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INVERT ROLE 第49話 転潮 ― 準々決勝フランス戦(前編)

7月16日。

サルヴァドール
アレーナ・フォンチ・ノヴァ。

準々決勝。

スタジアムは日本とフランスの青で埋まっていた。

同じ色の歓声がぶつかり合う。

スペインを倒し、デンマークを制圧し、ナイジェリアを飲み込み、イタリアとの死闘も越えた。
その先で待っていたのがフランスだった。

ここまで来れば、挑戦者ではいられない。

勝てばベスト4。
負ければ終わりだった。

その単純な事実が、スタジアム全体を静かに重くしていた。

ホワイトボードを見れば、それは嫌でも分かった。

いつもの右CBに賀喜の名前はなく、中盤の底にも田村の名前はない。
右WGには、川﨑もいなかった。

賀喜と田村はスタンドから見守る。
川﨑はベンチにはいる。だが、今日は使わない。

代わりに入るのは林と与田と蘭世。
そして、形は3バック。


誰も不安を口にしない。
だが、全員が分かっていた。

今日は、いつもの日本ではない。

山下は右のウイングバックの位置を見つめた。
いつものように内側へ入り、構造を動かす。

それでも今日は、背後を消してくれる賀喜がいない。

林は立ったまま、スパイクの爪先で床を軽く叩いていた。
その肩には、いつもより少し力が入っている。

〇〇はホワイトボードの前で、マグネットへ触れないまま口を開いた。

〇〇:前半、焦れるな

〇〇は全員を見回した。

〇〇:試合を残せ。最後に一点多く取ればいい

梅澤が立ち上がる。
その動きだけで、周囲の視線が集まった。

梅澤:行こう。ここで終わるチームじゃないよ

扉が開く。
歓声が流れ込んでくる。

準々決勝が、すぐそこにあった。

通路へ出ると、空気の温度が一段変わった。

フランスの選手たちは、先に整列していた。

ベルナールは真っ直ぐ前を見ている。
ガルニエは軽く首を回し、デュボワは身体を揺らしていた。

そして中央に、モローがいた。
そこにいるだけで周囲の立ち位置が整って見えた。

久保はその横顔を一度だけ見た。
モローも同じタイミングで視線を向ける。

相手を止める目ではない。
試合そのものを読んでいる目だった。

その張り詰めた空気の中でも、わずかな会話はあった。

モロー:テレサ

池田が顔を上げる。

モロー:今日は敵同士だね

池田:そうですね

モロー:良い試合を

池田:うん

短いやり取りだった。

少し前では、ガルニエが井上を見つけて笑う。

ガルニエ:ナギ、今日も私にパス出せよ

井上:なんでだよ

ガルニエ:いつも出してるだろ

井上:今日は敵だって

ガルニエ:残念

二人とも少しだけ笑った。

後ろでは、デュボワが蘭世の肩を軽く叩く。

デュボワ:今日は勝負だな

蘭世:望むところ

その空気も、列が動くと同時に消えた。

国歌が終わる。

円陣。

梅澤が中央で声を落とす。

梅澤:最初の入り、落ち着いて。絶対にバラけない

全員が頷く。

ホイッスル。

フランスボールで試合が始まった。

立ち上がり、フランスは急がない。

モローが一度降りる。
久保が寄る。

モローは前を向かず、ワンタッチで逃がした。

それだけで、フランスが少し前へ出る。
日本も追わない。

遠藤が中央を切り、井上は縦パスを消しながら距離を保つ。

もう一度モロー。
今度は右へ展開する。

デュボワへ入る前に、蘭世が身体を当てた。
デュボワも無理はしない。

互いに探り合うような立ち上がりだった。

5分。

日本が初めて落ち着いて保持に入る。

筒井から梅澤へ。
ボールは左を経由し、右の山下へ渡った。

山下はいつものように内側を見る。

久保が近い。
井上もライン間で顔を出している。

日本の形だった。

山下が中へ入ろうとした瞬間、モローがそこにいる。
強く寄せてくるわけではない。

それでも、久保への角度と井上への角度が薄く消えていた。

山下は逆サイドへ展開し、蘭世が前へ運ぶ。
だが、デュボワの戻りが速い。

蘭世は縦へ出切る前に引っかかり、ボールはタッチラインを割った。

蘭世:戻るの早いな

9分。

日本はもう一度右から作り直す。
久保が低い位置へ降り、林の前でボールを引き取った。

フランスは強く奪いに来ない。

遠藤が降りる。
井上がその背後へ入る。

池田も内側へ絞った。

出せる場所はある。

久保が遠藤へ縦を入れる。
遠藤はベルナールを背負いながら落とそうとした。

だが、その先にモローがいた。

久保のパスも、遠藤のタッチも悪くない。
それでも、次のボールだけが日本へ返ってこない。

モローは奪うとガルニエへ繋ぐ。
フランスが前進しかけたところで、与田が身体を入れて外へ逃がした。

日本のスローイン。

遠藤は小さく首を振った。

遠藤:……今の、戻せなかった

久保:もう一回。位置は悪くない

そう言いながら、久保の視線はもうモローへ向いていた。

12分。

フランスが右へ振る。

池田が戻る。

蘭世が外へ出る。
ガルニエが中央へ落ち、モローがその背後で受け直した。

井上が寄せる。
モローは前を向かない。

身体の向きだけで井上を一歩内側へ引きつけ、すぐにデュボワへ展開する。

右へ。
一気に幅が変わる。

デュボワが走る。

蘭世は間に合っている。
それでも、デュボワの推進力は止まらなかった。

蘭世が身体を当て、クロスをブロックする。

CK。

フランスの最初のセットプレーだった。

ベルナールがゆっくりと上がってきた。
梅澤がその横へ付く。

五百城も中へ絞る。
林はファーを確認し、井上がペナルティスポット周辺へ戻る。

筒井はゴールラインから一歩前に立ち、静かに周囲を見た。

筒井:ニア、切ってください

梅澤:分かった

モローがボールの前に立つ。

助走は短かった。
派手なキックではない。

だが、振り抜かれたボールはニアでもファーでもない中間の空間へ鋭く落ちてきた。

前へ出るには遠い。
待つには近い。

GKにとっても、DFにとっても一番嫌な場所だった。

梅澤が身体を当てながら競りに行く。
ベルナールも負けない。

空中でぶつかり合ったまま跳び上がり、そのわずかな競り合いを制したベルナールの額がボールを捉えた。

軌道が変わる。

筒井はすぐに反応した。
大きく飛ぶのではなく、横へ一歩滑るように動く。

だが、その指先が届くより先に、ボールはゴールへ吸い込まれていった。

ネットが揺れた。
一瞬遅れて、スタジアムが爆発する。

実況:決まったぁぁぁ!! フランス先制!! マノン・ベルナール!!

歓声が落ちてくる。

ベルナールは走らない。
着地した場所へ仲間たちが集まり、小さな輪ができる。

モローもそこへ加わる。
だが、喜びは長く続かない。

フランスはすぐに自陣へ戻っていった。
まるで、決まるべきものが決まっただけのように。

梅澤はゴールの中へ転がったボールを見てから、すぐに顔を上げる。

梅澤:切り替えるよ。まだ1点

筒井はネットの中からボールを拾い、久保へ投げた。
表情は変わらない。

久保は受け取ったボールを抱えたまま、センターサークルへ歩く。

久保の中には別の感覚が残っていた。

あのCKは偶然ではない。
その手前に、フランスの積み重ねがあった。

再開。

日本は乱れなかった。

遠藤がボールを戻し、久保が一度後ろへ下げる。
梅澤、林、山下と繋ぎ、再び右から前進しようとする。

いつもなら、ここで試合の温度を一度自分たちのものに戻せる。

久保が触る。
山下が動く。
井上が前を向く。

その循環で、相手の歓声も少しずつ削れていく。

だが、フランスは下がらなかった。

先制したのに、引かない。
かといって、前から無理に奪いにも来ない。

日本が落ち着こうとする場所だけを、淡々と塞いでくる。

久保が中央で受ける。
遠藤が少し降りる。
井上が左肩越しに前を向きかける。

モローが寄る。

今度は久保が先に外へ逃がした。

山下が受け、一度だけボールを止める。
視線はすでに前へ向いていた。

蘭世が逆サイドで走る。
山下は迷わずに、右足を振る。

だが、ボールが伸びる前にデュボワが戻っていた。

頭で触る。
完全なクリアではない。

それでも蘭世の一歩目を殺すには十分だった。

こぼれ球はフランスへ。

与田がすぐ寄せる。
ボールは外へ逃げる。

またモローが受ける。
今度は久保が前へ出た。

身体を開くだけで、背後のガルニエへ流す。
久保の足が半歩だけ空を切る。

ガルニエはすぐ戻す。
さらにもう一度落ちる。

モローはそこを見逃さない。
縦へ通そうとする。

与田が飛び込んだ。
その二人を繋ぐ線だけは切らせたくなかった。

だが、わずかに遅い。
足はボールではなく、ガルニエの身体に掛かった。

笛。

スタジアムがざわつく。
与田は何も言わない。

主審がポケットへ手を入れる。

イエローカード。

実況:与田に警告です

解説:モローとガルニエのラインを切りに行きましたね。日本としては危険になる前に止めたかった

ベンチの設楽が顔を上げる。
〇〇も一度だけ主審を見る。

実況:これで与田は今大会2枚目の警告です。日本が勝ち上がった場合、準決勝は出場停止となります

与田は何も言わない。
ただ一度だけ頷くと、すぐに自陣へ戻っていった。

梅澤:中、締めて!

与田:戻る!

崩れてはいない。
それでも、戻る回数は増えていた。

20分を過ぎる頃には、スタジアムの空気が少しずつフランス側へ傾き始めていた。

久保はもう一度中央で受ける。

遠藤は降りない。
井上が高い位置で止まる。

池田が内へ入り、山下が右で幅を取った。

フランスの中央に、一瞬だけ穴が見える。

久保は迷わず井上へ差し込んだ。

井上は半身で受ける。

だが、ベルナールが背後から寄せ、モローが正面を消した。

前へは出られず遠藤へ預ける。
遠藤もすぐに戻す。

ボールは久保へ返った。

流れは切れていない。
それでも、前進だけが消えていた。

24分。

日本が左から押し込む。

池田がようやく一対一で受けた。
デュボワを外し、中央へ流す。

井上が前を向き右足を振る。
だが、そのコースへベルナールが入りブロック。

こぼれを与田が拾い、もう一度久保へ繋ぐ。

久保は右を見る。
山下へ通せる。

そう思った瞬間、モローが先に出ていた。

ボールはタッチラインを割る。

山下は思わず顔をしかめた。

山下:早いって

28分。

フランスが一度落ち着かせる。

GKからベルナール。
ベルナールから左CB。
そしてモロー。

久保が寄る。
井上も背後から挟みに行く。

モローはそれでも慌てない。

二人の間へ身体を入れ、ボールを隠すように一度足裏で止めた。

その止める一拍で、ガルニエが動いた。

まだ遠い。
日本の最終ラインも揃っている。

だから危険には見えなかった。

だが、モローはその一拍だけで十分だった。

身体を開く。
右足のインサイドで、縦へ刺す。

高くない。
強すぎない。

しかし、梅澤と林の間、ほんのわずかな隙間を、ボールは滑るように抜けていった。

ガルニエが走る。

林が反応する。
梅澤も身体を向ける。

筒井が前へ出る準備をする。

すべてが遅いわけではなかった。

だが、最初の一歩だけ、ガルニエの方が早かった。

ガルニエはペナルティエリアへ入る。
筒井が距離を詰める。

右へ打つように見せる。

筒井は動かない。

ガルニエはそのまま左へ流し込んだ。

ネットが揺れる。

実況:ガルニエぇぇぇ!! フランス追加点!! モローの一本から、一瞬で突き刺しました!!

歓声が、さっきより大きく落ちてきた。

日本 0―2 フランス。

梅澤はすぐに手を叩いた。

梅澤:まだ下向かない!

林は唇を噛む。
自分の位置が悪かったわけではない。

梅澤との距離も、致命的に広かったわけではない。

それでも通された。
その事実が重かった。

筒井はゴールの中からボールを拾う。

今度はすぐには投げなかった。
数秒だけ、前を見ていた。

フランスの選手たちは喜びながらも、すぐに戻っていく。
モローだけは、ガルニエと軽く手を合わせただけだった。

久保はセンターサークルへ戻りながら、呼吸を整えた。

まだ前半。
だが、今度は流れの中で切られた。

遠藤がボールの前へ立つ。

再開を待つ間、井上が久保の横へ来た。

井上:前、向ける時間が少ないです

久保:分かってる

山下も近づく。

山下:右、少し早めに出す?

久保はすぐには答えなかった。

中央にはモローがいる。
遠藤にはベルナールがいる。

外へ逃がしても、その先が続かない。

正解が、すぐに消える。

再開後、日本は前へ出た。
当然だった。

0-2。

前半のうちに一点でも返したい。
その気持ちは、全員の中にあった。

山下が右で高い位置を取る。
蘭世も左で前へ出る。

井上はライン間へ立ち続け、遠藤は降りすぎることなくベルナールの背中を引っ掛けていた。

久保が受ける。
今度は戻さない。

縦へ差し込まれたボールを井上が触り、そのまま池田へ流す。

池田が中へ運ぶと、フランスの守備が一瞬だけ下がった。
その隙を逃さず右足を振る。

だが、シュートはベルナールの足に当たった。

こぼれ球へ遠藤が反応する。
それでも、その前にはもうモローが戻っていた。

またそこにいる。

モローは奪うと同時に顔を上げる。

久保が寄る。
与田も走る。

だが、二人が距離を詰め切る前にボールは右へ流れていた。

蘭世が高い位置を取っていたぶん、その背後には広いスペースが残っている。
五百城もすぐにスライドする。

だが、デュボワの加速は、その予測をさらに上回った。

二歩目には五百城の横を取り、右側のスペースが一気に広がった。

スタジアムの音が一気に前へ走る。

デュボワが運ぶ。

蘭世が必死に戻る。
林も中央へ絞る。

梅澤がガルニエを確認する。

だが、ガルニエは一度止まっていた。
走り込むのではない。

止まって、林と梅澤の間にわずかな空白を作っている。

デュボワはそこへ入れた。
低く速い折り返し。

ガルニエが合わせる。

筒井が反応する。

触れない。
ネットが揺れた。

実況:またガルニエ!! フランス、3点目!! デュボワの爆走から、最後はエースが仕留めました!!

音が遠くなった。

日本 0―3 フランス。

フランスの選手たちがガルニエへ集まる。
スタジアムは完全にフランスのものになっていた。

梅澤はすぐに手を叩いた。

梅澤:まだ終わってない!! 顔上げて!!

その声は強かった。
だが、いつもより少しだけ遠く聞こえた。

試合だけが自分たちの手から滑り落ちていく。

前半終了まで、まだ数分あった。

日本はそれでも前へ出る。

久保から山下。
山下は内側へ入りながら井上へ差し込む。

井上は前を向こうとするが、その瞬間にはもうフランスの守備が潰しに来ていた。

こぼれ球を与田が拾う。
もう一度久保。

今度は左へ展開する。

池田が受ける。
一人目をかわす。
それでも終わらない。

すぐに二人目が寄ってくる。

池田は倒れない。
身体を残したまま前へ運ぶ。

だが、最後の一歩だけが足りない。

シュートまで届かず、ボールは外へ逃げていった。

日本が前へ出た場所だけを回収し、次のカウンターの匂いを残し続ける。

アディショナルタイム。

山下が右で受ける。
今度は迷わず縦へ出した。

中央の遠藤へ斜めに入れる。

遠藤が収め、ベルナールを背負いながらも潰れずに落とす。

井上が右足を振る。
強いシュートだった。

だが、フランスGKが正面で弾く。

こぼれ球へ池田が詰める。
その前にベルナールが身体を投げ出す。

ボールは大きく外へ逃げた。

CK。

山下がボールを持つ。

それでも日本は全員で前へ出た。

山下のキックは鋭かった。
だが、梅澤との競り合いへ今度もベルナールが先に入り、ボールは外へ弾き返される。

そこで笛が鳴った。

前半終了。

日本 0―3 フランス。

ここまでの大会で初めてだった。

何を修正すればいいのか。
その答えだけが、まだ見えていなかった。

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