待ち合わせは、香りの中で |【短編小説】
※こちらの物語は、前作から引き続いての場面から始まっております。
前作をお読みいただいてから、お読みいただけると、より楽しめることと思います。
よろしければ、こちらからどうぞ。
新しいお店のリズムへの移行準備として、少しずつ店の営業時間を変えていった。
ありがたいことに、定期的に来てくれる常連さんは、理解を示してくれた。
不定期でやっていた時よりも、いつお店に行けばいいのかわかりやすくなって、良いらしい。
夜営業をする日は、モーニングの営業をやめることにした。
モーニングがない日は、ゆっくり眠ることができる。目覚ましを掛けずに、眠れることに幸せを感じているが、黒猫から朝ご飯の要求が来て、起こされるから、結局は早く起きていることが多い。
黒猫の朝ご飯を準備しながら、自分用のモーニングコーヒーを淹れるのが、ルーティーンとなっている。
朝早くに、携帯電話が鳴り響いた。
珍しく、黒猫が朝ご飯を要求してこず、ゆっくりしていたため、瞼は半分以上が閉じている。まだ眠たい身体を無理やり起こして、電話に出る。
予想通り、電話の相手は、お世話になっているこの物件の管理会社の社長だった。
モーニングの時間に開店していれば、もしかしたら店まで来て話してくれたのかもしれないが、今日は、あいにくモーニング営業がない日だ。
それで、仕方なしに電話を掛けてくれたのだろう。
今から1時間後に、行かなければいけない場所ができた。
この時間なら、ランチの時間帯に来る常連さんには間に合うだろう。
〜11時30分までには、戻ります。〜
そう書き置きして、店を後にした。

スマホの地図アプリを開きながらやってきたのは、とあるオフィス街。普段過ごしている静かな路地感とは全く異なる雰囲気だ。
秋がそこまで来ているというのに、照っている太陽の熱で、体内が燃えそうなほど暑い。オフィス街のコンクリートを照らす輝かしい光が、自分の身体を突き刺してくる。こちらが持ち合わせている体力では、到底勝てるはずがない。
自分は、やっぱり、表通りには向かない。
そんなことを思いながら、目的地に向かって、足を進める。
すると、正面から来る男性が、自分に向かって手を振っているのが見えた。
管理会社の社長に紹介してもらった、笹木さんだ。
「すいません。もしかして、待ってくれていましたか?」
「いえ、たまたま姿が見えたので、せっかくなら一緒に向かおうかと思いまして。あ、これから行く場所は、この道をまっすぐ行った先にあるんですよ。」
笹木さんと合流した場所から、15分ほど歩いた先に、今回の目的地があった。
笹木さんが、「あれですね」と、にこやかに指をさす。
その指が指し示す先に目をやると、1台の車が目に入った。
これから、週に一度は、自分の相棒となるキッチンカー。待ちに待った、ご対面の時間だ。
全て新しいもので揃えるのは難しかったため、中古のキッチンカーであるが、やってみるにはむしろ好都合だと思った。
少しだけくすみ始めている、白いキッチンカーは、洗練されすぎず、でも路地裏の雑踏さは感じさせない具合に収まっている。
今の自分には、しっくりきた。
担当者から車のキーを受け取り、車内を確認する。
キッチンカーに乗るのは、もちろん初めて。
店とは勝手が全く違うから、最初からうまくいくかはわからないが、こればかりはやってみるしかない、と思っている。
なお、路地裏に、キッチンカーを置く場所はない。
しばらくは、笹木さんの事務所の駐車場を間借りさせてもらうことになっている。
ひとりの力では、何も成し遂げられないが、このことを未熟だと思うのではなく、自分の人柄のおかげだと前向きに捉えられる自分を、誇りたいとも思った。
この日は、車を受け取り、笹木さんを助手席に乗せ、笹木さんの事務所へ無事に届ける役割を果たした。
今日の空は、より一層高く見える。

新しいことをするのは、緊張感が伴う。ものすごく、喉が渇いていることに気づいた。
秋の訪れを感じる一方で、全身から水分が蒸発してしまったようだ。
店に戻れば、水出しのアイスコーヒーが準備されているが、その道中で、自分の身体は、持たないかもしれない。
笹木さんの事務所の駐車場に車を停めた後、挨拶をして、すぐに歩き出した。
ふいに過去の記憶が呼び起こされて、とある場所に行きたくなったのだ。
この表通りにある、純喫茶 ROJI。
その純喫茶は、自分が店を立ち上げる前に、よく通っていた場所だった。
オーナーがとてもダンディーな男性で、女性ならば、好きになる人もいるかもしれない。
この店オリジナルのブレンドコーヒーが人気なのだが、今日は、迷うことなくアイスコーヒーをオーダーした。
透明なグラスに、たっぷりの氷でしっかりと冷やされたコーヒー。
こちらの純喫茶のコーヒーは、全体的に苦みが強めだが、アイスコーヒーでも、しっかりとした香りと苦みを感じられる。
すっかり喉が渇いていて、一口目でグラスの半分を飲み切ってしまった。
一口目のアイスコーヒーで一旦満たされた私は、店内を見回した。
数年前に、よく来ていた店内の内装は変わらずに、ここにいてくれていた。
ん・・・?
1箇所だけ、景色が変わっていることに気付き、マスターへ声を掛けた。
「マスター。あそこの席だけ照明の当たり方が違う気がしますが、以前もこんな感じでしたっけ?」
マスターは、一瞬戸惑いの表情を見せたが、すぐにいつもの穏やかな笑顔に戻った。
「いやあ。さりげなくしているつもりでしたが、気づく人はいるんですねぇ。なんでだと思います?」
マスターは、これまでに見たことのない、少年のような顔で、こちらを見てきた。
試されている。そう察した。
アイスコーヒーを一口飲んだ後、自分の脳内の記憶を辿っていく。
雰囲気が好みで、何度も足繫く通っていた、この純喫茶。
いろんな席を試しては、その席から見える内装とコーヒーの香りのマリアージュを楽しんでいた。
だが、今あたたかな光の当たるあそこの席に、私は一度も座った記憶がない。
それは、なぜだっただろうか・・・。
マスターからの問いに対する答えが、喉元まで出かかっているような気がしているが、辿り着けそうで、辿り着けないもどかしさを感じた。
「あそこの席に、よく座っていた常連さんがいたの、覚えていませんか?」
よく座っていた、常連さん・・・?
もう一度、あの日の店内を思い出そうとした。
「あっ。もしかして、品のいい女性ですか?この店の一番高いコーヒーカップが、とてもお似合いの。」
「おそらく、その方ですね。」
オーナーが笑みを浮かべると同時に、グラスの中の氷が動き、軽やかなカランという音を奏でた。
「この純喫茶は、私の母から受け継いだものでした。母はすでに高齢ですが、今はまだ自宅で暮らすことができています。その席を好んでよく座っていた女性は、私の母がまだお店に立っている頃からの常連さんでした。」
「母は、喘息持ちで、通院をしていました。当時は、喫煙も可能なお店だったこともあって、しんどいこともあったようですが、お客さんのことを思って、喘息持ちということを隠して営業していたようです。一時期、風邪をこじらせてしまって肺炎になり、入院もしたことがあるんです。その頃、私がこのお店を手伝うようになりました。」
「その席によく座っていた女性は、母が通っていた病院で出会った方のようです。コーヒーを1杯を頼み、近くにある図書館で借りてきた数冊の本を読んでいらっしゃいました。病院で出会った方なので、おそらく身体の治療をされていたのでしょうけれど、私は詳しいことを知りません。母がお店に立たなくなってからも、毎日のように来てくれていました。もしかすると、体調の悪い日もあったのかもしれませんけれども、とても穏やかに過ごされていて、私の方が癒される毎日でした。」
「ある日を境に、その女性が来なくなりました。最初は、私が、寂しかったんです。いつもいらっしゃった方が、突然来られなくなると、心配にもなりました。母に尋ねても、「私は、知らない」の一点張り。母は、一度しか来ていないお客さまのことも覚えているような人なので、そんなはずはないと何度も詰め寄ったんですが、教えてもらえませんでした。」
オーナーの語り口からは、まるで今目の前でこの物語が進行しているかと思うほど、リアルな温度を感じた。
オーナーが息継ぎをしているわずかの間で、残りのアイスコーヒーを飲み干した。
「ある日、母の通院先の病院から、急遽入院することになったと連絡が入ったので、日用品を病院に届ける必要がありました。そこで、母の部屋に入った時、机の上に、一通の手紙と、便せんが置いたままになっているのを目にしました。直感的に、誰から届いたものかわかりましたし、母は、その手紙にお返事を書こうとして、準備をしたまま通院に行ったのだと思います。読みたい気持ちもありつつ、病院に届ける日用品の中に、その手紙と便箋も入れて、持っていきました。翌日の面会時間、母に会うことは叶わなかったのですが、代わりに看護師さんから聞いた話では、どうやら、母は、女性から、コーヒーを飲むのも、図書館に行って本を借りることもできなくなってしまったが、珈琲豆の香りを感じることだけはできるんだ、と書かれた手紙を受け取ったそうなんです。」
「看護師さんからの話を聞いて、わたしは、ハッとしました。その女性は、時間をかけて一杯のコーヒーを飲んでいたわけではなくて、香りの変化を楽しんでくれていたのだ、と。合わせて、看護師さんから、『お母さまが、頑張って返事を書くから、この手紙に入れる珈琲豆を持ってきてほしい、と言っておられました』と。母の希望を受けて、翌朝仕事の前に、その女性がよく注文していた、当店のオリジナルブレンドの珈琲豆を病院へ、持って行きました。受け取ってもらえていたら、いいのですけれどね。」
オーナーは、穏やかな表情で、流れるように経緯を話してくれた。
数秒間、静かな時が流れた。
この沈黙な間と、あたたかな光が照らされている座席は、その女性が、この先この店を訪れることはない、ということを表しているようだった。
「すみません。長くお話を聞いてもらってしまいましたね。グラスも空になっています。おかわりされますか?料金はいただきませんので。」
もう少しだけ、この余韻を感じていたかったが、自分の店に戻らないとならない。断腸の思いで、オーナーからの誘いを断り、気持ちだけ受け取って、店を後にした。
できるだけ早歩きをして、自分の店に戻れた時には、11時となっていた。
ランチタイムに、なんとか間に合って戻れたことに安堵した。
黒猫からは、「待ちくたびれたにゃ」と言わんばかりな冷たい視線が届く。
「ごめんごめん」と平謝りをしながら、黒猫用に水を差しだして、ランチ営業の準備を急いだ。
珈琲豆をミルで挽いていると、先ほどオーナーから聞いた話が、脳内で繰り返された。
一杯のコーヒーが、人の人生を豊かにすることもある。
このことを信じていたからこそ、この店を始めたはずだったし、コーヒーが持つ可能性を拡げようとして、キッチンカーまで調達した。
そのはずだった。
自分ではとっくの昔に分かっていた気でいただけで、実はまだ浅い認識だったことを恥じた。
カトラリーセットの準備をしていると、ちょうどランチ開始の時刻になり、3組のお客様が来店した。
しばらく、忙しない時間が続く。
ランチセットは、以前よりも簡略化しているけれど、それでも一人で対応しているため、お客さんを待たせてしまうのが常だった。
この店に来るお客さんは、本当にやさしい。
何も言わずに待ってくれる。
お客さんの間をつないでくれる黒猫の存在にも、助けられている。
ひととおり料理の提供を終え、食後に出すコーヒーの準備を始める。
一瞬で、コーヒーのアロマな香りが、店内を包み込む。
コーヒーをテーブルに届けると、和らいだ表情で、香りを楽しんでくれるお客さんがいる。
そうだ。
私は、そのようなお客さんの姿を見るのが、好きなのだ。
たかが一杯のコーヒー。
そこにかける思いは、人それぞれ。
味を楽しむ人がいれば、香りを楽しむ人もいる。
産地にこだわる人もいれば、焙煎具合を重視する人もいる。
人の笑顔を、
珈琲豆で繋がる想いを、
私は、忘れてはならないのだ。
この香りを、待っていてくれる人がいる限り、私と黒猫の旅路は続いていくのだろう。

待ち合わせは、香りの中で
《了》

月1開店している🍀nanohanacafe🍀。
これまでの物語は、下記マガジンに収容しております。
noteの街に、こそっと生まれた不思議な喫茶店で起こるお話の集合体。ご入店の合言葉は、「 #なんのはなしですか 」です。
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