天は自ら助くる者を助く~未来へ恩を送る~
note内でお金にまつわるエピソードを募集されていましたので、書いてみようかと思いスマホを握っています。
こんばんは!
これは、つい最近行った島であったエピソードです。
私たちは、4人家族で旅をよくしています。
皆さんは、どんな大型連休を過ごしましたか?
私は、とても楽しく心が息を吹き返す旅が出来ました。
これは、まさに、世の中は華やいで、多くの人々は、広い世界を往来しているころにおきた、小さな勇気のお話です。
日常に疲れた現代の労働者は、我先にと、日常よりも活発に動いているのではないかと思えるほど輝く季節。
仕事帰りの私は、疲れた体を休ませることなく、車に乗り込み、夜明けに向かって家族と車で体を運びます。
その太陽の向こうへ旅立ちます。
私たちの目的地は、離島でした。
前日の車は、肌寒い気候で、天候が心配されました。
しかし、天気は、海を青く染めるかのような気持ち良い快晴だったのです。
車は、港へ到着し、荷物や子供の自転車と共に、30分の船旅へ出港です。
着いた港は、とても過ごしやすく、人はまばらです。
世の中は華やいでいるのに、ここには居心地の良い人数と海と家と人が一つに溶け合うような空間しかありませんでした。

我々は、あえて人の居ない町で、心を空っぽにして、ひたすら歩いてみたい!
子供に自転車の小さな旅をさせてあげたい!と考え、島の散歩に出発したのです。
それにしても、ここは、世間とは同じ時間が流れているのかと不思議になります。
我々が歩く世界は、まるで波の上を揺らぐ舟に取り残されたような穏やかさだったのです。

この町は、人が優しさという感情を体現し、挨拶と笑顔が溢れる町でした。
歩くたびに、「こんにちは」「自転車上手ね」と老人から若者まで、声をかけてくれ、気遣いをしてくれました。
そんな幸福のなかで、我々はゆっくりと散歩を続けます。
海には大型の貨物船が揺らぎ、公園には美しいツツジが咲き誇ります。
公園で一休みしているときも、おばあさんが「どこにいくん?」と優しく話しかけてくれます。
地元の神社を参拝し、第二の港に立ち寄ったとき、休憩所があったので、休憩がてら覗いてみたのです。
すると、ベンチが壁際にあるだけで、とても簡素な建物とその隣に自動販売機が誰を待つでもなく光っていました。
「なにもないな。まあ、こんなもんか」と建物を出ようとしたときです…。
ベンチの上に何かがあります。
円形の硬貨らしきものが3枚光っているように見えます。
私は、吸い寄せられるかのように、そのベンチに向かい合い、なにがあるのか確認してしまいます。
そう…こういった落とし物に、私は、自然と反応してしまう性格なのです。そして、心の声が葛藤するのです。
「あれは、金だ」「あれは、金だ」「あれは、金だ」
「拾っちゃえよ」「ダレにも怒られないぞ」「拾っちゃえよ」「ジュースでも買えよ」
心の中で悪魔のささやく声が脳を射します。
「馬鹿いうな。日本人じゃないか」「誇りを忘れたのか」「そのお金はお前のものではない」「止めておけ」「誰かが探しているだろ!」
心の中で、天使が押し返します。
まずは、現物確認だ。
百円玉が1つ、十円玉が2つ=120円です。
ひゃくにじゅうえん…
「これがなくて誰が困るのか。
これが無かったら、見知らぬ誰かも諦めるじゃないか」
そんな会話が心の中でありつつも、まずは、その鈍く輝く硬貨を手に握ってみます。
紛れもない120円でした。
握って…
その手を…
自分のポケットへ…
入れてしまい…まし…た。
そして、休憩所を出ようとしたときです。
これまで、声をかけてくれた島の人々の顔が、さらに声がした気がしました。
「こんにちは」「来てくれてありがとうね。」「自転車上手ね」…素敵な笑顔の数々…
私は、「ハッ」として、硬貨を握った右手をポケットから抜き、もう一度、その硬貨を眺めました。
そして、想像します。
この120円を落とした事に気付き、探して、困っている人の姿を。
これまで、親切にしてくれた島民の方々の優しさを。
私は、選択を間違うことはありませんでした。
硬貨を握った右手をそっと差し出し、
「困っている誰かに届きますように」
「島の皆さんの優しさを忘れません」
「正しさを教えて頂きありがとう」と
願いを込めて、安全な机の上に、そっとおいて、休憩所を後にしたのです。

その後、お金の行方を知る由もありません。
でも、きっと、誰の手に渡っても、それが、正しい在り処だと信じています。
私は、このような些細な自己満足で、未来へ恩送りをすることができたのです。
妻も子供も見ていない場所で、小さな勇気と希望を抱いたのでした。
迷ったとき「初心に帰れ!」というはじめてのお金の話でした。

