見出し画像

INVERT ROLE 第57話 世界王者へ ― 決勝アメリカ戦(前編)

7月25日。

リオデジャネイロ。
エスタジオ・マラカナン。

世界中の視線が、一つのピッチへ集まっていた。

スタジアムを埋める歓声は、まだ試合前だというのに止まらない。

青と赤。
二つの応援が入り混じる。

その中心で、日本代表は静かだった。

ここまで来るために、準備はすべて終えている。
残っているのは、90分だけだった。

ロッカールーム。

誰も無駄な言葉を口にしない。

スパイクの紐を結び直す者。
テーピングを確かめる者。
目を閉じる者。

それぞれが、それぞれの時間を過ごしていた。

久保は静かに息を吐く。

積み上げてきたものを、すべて出す日だった。

だからこそ、余計なことは考えない。
目の前の一試合だけを見ていた。

〇〇は全員を見渡す。

〇〇:楽しんでこい。

短い一言だった。

それだけで十分だった。

久保が立ち上がる。
それに合わせるように全員が腰を上げた。

最後に立ったのは梅澤だった。

全員を一度だけ見渡す。

梅澤:行こう

いつもの声だった。
その一言だけで十分だった。

スパイクの音がロッカールームへ響く。

長いトンネルを抜け光が近付く。

歓声が大きくなる。

そして11人が、マラカナンの芝を踏んだ。


実況:日本、準決勝から山下美月と遠藤さくらが復帰です!そして賀喜遥香もイタリア戦以来のスタメンへ戻ってきました!

解説:スペインとの初戦以来のスタメンです。世界へ最初に示した日本の完成形が、ここで再び並びましたね。

実況:決勝の舞台で戻ってきましたね。

解説:ただ、同じ11人ではありません。ここまで何度も形を変えながら勝ち上がってきた。その経験を持った上で、もう一度この11人が並んでいます。

両チームが整列する。
国歌が流れる。

アメリカの選手たちも、一人ひとりが前だけを見つめている。

世界ランキング一位。

その実力に相応しい落ち着きをまとっていた。

ホイッスル。

世界一を決める90分が、始まった。

開始からアメリカは迷わず前へ出た。

オリヴィア・モーガンを中心にテンポを作り、左右へ大きく揺さぶる。

日本も慌てない。
田村が中央を閉じ、久保が角度を作る。

最終ラインも高く保ったまま、一歩も引かない。

開始5分。

左でブルック・リードがボールを受けた。
一歩目から縦だった。

山下が間合いを詰める。
身体をぶつける。

それでも止まらない。

実況:リード速い!

解説:積極的に仕掛けますね!

リードはそのままクロスを狙う。

だが山下が最後まで身体を入れ、ボールはゴールラインを割った。

日本もすぐに反撃へ移る。

筒井から梅澤、田村、久保へと細かく繋ぎながら前へ運ぶ。

だが、アメリカも簡単には飛び込まない。
ウォーカーを中心に全員が同じタイミングでラインを押し上げ、選手間の距離も崩れない。

互いに一歩も譲らないまま、決勝に相応しい緊張感だけがピッチを支配していた。

10分。

アメリカの攻撃は止まらない。

モーガンが中央で時間を作る。
リードが左で仕掛ける。

日本が寄せれば、今度は逆サイドへ展開する。
ボールが右から戻される。

最後はカーター。

ゴール前へ鋭く入り込む。

賀喜も離れない。
身体をぶつけ続け、最後まで自由だけは与えなかった。

それでもカーターは右足を振り抜く。

筒井が右手一本で弾き出した。

実況:カーター!!筒井止めた!!

解説:筒井選手も見事ですが、その前の賀喜選手の寄せが大きかったですね。最後まで自由に打たせなかったからこそ、筒井選手もコースを限定できました。怪我明けとは思えませんね。

スタジアムがどよめく。

だが筒井は慌てない。
こぼれ球を確認しながら最終ラインへ声を送る。

筒井:大丈夫です

梅澤が頷く。

すぐに最終ラインへ手を振った。

梅澤:そのまま。距離だけ!

賀喜と五百城が同時にラインを押し上げる。

15分。

今度は日本がボールを握る。

五百城が高い位置を取る。
田村を経由し、久保が最終ライン近くまで降りる。

アメリカは付いてこない。
ならば運ぶ。

久保は数メートルだけ前へ持ち出した。

モーガンが出る。

その瞬間、右の山下へ展開する。
山下はワンタッチで井上へ付けた。

井上も止めない。
遠藤へ預ける。

遠藤は身体を当てながら落とす。

もう一度久保。

日本のリズムが少しずつ整い始める。

実況:日本も落ち着いてきました!

解説:久保選手が低い位置で触り始めましたね。タイドロジックの形でアメリカの守備基準を少しずつ動かしています。

五百城が高い位置まで押し上げる。

最初は大外へ開く。
池田が内側へ入り、ウォーカーの視線を引き付けた。

次の瞬間、五百城は内へ絞る。
池田は外へ流れる。

アメリカの守備が一瞬だけ迷う。

それでも五百城は無理をしない。
久保へ戻す。

もう一度作り直した。

アメリカは完成されたチームだった。
簡単には崩れない。

それでも日本も崩れない。

モーガンが動かせば、久保が動かす。
リードが走れば、山下が走る。
左へ展開されれば、五百城が素早く寄せて前を向かせない。
カーターが収めれば、梅澤と賀喜が跳ね返す。

互いに一歩も譲らない。

20分。

日本が再び左から組み立てる。

久保が最終ラインまで降りる。
田村を経由し、ボールは五百城へ渡った。

五百城は内へ絞る。
池田は大きく外へ開く。

五百城は前へ運ぶ。

モーガンが寄せる。
その瞬間、井上へ差し込んだ。

井上は反転。
迷わず右足を振り抜く。

強烈なミドルシュート。

だがウォーカーが身体を投げ出してブロック。
ボールはコーナーキックへ逃げた。

実況:日本もシュートまで持っていきます!!

解説:崩し切れてはいませんが、五百城選手が内へ入ることで中央に人数を掛けられていますね。アメリカも少しずつ対応が難しくなっています。

日本の圧力は、少しずつ強さを増していた。

22分。

今度は右だった。

久保の展開を受けた川﨑が、縦へ一気に加速する。
対峙したSBを振り切り、そのままゴールライン際まで運んだ。

山下が内側へ走る。
川﨑はヒールで落とす。

山下は迷わず右足を振り抜いた。

低いシュート。

だがGKが正面で抑える。

実況:今度は右から日本!!

解説:川﨑選手のスピードが効いていますね。山下選手も内側へ入る形でフィニッシュまで持っていきました。日本の狙いが少しずつ形になっています。

25分。

スコアはまだ動かない。

それでも試合の空気は、少しずつ日本へ傾き始めていた。

久保が降りる回数が増える。

五百城は大外へ開いたかと思えば、次の場面では田村の横へ絞る。
池田もそのたびに外と内を入れ替えた。

アメリカの守備基準が、わずかに揺れ始めていた。

30分。

日本は自陣から組み立て直す。
筒井から梅澤、田村、久保へとボールが渡る。

アメリカは前線が圧力を掛けるが、中盤は飛び込まない。
モーガンも距離を保ったまま久保を見続けていた。

久保は急がない。
一度だけボールを止めると、モーガンが半歩前へ出る。
その瞬間、右の山下へ通した。

山下は縦へ付けず井上へ預ける。
井上も無理には前を向かず、遠藤へ当てる。

遠藤は背負ったまま落とし、もう一度山下へ。

日本はボールではなく、人を動かしていた。
そのためだけにボールを繋ぎ続ける。

解説:日本、少しずつ握り始めましたね。

実況:アメリカも奪い切れません!

山下は右で大きく幅を取る川﨑を見る。

川﨑がSBを引き出した。
空いた内側へ山下が入り、中央へ戻す。

久保、田村、そして五百城へとボールが左へ移る。

五百城は一歩だけ前へ運ぶ。

リードが戻り、カーターも下がる。
モーガンは中央を締めたまま飛び込まない。

それでも日本は慌てなかった。

五百城は久保へ戻し、久保は大きく向きを変える。
右へ展開したかと思えば、再び左へ。

ボールが揺れるたびに、アメリカの守備ブロックも少しずつ横へ広がっていった。

実況:日本、焦りません!

解説:この時間が日本らしいですね。相手を動かし続けています。

32分。

久保が左へ展開する。
五百城はワンタッチで外へ流した。

池田が受ける。
ウォーカーとの一対一。

一気に縦へ持ち出すと、ウォーカーも最後まで食らい付く。

池田は深く切り返し、もう一度縦へ仕掛けた。

ウォーカーを振り切り、右足を振り抜く。

だがGKが足先で触れ、ボールはゴールラインを割った。

実況:池田、今度は一人で行きました!!

35分。

アメリカが前へ出てモーガンが久保へ寄せる。

日本は慌てず、その背後へ田村が入り、ワンタッチで井上へ。
井上も止めずに遠藤へ繋ぐ。

遠藤はゴールを背に収めようとするが、ウォーカーが素早く身体を入れた。

ボールは大きくクリアされ、スタジアムがどよめく。

解説:日本、形は作れています!

遠藤は悔しそうに息を吐く。

遠藤:もう一回。

久保は静かに頷いた。

久保:うん。

焦る必要はなかった。

日本の形は崩れていない。

むしろ時間が経つほど、その完成形へ近付いていた。

38分。

日本が再び押し込む。

久保が最終ラインまで降りる。

モーガンが迷う。

その間に山下が高い位置を取り、右の川﨑へ縦パスが入った。

川﨑はワンタッチで山下へ落とす。
山下はそのまま右足でクロスを送る。

ファーへ流れたボールに遠藤が飛び込みヘディング。

だがGKが正面で弾き出した。

実況:惜しい!!日本、決定機です!!

解説:右サイドでようやくズレを作りましたね。川﨑選手が一度受けたことで山下選手が前を向けました。

日本の圧力は、少しずつアメリカを押し込み始めていた。

40分。

筒井から短く繋ぐ。

梅澤、賀喜、そして久保。

カーターは追わない。
モーガンも迷う。

その一瞬だった。

久保が前を向く。

左では五百城が大外へ開く。
池田はその内側へ入り、ウォーカーを引き付けた。

次の瞬間、五百城は内へ絞る。
今度は池田が外へ流れる。

山下は右で高い位置を保ち、川﨑も幅を取ったままSBを縛る。
井上は中央へ降りる。

日本の全員が、同じ呼吸で動き始めた。

五百城が左で受ける。

距離を詰める。
それでも止まらず一歩だけ前へ運び、寄せ切る直前で井上へ差し込んだ。

井上は背後から寄せるモーガンを感じながらも無理には前を向かず、ワンタッチで久保へ落とす。
久保も止めない。

ボールは一気に右の山下へ展開された。

日本の重心が一気に右へ寄る。

アメリカも迷わずスライドする。

だが左では、五百城と池田の立ち位置がまた入れ替わる。

ウォーカーが一瞬だけ足を止めた。
そのわずかな迷いが、日本に次の一手を与えた。

ウォーカーが中央を締める。
リードも戻る。

山下は仕掛けない。
井上へ預ける。

井上は右足のアウトでわずかにボールをずらした。

遠藤が降りる。
CBが迷わず付いていく。

その一歩だけで十分だった。

空いた中央へ池田が走り込む。

井上は迷わない。
針の穴ほどしかない隙間へ、右足を振り抜く。

低く鋭いスルーパスが池田の足元へ吸い込まれた。

ウォーカーが身体を投げ出す。
だが届かない。

池田は左足で前へ運び、そのままGKとの一対一を迎える。
飛び出すGK。

それでも最後まで慌てなかった。

右足を振り抜く。

低いシュートはGKの脇を抜け、そのままゴール右隅へ吸い込まれた。

実況:決まったぁぁぁぁぁぁぁ!! 池田瑛紗!! 日本先制!! 決勝で、ついに均衡を破りました!!

マラカナンが揺れる。

池田はゴールネットを一度だけ見た。
すぐに振り返る。

探していたのは井上だった。

池田:和ー!!

井上も笑った。

池田へ一直線に駆け出す。
二人は強く抱き合った。

「パスは出すから」

あの約束が、決勝の舞台で現実になった。

その輪へ久保が飛び込み、遠藤、山下、川﨑も続いた。

気付けば日本の選手たちが一つの塊になっている。

実況:グループリーグではゴールを量産!! しかし決勝トーナメントでは沈黙!! それでも最後はこの選手でした!!

解説:池田選手は決勝トーナメントに入ってから献身的な守備や走りでチームを支えていました。ただ、本人が一番欲しかったのはゴールだったはずです。その一本を最後に井上選手が届けました。本当に見事な二人でしたね。

スコアボードは、日本1―0アメリカ。

それでも誰一人として浮かれない。

久保はセンターサークルへ戻りながら、静かに手を叩いた。

久保:まだあるよ。

その一言で、日本はもう次のプレーへ気持ちを切り替えていた。

再開。

アメリカの表情は変わらない。
失点しても焦らない。

モーガンが静かに両手を叩く。

モーガン:もう一回。

その一言で十分だった。

前半45分。

アメリカはすぐに反撃へ出る。

モーガンが中央で受けるが、田村が素早く寄せる。
それでもワンタッチで外し、右へ展開した。

さらに中央へ折り返す。
待っていたのはカーターだった。

賀喜が身体を寄せる。
それでもカーターは反転し、右足を振り抜いた。

低いシュートがゴール右下を襲う。

筒井が横っ飛びで弾き出した。

実況:また筒井!!

解説:日本、全員で守りましたね!筒井選手のセーブから梅澤選手、そして五百城選手まで、一つもプレーを切らしませんでした。

跳ね返ったボールへリードが詰める。

梅澤は一歩前へ出る。
ラインを下げない。

身体ごと投げ出した。
ボールは大きくクリアされる。

セカンドボールへ真っ先に反応したのは五百城だった。
身体を入れて奪い切ると、そのまま久保へ預け、日本はもう一度落ち着きを取り戻した。

歓声がどよめきへ変わる。

カーターは頭を抱えた。
リードは悔しそうに唇を噛む。

それでも下を向かない。

世界最高峰の実力は、最後まで揺らがなかった。

前半アディショナルタイム3分。

日本は無理に攻めない。
久保がテンポを落とし、田村へ預ける。

再び久保へ戻ると、右の山下へ展開。
さらに賀喜まで下げながら、ボールを動かして時計を進めていく。

アメリカも前から追う。

それでも飛び込まず、最後まで守備の距離を崩さない。
互いに集中を切らさないまま時間だけが流れ、やがて前半終了のホイッスルがスタジアムに響いた。

日本 1―0 アメリカ。

選手たちは足早にロッカーへ戻る。

リードは息を整えながらモーガンを見る。
カーターは悔しそうに芝を叩いた。

一方、日本の表情にも笑顔はない。

まだ45分残っている。

1点では終わらないことを、日本の全員が理解していた。

いいなと思ったら応援しよう!