり、わたしの逆鱗に触れることはあったが、行けば楽しめるというわたしの感情の動きを知っているからか、半ば強制的に連れ出してくれた。


こういう予約を率先してしてくれる
女子力高めな夫である。


どちらかといえば、静かにまったりしているのが苦手な夫と、できれば自宅にひきこもっていたいわたしは、ある意味、凸凹がちょうどよくかみ合っているペアなのかもしれない。



"安心”の拠点をつくる、わたしたちの未来への選択


時を遡ること、3年前。

当時のわたしたちは、今後の住処をどうするか、という議題に追われていた。

賃貸での生活も良いが、自分たちのための拠点ホームを持つことへの憧れがあった。

夫は、マンション育ち。一方のわたしは、幼少期に、極小団地での生活を経験した後に、一軒家での暮らしを経験している。

もちろん、どちらの選択を取ったとしても、大きな買い物であることに変わりはないし、いずれも、メリットとデメリットがあることは、重々承知している。

住んでいるエリアが、夫の実家の近くということもあり、説明会に義母が同行することもあった。

義母は、我が強いタイプのように見えていた。

「あなたたちが住むのだから、あなたたちが決めていいのよ」と口にする割には、何かを言うたびに、「家は、管理が大変よ。マンションがいいんじゃない?」「あの子(夫)は、あのように言っているけど、私はこう思うのよ。そうよねえ?」と、義母への同感を求められる。


義家族との関係性ばかりは、この先もついてくるし、変えることはできないもの。わたしは、自分がどのように立ち振る舞うべきかを決めきれずにいた。


このような場面がいくつもあり、夫の親側が、マンション肯定派だということは、ひしひしと感じていたが、ここで義母の意見に同意を示すという妥協はしたくなかったというのが、本音だった。


わたしは、プライベートでは、自分のパーソナルスペースを保持したいタイプであり、義母の意見へ、心から同意を示すことは難しく、ただただ黙るしかできなかった。

一方的に言われて、何も返すことが出来ない自分がもどかしく、不甲斐なかった。

この様子を感じ取ったのか、夫は、「これは自分たちの問題で、親の意見は関係ない」と、言葉強めに言ってくれたことが、わたしの背中を押してくれた。

同時に、わたしの心の中から、ひとつの声が聞こえてきた。


「これからの自分たちが暮らす住処のことを、自分たちが一番真剣に考えないで、どうするの?」


この問いが、わたしを奮い立たせてくれた。


そうだ。
ひとりの自分たちの意に反する言葉に影響された決定をするべきではない。自分たちで、しっかり向き合わないと、これからの生活や安心は作っていけないのだ。

これは、わたしたちの暮らしを、わたしたちの色に彩るために、必要な選択だ。


このことに気付いたわたしは、それぞれの親の目や意見は、一旦横に置くことにした。


その後も、いろいろな物件へ見学に行き、営業担当者の話を聞いた。

繊細気質であり、外では自分たちのキャパシティー以上の無理をこなそうとする派のわたしたち夫婦にとって、日々の終わりを迎える場所の環境というものは、とても重要な意味を持つ。


中でも、1軒のお家に、わたしたちの気質に合いそうな魅力を感じ、惹かれた。


そのエリアは、町の中心からは離れていて、どちらかといえば田舎に近いけれど、街並みも、少し栄え始めている地域。

買い物に行くのには、十分に好都合な立地だった。


家の間取りも悪くないし、雰囲気もよかった。マンションとは異なり、物理的にも我が家のパーソナルスペースは、保たれる。


予算的には、ふたりで頑張れば、なんとかなりそうなところだった。


こういう出逢いは、タイミングも大事で、少し後回しにしただけで、自分たちの手に届かないものとなることがある。


慎重派なわたしたちにとって、選択を急いで迫られることは、かなりのプレッシャーであり、負担でもあったが、いつもよりは早いスピードで決断をして、手続きに入った。


本来、あまりにギリギリの生計となる可能性があるのであれば、それは、避けるべき選択なのだと思う。


「ここであれば、一日の終わりに、2人で夜ご飯を味わうことができそう!」という未来を思い描けたこと。


このことが、大きな決め手となった。

こうして、わたしたちの覚悟は決まり、自分たちの拠点ホームができた。



拠点ホームがくれた、"安心”と生活の変化


必死だった日々を乗り越えて、転居した。

それから、まもなく2年が経過しようとしている。



この間、安心できる日々ばかりではなかった。
わたしも新しい環境で疲弊したり、夫が仕事で疲れ果てて、悲しくなっていることはたくさんあった。


けれど、あの時にした選択は、間違いではなかった、と思える。

なぜなら、どんなに嫌なことがあった日でも、我が家に帰ってくると感じられる小さな幸せが、いくつもあったからだ。


仕事や人間関係に揉まれて、疲れ果てて、表情は暗くても。

残業となって帰りが遅くなってしまい、適当に作った夜ご飯を並べることになったとしても。

食卓に2人そろって座り、一緒に夜ご飯を食べる時間を取ることが出来ること。


いいことばかりが起こる日々ではないけれど、帰宅して、ほっとひと息つくこの時間を迎えることが出来て本当に良かった・・・と、毎日実感しながら、夜ご飯を食べている。


その直後には、翌日のことを想像して、気持ちが憂鬱になることはあるけれど、また明日からも頑張ろうと、夫と声を掛け合うことが出来るのは、自分たちの拠点ホームがあるからこそである。


"安心”を知ったわたしが受け取った暮らしのバトン


苦悩を乗り越えた先に、また別の壁が立ちはだかる。

人生と苦悩は、切っても切れないのかもしれない。

 

壁に備えて、体力温存できる場所がある。
これは、わたしの人生の歩みを進めるにあたっては、特別大きなエネルギーとなる。


『傷つきや疲れは、早めに癒す。』

わたしの人生における教訓である。

わたしが、わたしを癒やすために必要な条件は、人や物、思考などとの距離を取ること、安心できる存在が身近にあることだ。


自分をニュートラルにできる時間を過ごせて、1日の終わりを、ほっとひと息つきながら迎えられる場所。


日々、情報やタスクに追われがちな日常に身を置いているからこそ、大事にしたいことがあることを忘れないようにしたい。


過去の臆病者だったわたしへ、今のわたしは、こう言ってあげたい。

「あなたが、あなた自身を見つけることを、諦めなかったから。

そして、あなたのことを分かってくれる人に出逢えたから。

安心して帰り着く場所を、あなた自身の力でちゃんと見つけることが出来たよ。

これからも、毎日の暮らしを、大切に続けていくよ。」

と。


1日の終わりに、安堵からくる幸せを感じられる時間を期待して、今日も、この場所から一歩を踏み出していく。



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