スイーツに沈む|ガット王国 第6話
昨日の焼肉の夜を越えて、ムチ横市場に再び“熱”が満ちていく。
だがそれは、静かに、そして甘く――。
低糖の午後
ムチ横市場では、朝から火力の調整が続いていた。
「……泡は立ってるけど、方向が散ってる。ねじれてるね、今日」
ルーチェは、発酵台を滑空しながら、気泡の流れを確認する。
熱量は足りていた――が、どこかしら“空回り”していた。
「……今日はまだミネラルも来ないし、今のところ、繊維もゼロか」
ミト子が炉の前で数値を見つめる。
「ご飯は食べてたけど、糖質、少なめね。あれだけ焼肉で燃やした後なのに」
「うん、朝も昼も、“食べた”には入るけどね〜」
ルーチェがふわっと泡の上を飛びながらつぶやく。
「エネルギー、足りてない感じ。ミト子ちゃん、エンジン空回りしてない?」
「気のせい……じゃないと思う」
ミト子はため息しかつけなかった。
材料がないのでは、打つ手もない。
「ねえ、昼のあと……血糖値、沈んでない?」
ルーチェの声に、ミト子が静かに頷く。
「落ち方が、早すぎる」
開宴!
そのときだった。市場の奥に、ふわりと甘い香りが流れこんできた。
「っ……これ」
ミト子が顔をしかめる。
「これは……乳製品系?」
リジィが鼻を利かせながら、刃を構える。
「ケーキだね。しかも、いっぱいだ」
ルーチェが天井の腸主モニターをちらりと見上げた。
「“あんなに傷ついたんだから、これくらいいいよね”って、言い聞かせてるよ……」
ルーチェは静かに呟く。
「きた……糖、糖、糖。しかも、速効性……」
ミト子は酸欠気味に言う。
「……高血糖からの急降下。これ、やるつもり?」
発酵の泡が踊り、膜がゆるみ、酵素たちが追いつけないまま、
甘味の津波が、善玉たちを押し流す。
カンジダ帝、第二形態
そのとき、ムチン層に震えが走った。
「“甘いの”の流入量、異常です!」
ファエコ隊長の声が響く。
そして現れたのは――
白スーツから、一部が金に変化したカンジダ帝。
「……ケーキはね、“自分を許す味”なんだよ」
艶めいた声が、発酵場に響く。
「帝、第二形態っすか!?」
ウェルチ隊長が爆裂ガスとともに降り立つ。
「今日も甘い!バチバチに甘いっすね!」
「ブタロ、数!」
黒カビ卿の低い声が、場を引き締める。
ブタロ兄弟が手分けしてカウントする。
「フロマージュスフレ、ショートケーキ、チョコガナッシュ、マンゴージュレ、3種のベリー、モンブラン、ミルフィーユ、マカロン……あとシュークリームと、フルーツタルト……あとなんだ、しょっぱいやつ?サンドイッチ?」
ピンクのアロハを着た甘味担当の兄が、辛党の弟を見る。
「サンドイッチは、“ご飯ということにする”って言ってたぞ。デザートじゃないって……意味あんのかね?」
オレンジのアロハの弟が、ニヤニヤ笑いながら、サンドイッチをカウントする。
「……血糖上昇に合わせて、ホルモン系のラインに侵入開始」
ヒソカっちが、配下のβグルクロニダーゼを操作し始める。
門脈さんが、顔を顰めた。
「え、昨日に引き続いて、今日も、また……?肝臓さんは昨日の処理も終えてないのに……」
周囲は、あっという間に圧倒的な甘さに包まれた。
「甘くて……重い。ミネラルは?B群は?……ない。どこにもない!おそらく、ゼロ構成」
ミト子が、わずかに目を伏せた。
「燃料じゃない。これ、私たち、燃やせない」
「ミト子ちゃん……」
ルーチェはそっと空中から、ぐったりして動きを止めているミト子を見下ろした。
「腸主……頑張ってたつもりだった。
筋トレして、体が準備できてないのも知らないで、プロテインだけ、飲んで。
また、次の日も、筋トレして、今度はきちんとお肉食べたつもりで。
でも、グルコースと、タンパク質と、野菜のビタミンと食物繊維が必要なの、知らないの。
浮気されて、裏切りと失恋の痛手にも耐えて、自分磨き、頑張ってたけど、体の仕組みを知らないから、ご飯を減らして、デザートに変えちゃう。
それで帳尻合うと思ってる。
こんなつらいのに、しっかり体のことも考えてる、と思ってる。
ミト子ちゃん、頑張って……ミト子ちゃんが崩れたら、腸主が崩れちゃう……」
ルーチェは、ため息をついた。
「でも、材料がないと、私たち、何にもできないね」
発酵の、沈黙
ベータ親方の工具が止まる。
ラクト姐の手元の火が揺らぐ。
そして、リジィの刀が振るわれることなく、鞘に戻された。
「……抑制結界、間に合わなかった」
ラクト姐がぽつりと呟いた。
ムチ横市場は、音を失った。
イリス、発光す
そのとき、腸壁の奥で、光が揺れた。
天井に浮かぶ腸主モニターが、ノイズを走らせる。
そこに映ったのは……。
うっすら光る青白い影――
微かに光る、淡いシルエット。
イリス――IBSを告げる者。
未だ“霧”のような存在だが、確かにそこにいた。
ルーチェは、その光に目を止めた。
昨日より、強まっている。
ルーチェは泡の上に舞い戻り、小さくつぶやいた。
「まだ、ぎりぎり。戻れる。
でも、もう“兆し”じゃない。これは、もう――“波”だよ。このままじゃ、繰り返し、“来る”……!」
その背後で、ムチン層がほんのわずかに、光を吸い込むように脈動していた。
彼女の声は、泡に溶け、誰にも届かなかった。
ムチ横市場の熱は今、ただ、甘く、とろけていた。
※この物語はフィクションです。
腸内のしくみを楽しく想像するための創作であり、医学的事実とは異なる部分があります。
ご自身の健康については、医療専門家にご相談ください。
