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Hobos like us ,Baby we were born to run

(積読濫読)
1.「ザ・ロード・アメリカ放浪記」ジャック・ロンドン (ちくま文庫 2024年4月) 
2.「パリ・ロンドン放浪記」 ジョージ・オーウェル (岩波文庫 1989年4月)
3.「ホーボー(上・下)ホームレスの社会学」ネルス・アンダーソン(ハーベスト社1999年5月)

ホーボーという言葉を初めて聞いたのは高校生の時。

中学生の頃からプロレス仲間(大阪府立体育館に通ってた)であったが、同じ時期にロックに目覚めた友達がいた。彼は歳の離れた「兄ちゃん」というメンターの影響を受けていたらしく、家には65年くらいからのミュージック・ライフが揃っていて、遊びに行くと会話もせずにMLのバックナンバーを読み耽っていた。

その後、スプリングスティーンの「明日なき暴走」が出た時、彼の部屋で聞かせてもらい(正確にいうと、家が狭いとかで近くに借りた別の家の部屋でだが)ストリート系ロックにのめり込むきっかけになった。

決め台詞の”Tramps like us 〜”を聴きながら、そういやお前の兄ちゃんて今どうしてんの?と尋ねると、「アメリカでホーボーしてんねん」との答え。それがリアルでホーボーという言葉を初めて聞いた瞬間だった。

あれから半世紀。

芭蕉翁の如く、片雲の風に誘われて漂白の思いやまず、という気持ちは常に心の片隅にあったものの、定住農耕民生活を続けてきた。

8年ほど前に、似たような発音のあの男が大統領になって以来、Trampという言葉も使いにくくなり、Hoboという言葉に拠って漂白の思いを辿るべく、何冊かの本を手に取ってみた。

ロードといえば(虎舞竜ではもちろんなく)、”On The Road” のジャック・ケルアックなのだが、その師匠筋にあたるのがジャック。ロンドンで代表作は1。

ケルアックが自動車でアメリカを走り抜けたのが1950年代なら、ロンドンが南北戦争後に整備された鉄道で西に東に渡り歩いたのが1890年代。もちろん、ただ乗りである。

ケルアックにせよ、ロンドンにせよ、自由への渇望から定住ではなく移動し続けることを選んだわけであるが、働かずに(物乞いはする)移動し続ける人は、本来的にはHoboでなくTrampsというカテゴリーに入るらしい。

2は、第一次大戦を経てイギリスに代わって覇者となりつつあったアメリカ経済を背景に、広大なアメリカのハブとなっていた大都市シカゴに集積しまた移動していく労働者について、社会学という観点から考察した論文。学問的観点からは次のように区分される。

①Hobo 季節労働をしながら各地を渡り歩く人々
②Tramp 各地を放浪、渡り歩くが労働はしない人々
③HomeGuard 放浪に疲れ果て都市に流れ込んで日雇い労働に従事する人々
④Bum ⓷で健康等を害して働けなくなり、物乞いをしたり施設に収容されたり路上生活に至った人々

著者はだ26歳で大学に入る前に①〜②的生活を経験したという変わり種。その経歴も研究も当時はまともな研究者から白い目で見られるものでかなり苦労したらしい。

そして、3は「1984年」や「動物農場」という名作を残したジョージ・オーウェルが1933年に出したデビュー作。

大学卒業後、ビルマに5年間勤務したが安定した公務員生活を放擲し作家生活に入るも、親の援助を受けることをよしとせず、パリ(当時はロンドンより生活費が安かった)とロンドンでレストランの皿洗いや物乞いをして暮らした1年半、上の区分で言えば⓷〜④のカテゴリーにおける生活の実相や出会った日興味深い人々を活写したルポルタージュ。

1はロンドンが20歳前後の頃なので、走る電車に飛び乗ったり、ただ乗りを防ごうとする制動手(シャック)と果敢にやり合ったり、シェラベヴァダ山脈を越す時の寒さなど酷薄な場面もあるが、基本的には若者の冒険譚としての明るさを有する。

一方で2は、そこから剥け出すことのできない人々の悲惨な暮らしを描いているのだが、当時、オーウェルは30歳少し手前で、ロンドンに比べればより冷静に、かつ広い視野でこのコミュニティを分析しているのが興味深い。

オーウェルによれば、このようなスラムと浮浪者が発生するのは、国や自治体が安定的な職業を与えることをせず、近視眼的な慈善施策
(1日の宿は低廉な価格で提供するが、連泊は許さない)にしか取り組まないから、給料は少なくても安定した長期雇用を提供すればこのような悪徳はなくなるという、ケインズ以前にケインズ的な色彩を持つ視点での施策を提案している。

また、このような(教育を受けていない)人々にとって、失業の何が辛いかといえば、「押し付けられた退屈」であるとする。彼らは「仕事」がなければ何をしていいか分からない。何もしていない時間は明らかに社会にとっての「欠損」である。

教育を受けた人々は、「仕事」がなくても本を読んだり、試作に耽ったり、文章を書いたりして創造的な活動に取り組むことができるので、それほど苦痛ではないのだという分析は、パーマネントな仕事をやめてからの自分の暮らしを考えると思い当たることも多い。

それはともかく、オーウェルの偉いところは、「浮浪者」を何をするか分からない恐ろしい存在として捉えるのではなく、自らの実体験に基づき、身体上のことを含め色々具合の良くないところはあるが、それでも普通の人間であって怪物ではない。

不当に恐れたり馬鹿にしたりすることなく、合営的な施策を講じれば社会に貢献することができる存在として位置付けたことではないだろうか。




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