0番目の檻#6
◾︎第6話「ゆるやかな日常と、
当たり前の距離」
朝。
規則正しく鳴る起床ベルが、
無機質な天井に反響する。
それはこの場所にいる限り、
誰もが逆らえない合図だった。
だが――
「ん……あと五分……」
ベッドの上で丸くなっている
天狐には、まるで関係がなかった。
「……起きろ」
隣の簡易ベッドから、
淡々とした声が飛ぶ。
すでに起き上がっている
レイサンは、無駄のない動きで
身支度を整えていた。
「むりぃ……今日だけ特別に
寝坊って制度ないの……?」
「ない」
「えぇ〜……厳しい……
この施設ブラックだよ〜……」
「……」
レイサンは無言で
天狐の布団を掴むと――
ばさっ。
「わぁああああああああ!!」
一切の躊躇なく剥がした。
「ひどい!?人権!!」
「起きないお前が悪い」
「もっとこうさ……
優しく起こすとかさぁ……」
「……既にもうやった」
「え、ほんと?」
「三回呼んでも起きなかった」
「……それは私が悪いねぇ〜」
あっさり認めた。
レイサンはほんのわずかにだけ、
息を吐く。
その様子に、天狐はふと気づく。
「……ねぇレイサン」
「なんだ」
「ちょっとだけ、
前より喋るようになったよね」
「……そうか?」
「うん。前はもっとこう
……機械みたいだった」
「……」
一瞬の沈黙。
だが、
それは不快なものではなかった。
「お前が、うるさいからだろう」
「え、それ褒めてる?」
「さぁな」
「でもちょっとは嬉しいでしょ?」
「……否定はしない」
「ほらぁ〜!」
天狐はにぱっと笑う。
その笑顔には、もうあの日の
“異様な強さ”の影は
どこにもなかった。
ただの、どこにでもいるような
少女のそれだった。
朝食。
食堂はいつも通りざわついていた。
だが――
「あ、天狐だ」
「この前の件の……」
「でも普通じゃね?」
ひそひそとした声はあるものの、
明確な敵意は消えていた。
それを気にする様子もなく、
天狐はトレイを持って席に座る。
「今日はね、
ちょっと楽しみにしてたんだ〜」
「何をだ」
「このパン。昨日のより
ちょっとだけ柔らかいらしい」
「誤差だろう」
「いやいや、こういう小さな幸せが
大事なんだから。」
「……」
天狐はパンを一口かじる。
「……あ、ほんとだ。
ほんのちょっとだけ柔らかい」
「違いが分からん」
「分かる人には分かるの!」
「そうか」
レイサンも同じパンを食べる。
……確かに違いは分からない。
だが――
「……悪くない」
「でしょ〜?」
なぜか、少しだけ味が違って感じた。
その後の自由時間。
中庭のベンチに座る二人。
風が静かに吹き抜けていく。
「ねぇレイサン」
「なんだ」
「ここってさ、外より時間
ゆっくりな気がしない?」
「……どういう意味だ」
「なんかね〜焦らなくていい感じ。」
「……」
レイサンは少し考える。
「外は、選択が多いが、
ここは、選択が少ない」
「うんうん」
「だから迷う必要がない」
「……なるほどね〜」
天狐は空を見上げる。
「じゃあさ、
ここも悪くないってこと?」
「環境としてはな」
「じゃあさ」
くるっとレイサンの方を見る。
「ここにいる間くらいは、
ちょっと楽に生きてもいいよね」
「……」
その言葉は、軽いようでいて。
どこか芯があった。
「……ああ」
短い返事。
だが、それで十分だった。
午後。
軽い作業の時間。
単純作業を淡々とこなしていく中で、天狐はやはりマイペースだった。
「これさ〜、
もうちょい効率よく
できそうじゃない?」
「規定通りにやれ」
「え〜つまんな〜い」
「問題を起こすなよ。」
「起こしてないよ!改善提案だよ!」
「採用されない」
「即否定!?」
そんなやり取りを繰り返す。
周囲の囚人たちも、
次第にそれを“いつもの光景”
として受け入れていた。
笑い声すら、ぽつぽつと混じる。
あの一件で生まれた“距離”は――
いつの間にか、消えていた。
作業終わり。
廊下を歩きながら、
天狐がぽつりと呟く。
「なんかさ」
「……?」
「普通だね、今日」
「……ああ」
「こういうの、嫌いじゃないなぁ」
「……俺もだ」
言ったあとで、自分でも少し驚く。
だが、訂正はしなかった。
天狐はにこっと笑う。
「でしょ?」
夜。
消灯前。
ベッドに横になりながら、
天狐は天井を見つめていた。
「ねぇレイサン」
「なんだ」
「明日もさ、こんな感じかな」
「……さあな」
「そっか。でもさ」
少しだけ間を置いて。
「たぶん、大丈夫だよね」
「……何がだ」
「いろいろ」
曖昧な言葉。
だが――
「……ああ」
レイサンは、それを理解していた。
静寂が訪れる。
今日もまた、何も起きなかった一日。
だが――
それは決して“退屈”ではなかった。
むしろ、どこか心地よい。
疑念はもうない。
恐れもない。
ただそこにあるのは――
ゆるやかで、確かな日常。
そしてその日常の中で。
二人の距離は、確実に縮まっていた。
……続く。
