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INVERT ROLE 第44話 膠着 ― 決勝トーナメントへ

7月8日。

リオデジャネイロ。

ナイジェリア戦の熱は、まだ街の中へ残っていた。

ホテル前には朝から人が集まっている。
日本代表のバスが動くたび、歓声が上がる。

リオで一泊した翌朝。

日本代表は、そのままサンパウロへ戻った。

空港にも、日本代表を待つ人だかりができていた。

移動バスの中は静かだった。
ナイジェリア戦の消耗が、まだ残っている。

遠藤は後方席で目を閉じている。
池田も珍しくイヤホンを外したまま、窓の外をぼんやり見ていた。

山下はスマホの画面を見たまま、静かに目を細めていた。

スマホには、ラウンド16の対戦表が映っていた。

ITALY。

その横で、久保は何も見ていない。
窓の外を見たまま、小さく息を吐く。

遠藤が前を向いたまま呟いた。

遠藤:イタリア、絶対嫌な試合になるよね

田村も頷く。

田村:ナイジェリアの次にやる相手じゃない

誰も否定しなかった。

サンパウロのホテルへ戻ると、スタッフたちが拍手で迎えた。

ただ、選手たちは大騒ぎしない。
軽く頭を下げ、そのまま各自の荷物を持ってロビーを抜けていく。

見慣れたホテルだった。
それでも、空気だけは少し変わっている。

ホテル周辺の警備は明らかに増えていた。

決勝トーナメント。

ここから先は、一試合で終わる。
それを、誰もが理解していた。

午後はリカバリー中心だった。

ナイジェリア戦の出場組は、軽く身体を動かすだけで終える。

その横では、菅原、小川、一ノ瀬が狭いエリアで細かくボールを回していた。

テンポを落とさない。
止めない。

一ノ瀬は時折、山下の立ち位置を確認するように内側へ入り直している。

練習後。

夜のミーティングルーム。

照明が落ちる。

前方スクリーンには、イタリアのグループリーグ成績が映し出されていた。

アルゼンチン戦 3-1。
カナダ戦 0-0。
韓国戦 0-0。

1勝2分。

得点は3。
失点は1。

〇〇が静かに口を開く。

〇〇:第1節だけ別チームだと思え

映像が切り替わる。

アルゼンチン戦。

ヴィットリア・ヴァレンティ。

マンチェスター・ユナイテッド所属。
今大会ここまで3得点。

イタリアの絶対的エース。

一人で試合を壊せる。

身体をぶつけながら、そのまま二人持っていく。
押されても止まらない。

競り合いのまま強引に前を向き、そのまま右足を振り抜いた。
さらに次の場面でも、競り合いごと押し込みながらネットを揺らしていた。

賀喜が思わず苦笑する。

賀喜:いや、これはどうやって止めるの……

与田も嫌そうな顔をした。

与田:だから言ってるじゃん。あいつ、ほんとクレイジーだから

梅澤が思わず吹き出す。

梅澤:与田に言われるなら、相当だね……

空気が少しだけ緩む。
筒井が静かに口を開いた。

筒井:でも祐ちゃん、毎回一緒にはしゃいでますよね

与田:巻き込まれてるだけだから!

小さく笑いが起きる。

だが。
映像が切り替わる。

ヴィットリアは、また競り合いの中で身体を残した。
DFに挟まれながらも倒れず、最後は強引に右足を振り抜く。

ハットトリック。

イタリアの3得点すべてを、一人で奪っていた。

だが、その試合でイタリアが喫した唯一の失点も、彼女だった。

CKの守備。
興奮が残ったまま戻ったヴィットリアが、クリアしようとしたボールを自陣ゴールへ流し込んでしまう。

3得点。
1失点。
その全部に、ヴィットリアの名前が絡んでいた。

そして後半AT。
ヴィットリアは相手DFとの揉み合いから足を出し、そのまま一発退場になっていた。

山下がモニターを見たまま呟く。

山下:……ほんとにクレイジー

賀喜:そういえばリーグ戦で私達との試合の時も出場停止でいなかったから、私戦ってないんだ

与田:まあシーズンの半分は退場でいないから

空気が少しだけ緩む。

〇〇:で、ここからが嫌なんだよ

スクリーンが変わる。

第2節。

カナダ戦。

ヴィットリアが出場停止で、イタリアは完全に別のチームになっていた。

前へ出ない。
無理に奪いにも来ない。

ラインを揃え、耐える。
まるで昔のカテナチオみたいな試合だった。

クロス。
折り返し。
シュート。

崩れたように見えた。

だが次の瞬間には、エレナ・グレコが身体を投げ出していた。

ユヴェントス所属。
イタリア守備陣の柱だった。

潰す。跳ね返す。
カテナチオを、そのまま身体にしたようなCBだった。

さらに、こぼれ球へ詰めた選手の前には、もうGKアリーチェ・バルディーニが立っている。

同じくユヴェントス所属。

大きい。
だが、それ以上に反応が速い。

崩したはずなのに、まだいる。
そんなタイプのGKだった。

それでも、イタリアの表情は変わらない。

梅澤が画面を見たまま口を開いた。

梅澤:一回崩したと思っても終わんないんだよね

林も苦笑する。

林:押し込んでる側の方が、途中から嫌になるんですよね

スクリーンの中で、またクロスが跳ね返される。

さらにそのこぼれ球も、別の選手が潰していた。

梅澤:しかも向こう、全然焦ってないからね

〇〇:耐え切れる。だから崩れない

設楽:0-0を受け入れられるチームだからね

日村も映像を見ながら、小さく口を開いた。

日村:しかも、90分ずっと当たり負けしないから厄介なんだよね

梅澤:削ってるつもりでも、気付いたらこっちの方が消耗してるんですよね

日村:攻めてる側の方が、最後に先に疲れる

次は韓国戦。

この試合もヴィットリアがいない。
だからイタリアは、ほとんど前へ人数を掛けない。

0-0でも構わない。
まず壊れない。

そんな空気だった。

その中心にいるのが、ルチア・ロマーノ。
ASローマ所属。

梅澤と同じクラブでプレーする、イタリアの司令塔だった。

ワンタッチ。
急がない。

だが、気付けば試合のテンポだけが少しずつイタリア側へ寄っていく。

スクリーンの中で、ルチアが接触を作る。

軽く倒れる。
笛。

また試合が止まった。

梅澤が苦笑する。

梅澤:これ上手いんだよなぁ……

再開。

今度は逆に、ワンタッチで縦を通す。
一気に前進。

久保が映像を見たまま、小さく呟いた。

久保:……切り替えが早い

梅澤:久保は試合を整える側だけど、ルチアは試合を崩す側なんだよね

田村が映像を見たまま、小さく息を吐く。

田村:相手のリズム壊すの、めちゃくちゃ上手いタイプか

梅澤:止める。焦らせる。嫌なタイミングで急に刺してくる

〇〇:焦れた側から崩れるタイプだな

部屋が静かになる。

ナイジェリアとは真逆だった。

熱で押し潰してくるわけじゃない。

待つ。
耐える。
焦れない。

そして、一瞬だけ試合を壊しに来る。

〇〇がホワイトボードへ視線を戻した。

〇〇:多分、今大会で一番綺麗に勝てない相手になる

アルノが静かに口を開く。

アルノ:逆に言えば、一番感情的になった側が負けます

誰も喋らない。
ただ、全員が画面を見続けていた。

7月9日。

サンパウロ。

この日の練習は、かなり静かだった。

強度は上がっている。
だが、無理にテンションを作る選手はいない。

練習後。

日村とアルノがコンディションデータを確認している。

井上の欄だけが、まだ少し赤い。

日村が小さく息を吐く。

日村:悪くはない。むしろ戻り早い方

アルノも頷いた。

アルノ:ただ、ナイジェリア戦も途中からだったからこそ爆発した部分はあります

井上は黙ったまま画面を見る。

そこへ〇〇が入ってくる。

〇〇:次も途中から行く

静かな声だった。

井上は少しだけ息を吐く。
ただ、反論はしない。

日村:数値上は、まだ90分の強度じゃない

アルノ:でも、途中からなら世界変えられるので

〇〇:だから焦るな

井上は小さく頷いた。

井上:……分かりました

その日の夜。

ミーティングルームには、一ノ瀬だけが残っていた。

スクリーンには、ナイジェリア戦後半の映像。

井上投入後。
タイドロジック。

日本のテンポが、一気に変わっていく。

そこへ設楽が入ってくる。

設楽:まだ見てるのか?

一ノ瀬は少しだけ笑った。

一ノ瀬:……結局、私の出番がなかったなって

本来、日本はタイドロジックをベースに大会へ入る想定だった。

その中で、一ノ瀬を組み込んだスカイロールも準備されていた。

だが、井上の負傷で前提が変わる。
結果として、日本は久保と山下を軸にした元祖ムーンロールをベースにグループリーグを戦うことになった。

そして、井上の復帰によってタイドロジックまで完成してしまった。
だからこそ、一ノ瀬の出番はまだ来ていなかった。

そこへアルノも隣へ来る。
アルノは少しだけモニターを見上げたまま、小さく口を開く。

アルノ:タイドロジックが完成したからって、スカイロールが無くなったわけじゃない

設楽は少しだけ笑った。

設楽:お前は流れ変わった試合で一番使うタイプだからな

アルノ:ただ、グループリーグはその流れにならなかっただけで

一ノ瀬は小さく息を吐いた。

一ノ瀬:まあ、分かってるけど……

少しだけ間が空く。

そのタイミングで、〇〇が部屋へ入ってきた。

一ノ瀬は少し姿勢を正す。

〇〇はスクリーンを見たまま口を開いた。

〇〇:トーナメントは、同じ試合にならない

静かな声だった。

〇〇:絶対必要になる。だから準備だけは切るな

一ノ瀬は少しだけ目を止める。

〇〇:腐るやつが一番いらない

一ノ瀬は、小さく笑った。

一ノ瀬:……そこは大丈夫ですよ

7月10日。

この日から、日本はイタリア対策をさらに細かく整理し始めていた。

ヴィットリアへの対人。
ルチアへ時間を与えない距離感。
そして、押し込み続けながら焦れないこと。

テーマははっきりしていた。

イタリアは、一度試合を止める。

空気を切る。
テンポを落とす。

そのまま、相手を焦らせて崩してくる。

だから日本も、無理に急がない。

押し込み続ける。
回し続ける。

その確認が、何度も繰り返されていた。

セットプレー練習も長い。

山下と井上がキッカー位置を確認し、梅澤と賀喜は何度もラインを揃え直していた。

その後も、練習は終わらない。

〇〇が短く手を叩く。

〇〇:PK入るぞ

空気が少しだけ変わった。

決勝トーナメント。
引き分けは、もうない。

静かなまま、選手たちがボールを持って並んでいく。

最初に蹴ったのは生田だった。

ゆっくりした助走。
最後までGKを見ている。

一瞬だけ重心が揺れた。
その逆へ、静かに流し込む。

飛鳥は、ほとんど表情を変えない。

短い助走。
次の瞬間、鋭いシュートが右上へ突き刺さる。

続く梅澤、久保、山下も、ほとんど迷いなくコースへ流し込んでいく。

その横で、清宮だけがやたらとうるさい。

清宮:いや絶対あるって! イタリア戦これPKあるって!!

高山が苦笑する。

高山:嬉しそうだね

清宮:そりゃ出たいですもん!

そのまま清宮がゴールマウスへ入る。

小川のシュートを弾き出す。

さらに菅原のコースも、完全に読んで止めていた。

清宮:ほらぁ! だからPKまで行ったら私なんだって!

筒井は少し離れた場所で、その様子を静かに見ていた。

清宮:あやめん、もしPK戦になったら代わってよ!

筒井:……別に、代わらなくても私が止めるから大丈夫

即答だった。

清宮:いや、その自信怖いって!

高山がまた苦笑する。

高山:2人とも頼もしいなぁ……

夕方のピッチへ、静かな笑いだけが残った。

7月11日。

朝のサンパウロは、まだ少しだけ曇っていた。
日本代表は、そのまま次の会場のブラジリアへ向かう。

空港の搭乗口にも、すでに多くの人が集まっていた。
短いフライトを終え、ブラジリアへ到着する。

乾いた空気。
サンパウロとも、リオとも違う景色だった。

そのまま、日本代表はブラジリア国立競技場へ入る。

前日練習。

巨大なスタジアムの中に、まだ歓声はない。

静かな客席。
その中央へ、日本代表の選手たちが出ていく。

久保は静かに芝を踏み、山下は右サイドのスペースを見る。
遠藤はゴールを見上げていた。

井上は一度だけ、スタンド最上段へ視線を向ける。

その横で、梅澤は何も言わず全体を見渡していた。

公開されるのは冒頭15分だけ。
そつなく練習は行われていった。

記者会見。

フラッシュ。
シャッター音。

イタリアメディアも増えている。

質問は、日本の完成度についてだった。

記者:日本は今大会、最も完成されたチームと言われています

〇〇は短く答える。

〇〇:まだ途中です

記者:イタリア戦は我慢比べになりますか?

〇〇:多分、綺麗な試合にはならないと思う

その横で、梅澤が静かに座っていた。

別の記者が視線を向ける。

記者:イタリアの守備をどう崩しますか?

梅澤は少しだけ考える。

梅澤:……多分、崩そうとした側から苦しくなると思います

一瞬、会見場が静かになる。

梅澤:でも、そこで焦れたら向こうの試合になるので

フラッシュがまた光る。

梅澤はそこで一度だけ言葉を切った。

梅澤:だから、多分……我慢するのは向こうも同じです

会見場の空気は、どこか静かだった。

ブラジリア市内の前泊ホテルへ入る。

窓の外には、ブラジリアの夜景が広がっている。

誰も騒がない。

ただ静かに、明日の試合だけを見ていた。

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