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しずかな陽光が照らすもの |【短編小説】

ついに来てしまった。この時が。

朝起きた時から、自宅の中は騒がしい。夏の暑さが、2割増で襲ってくるような感覚にさえなる。

そう。こどもにとっては、思いきり羽を伸ばしたくなる、夏休みだ。


朝から、「公園に行きたい!」だの、「ミートスパゲッティが食べたい!」だの、自由気ままに注文が飛んでくる。


毎日息をしているだけで、体力が失われていくわたしとは違って、この子は、きっと体力が有り余っているのだろう。


小学1年生の息子を持つ母であるわたしは、少々やさぐれるくらいに、疲弊していた。


夏休みになると、学校に行かなくていいという安堵からか、とたんに元気になる。人より少し繊細で、人の顔色を窺うような息子にとって、小学校入学後の3か月間は、きっと大変なこともあったのだろうと思う。幼稚園時代の彼と比べてみても、顔つきも、体つきも、だいぶ大きくなった。

おうちで、母であるわたしに、わがままを言えるのは、それまで頑張ったから、できるある意味でのご褒美かもしれない。

とはいえ、全てをわたし一人で負うには、少々荷が重すぎる。


基本的に、わたしが人見知りで出不精なもので、家にいたいと思うタイプである。ただ、それは、体力も元気も有り余っている子どもにとっては、少々酷なことかもしれないと思い、夫と事前に相談して、週に1回は、ランチ込みのお出かけをしようと企んでいる。

近くで開催されているこども食堂もあるが、そこはまた別の機会にして、今日は、兼ねてからずっと気になっていたカフェに行きたいと思っていた。


蒼斗あおと、ちょっと、遊びに行こうか。ママ、行きたいところがあるんだよね」

「いいよ~。どんな場所~?」

「ママ、おいしいお昼ご飯が食べたいからさ。ちょっとおしゃれで、ゆっくりできる場所に行こうよ。きっと心地よく過ごせるよ。」

「うん、行く~!」


お出かけに行けると知った息子は、嬉しそうな顔で、身支度を始め、お気に入りの電車のおもちゃに、宿題のワークも持ち出した。

純粋な無邪気さに、うらやましささえ感じる。


普段のおうち時間とは違う場所に行けるというワクワクは、動き出すために必要なスパイスになるのかもしれない。

なんだか、わたしの気持ちも、上向きだ。



久しぶりに、ばっちりと化粧をして、着替えをする。

普段、公園へ遊びに行く時のパンツスタイルとは一旦お別れして、今日は、夏らしいさわやかな薄い水色のチェック柄のワンピースを選んだ。

歳相応ではないとわかっていても、たまにかわいらしい服装をしたくなる。


暑い中歩くことになる為、髪の毛はポニーテール。普段は髪留めも適当だが、今日はレース素材のシュシュをつけておく。

見た目は、少しだけ、若い頃の自分に戻った気がした。

冷房対策のカーディガンと2人分の水筒を鞄に入れて、息子と共に家を出た。


「ママ、いつもと違うけど、かわいいね!」

お出かけすることが、相当嬉しいらしく、息子は、いつも以上にご機嫌だ。
まだお世辞を知らない息子に褒めてもらうのは、ちょっとくすぐったいけれど、やっぱりうれしい。


外に出た瞬間、猛暑が襲ってきた。息子の元気さに、ややエネルギーを吸い取られながらも、歩みを進めた。


いつも遊びに行く公園で、ひと休み。



鞄の中から水筒を取り出し、息子に渡した。わたしも水分を取りながら、この後の道順を確認する。


公園近くのバス停から、5つ目の停留所で降りるのが、一番近道のようだ。

事前に見た数少ない口コミの情報によると、近くに目立つ建物や看板はないとのことだった。
見逃してしまいそうなくらい、その街並みになじんでいて、ひっそりと佇んでいる場所らしい。


わたしがバスに乗るのは、いつぶりだろうか。

ひょんなことから出不精になって、公共交通機関に乗ることが苦手になり、家にいることが増えた。でも、今日のわたしは、なんとなく行ける気がした。


「今から、このバスに乗るよ。乗ってから5つ目のバス停で降りるよ。一緒に5つ数えようね。」

「はーい」


このバスにさえ乗れたら、あとは、もうすぐだ。
裏道に入って少し歩いた先に、目的地の喫茶はある、と聞いている。


『まもなく、街ビル前~』 「いーち」

『まもなく、陸橋口~』 「にー」

『まもなく、放送局前~』 「さーん」

『まもなく、N新聞社前~』 「よーん」

『まもなく、路地裏通り~』 「ごー!」

息子は、わたしが伝えた通り、アナウンスを5つ数えてくれた。
降車のお知らせをするために、目の前にあったボタンを押すよう伝えると、息子が楽しそうに押してくれた。

言われた通りにやってくれる息子に、成長を感じながら、降車した。

予習した道順通りに歩いていく。



「ママ、まだ~?」と、やや不機嫌になりつつある息子の手を引きながら、歩いていく。


「うん。あと、もうちょっとだよ~」と言いながらも、この道で正しいのかどうかはわからず、内心、ドキドキしていた。このドキドキを、息子に悟られないように歩くのが、今のわたしの役目だ。


目を凝らしながら、歩いていくと、黒い子猫が建物の方から出てきた。同時に、男性が出てきた。黒猫と一緒にいる男性は、エプロン姿であることから、お客様ではないように見える。


「もう少しで、つくよ」と伝えると、息子とつないでいた手に、自然と力がこもった。



黒猫の近くに立っていた男性に、「喫茶は、営業中ですか?」と尋ねてみた。

「ええ。喫茶はやっているといえば、やっています。ここは、日常で頑張る女性を、特別な時間に誘う場所です。」

「ふふっ。なんのはなしですか?」

「あら。よく知っておられますね。どなたかのお知り合いでしょうか?そんな話は、さておき。暑い中、お越しくださり、ありがとうございます。どうぞ、お入りください。」

男性は、息子の視線に合わせるようにして、「いらっしゃいませ。僕、いくつ?」と話しながら、喫茶の入り口の大きな扉を開けてくれた。

息子は、元気に「6歳になったよ~」と答えた。

かなりの人見知りなわたしとは違って、人懐っこい子だ。


店主と思われる男性は、4人席の四角いテーブル席まで案内してくれた後、「お水とメニューをお持ちしますね」と話して、その場から離れた。

店内には、丸テーブルの席も、ソファー席もあったが、子どもと隣同士で座ることが出来るように、という配慮から、この席を案内してくれたのかもしれない。このテーブル席は、他の席よりもやや低めに設計されているようで、息子も難なく座ることが出来た。


「オレンジ色の台紙が本日のランチメニュー、水色の台紙が通常メニューです。お子様向けのメニューは、最近作り始めていて、まだ完成形ではないのですが、今できる最上級をご提供します。もしよろしければ、どうぞ。」



お子様メニューまで準備してくれているとは、驚いた。最近作り始めたということは、まだあまり注文が入っていないのかもしれない。

「蒼斗、お子様ランチ食べる?」

「うん。食べる!」と、一応答えは返ってきたが、今は彼の目の前にいる黒猫と遊ぶことに夢中のようだ。

そういえば、前、実家に帰った時に、猫と遊ぶの楽しそうにしていたもんなあ・・・最近帰ってないな。

過去に、少し思いを馳せながら、メニュー表を眺めた。

自宅ではなかなか作らないドリアも魅力的だが、暑い夏には、赤いトマトを味わいたい。

店主が水を持ってきてくれたタイミングで、ランチセットのBとホットコーヒー、お子さまランチを注文した。


最初に出してもらった水を飲みながら、ふと息子の方に目をやる。 

職場でも、いろいろあって、心がかなり疲弊していた時期。
息子の小学校入学準備のタイミングと重なり、自分に課されたタスクが急激に増えた感覚に襲われた。

これでは、身も心ももたず、家族を守れないと思い、フルタイムの仕事を離れる決断をした。

その分、家族時間を作ることができるようにはなったけど、どこかで、「本当になりたい姿はこうじゃない」と思っていたのかもしれない。


ママから離れて遊ぶことも、時間を過ごすことも、できるようになったんだもんなあ…。


あんなに身体が弱かったのに、風邪も引かず、元気に走り回って、日焼けもするくらい、外遊びが好きになって。

怒涛な3ヶ月は、ものすごいスピードで過ぎ去っていた。



香ばしい香りが、店内をまとい始めたことに気づき、ハッとした。気づけば、息子は、わたしの隣の椅子に座っており、珍しく宿題を広げている。

「もう少しで、ご飯の時間だよ?」

やる気がある時にやらせればいいものを、すぐに片付けさせないと…と思い、つい言葉にしてしまう。


カトラリーを持ってきた店主さんは、にこやかに「まだできていないので、大丈夫ですよ〜。」と話してくれた。

息子のやっている宿題を覗き込み、「うまく書けているねぇ」と褒めてくれた。褒められてうれしくなったのか、息子は、俄然やる気を出し、あっという間に、ひらがな練習帳の1ページ分を終えた。

家では、嫌々やっている宿題も、これほどまでに鉛筆が進んだことはなかったのではないかと思うくらい、楽しそうに文字を書いていた。

この場所は、やる気を引き出すなにかがあるのだろうか・・・。



「お待たせしました。先にお子さまランチをお持ちしました。オレンジジュースと、デザートも付くんですけど、どのタイミングでお持ちしましょうか?」

「食事と一緒でお願いします。あ、わたしの分は、食後で。」

「かしこまりました。」


目の前のカラフルなお子さまランチに、息子だけでなくわたしもテンションが上がっていた。家ではできないことをするのが、お出かけの醍醐味だ。

次に、わたしの分のランチセットが運ばれてきた。

「本日の前菜3種は、きゅうりの浅漬け、ポテトサラダ、なすの煮びたしです。オリーブオイルやスパイス、バジルソースなどを合わせているので、どれも洋を感じていただけるのではないかなと思います。こちらは、シンプルなトマトとモッツアレラチーズのパスタです。本日のランチは、特に季節を味わってもらえたらいいなと思いながら、ご用意しました。食後に、デザートとコーヒーをお持ちしますね。どうぞごゆっくり。」



なんて眼福な光景が広がっているのだろう。

自分の為には作らない数の食材を使っている。しかも、季節のお野菜がふんだんに使われていて、どれも心に優しそうなものばかりだった。


写真に収めて、いざ一口目。


前菜は、どれも心地よく冷やされていて、味も染みている。特に、なすの煮びたしは、いつも自分が作る煮びたしとは違って、オリーブオイルと何かスパイスが振りかけられていた。食べてみると、カレー風味の味がした。


ひと口ずつ前菜を食べた後、トマトパスタに手を伸ばす。
トマトの色味をしっかりと目で味わった後で、口に運ぶ。トマトの酸味と甘味、それを支えるガーリックの風味がよくきいている。塩加減もばっちりだ。自分ではあまり使わないモッツァレラチーズも、特別な贅沢感として彩ってくれている。美味しい。


前菜のきゅうりの浅漬けにかけられていたバジルソースをモッツァレラチーズに浸し、パスタにのっていたトマトと食べると、カプレーゼになった。

組み合わせて食べられるように、という意図があるのかどうかはわからないが、楽しみ方がたくさんあって、ワクワクする。


隣を見ると、息子も、美味しそうに食べている。

店主の説明によれば、ハンバーグには、よく刻まれた玉ねぎとにんじんが入っているらしい。
「野菜嫌いな子でも食べられる魔法のソースをかけているから、きっと美味しく召し上がれますよ♪」という店主の言葉とおり、ニコニコしながら食べていた。


普段から好き嫌いなく食べてくれるいい子だが、表情だけはごまかせない。


たまには、こういう時間も良いものだ。


暑さで食欲が落ちていたけれど、あっという間に食べてしまった。

店主に声をかけて、コーヒーとデザートをお願いした。



美味しいもの、自分が欲しているものを食べると、こんなにも心がよろこぶのか。

自分に優しくなれる気がしてくる。


それは、これまでに感じたことのない、不思議な感覚だった。


美味しい食事に満たされていると、挽きたてのコーヒーと、デザートのレアチーズケーキ、みかんゼリー、ナッツのクッキーが運ばれてきた。


コーヒーは、苦味が弱め、酸味のある味わいで、食後にもいただきやすかった。
レアチーズケーキは、レモンが効いている。さっぱりと食べられる夏らしい一品だ。


一瞬で、苦痛のように感じていた夏を、軽くしてくれるような爽やかさに包まれた。


「お味は、いかがでしたか?」

コーヒーを飲みながら、ひと息ついていると、店主から声をかけられた。

「どれも、おいしかったです。なんだか、自分に優しくなれる気がしました。息子も、楽しめたようです。本当にありがとうございました。」

「それはよかったです。旬のものは、心と身体を元気にしてくれますからね。毎日頑張ってくれている自分の身体にも、ちゃんと栄養を届けてあげたいですよね。」


なるほど。ここのお店のコンセプトは、自分に優しくなれることなのかもしれない。

そんな事を考えていると、店主が、「ところで」と話を切り出してきた。


「あの、この店の合言葉をご存知のようでしたが、どこかでお会いしたことはありましたでしょうか?女性であれば、覚えていないはずはないのですが、どうも記憶が怪しくて、ですね。」

店主は、やや笑っている。


「いえ、たぶんお会いしたことはないです。でも、とある口コミが目に入って、いつか行ってみたい!と思っていたんです。その口コミには、店名も、詳細な住所も書いてなくて。さすがに情報が少なすぎじゃないか…と、困っていたら、ある日、この子と公園に行った時に出会った親子がいて。その時のお話を頼りに、来てみました。ここの黒猫と店主に出逢ったら、何かわからないけれど、忘れられないんだ、と言っていて。どれほどのものだろうかと、楽しみにして来たんですが、期待以上でした。」

「そうでしたか。よかったです、私の記憶が違っていなくて。」

店主は、話を続けた。

「どんなに生活や日常がしんどくても、明日は来ます。でも、そのしんどさがいつまでも続くわけじゃない。しんどさばかり目に付くような気がしていても、その中に、明るい陽光ひかりが差し込んでいるタイミングは、必ずあるものなんですよね。たとえ、それが、一瞬だったとしても、気づけないほどの小さく静かなものだったとしても。しんどさのひと区切りをお手伝いできたら…という思いで、この喫茶を続けています。なにか機会がありましたら、またお越しくださいね。」


店主は、真夏の熱い感じではなく、まるで春の陽だまりのような包容力を持っているような方だった。

詳しい話は聞かずとも、なんとなく話を合わせてくる感じも、老若男女、店にたまたま訪れたお客を、この店の虜にしてしまうのかもしれない。


とにかくいい時間を過ごせたことだけは、実感できた。



黒猫と遊んでいた息子に、「そろそろ帰ろうね」と声を掛ける。

お会計を済ませて、窓の外に目を向けると、外の気温はさらに上がっていそうで、出る前からクラクラした。


ここを出たら、また日常に戻る。

でも、その日常すべてが、悪いわけではない。

楽しみを見つけられるのも、明るさを知ることができるのも、その反対の世界を知っているからだ。


そう思ったら、今感じている苦しみも、いいことに向かうための前兆だと思えた。



店を出ようと、扉に向かった。
扉のガラス窓に映る顔が、視界に入った。

わたしの表情も、息子の笑顔も、軽やかだ。

息子と優しく手をつなぎ、来た道を戻る。歩くことも、バスに乗るのも、すっかり平気だ。

今日の出来事は、きっと忘れない。夫にも報告して、いつか家族で行きたい、とも思える場所だった。



しずかな陽光
《了》



月1開店している🍀nanohanacafe🍀。

これまでの物語は、下記マガジンに収容しております。


noteの街に、こそっと生まれた不思議な喫茶店で起こるお話の集合体。ご入店の合言葉は、「#なんのはなしですか  」です。



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