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【Re:write】第43話 賢者の城と、最初の契約

―絶望を、書き換えろ。


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夜が明けた。

斜光がエラーラの工房に差し込み、床に散らばった羊皮紙や欠けた歯車の輪郭を、低い角度から浮かび上がらせていた。
埃が光の中でゆっくり回り、壁には窓枠の四角い影が貼りついている。

干し肉の塩気。固いパンを噛み砕く音。

四人は、床の比較的平らな場所を選んで車座になっていた。
アリアの足元では、ミストが霧の猫になって丸くなっている。
カイの肩では、ウンディーネが水の小鳥として静止していた。

(……非効率な配置。だが、機能はしている)
カイは食べかけのパンを皿に置いた。

「エラーラ。我々の今後の活動について、一つ提案がある」
「なんだい、カイ?
 まさか、私の研究を手伝ってくれるとでも言うのかい!?」

エラーラが身を乗り出す。その拍子に、口元からパンくずがぱらぱらと落ち、広げっぱなしの設計図を汚した。
彼女は一瞬だけそれを見て、指で雑に払う。半分ほど残った。

「それも含まれる。
 だが、まず解決すべきは、我々の拠点の問題だ」

カイは工房を見回した。
散乱する機材。積み上げられた書物。棚のように見える何かと、棚ではない何か。機械油と乾いた埃の匂いが、朝の空気の底に残っている。

「ここは王都の権力から独立している。
 セキュリティも高い。
『情報毒』の開発に必要な設備と、君の知識がある。
 ここを前線基地として使用する許可を求める。
 対価は支払う」

エラーラは目を丸くした。
次いで、腹を抱えて笑い出した。

「あははは! 許可だって!? 面白いことを言うじゃないか、カイ! 君たちは、私の知的好奇心をこれ以上なく満たしてくれる、最高のオモチャなんだ。ここにいること自体が、私にとっての対価だよ」

ガリリ、とパンを噛み砕く音が挟まる。

「いいだろう。
 このエラーラ城を、好きに使うがいいさ。
 ただし、条件が三つ」

機械油で黒ずんだ指が、一本ずつ立つ。

「一つ。私の研究の邪魔をしないこと。
 二つ。面白い発見があったら、一番に見せること。
 三つ。家賃の代わりに、このガラクタの山の掃除を手伝うこと」
「待ってました!」

ドレイクが勢いよく立ち上がった。床板が鳴り、近くに積まれていた歯車の山がかすかに傾く。

「おう、任せとけ!
 てめえのその鳥の巣みてえな工房を、
 俺が完璧に使いやすく改造してやらあ!」
「なによ!
 私の脳内を反映した完璧な配置にケチをつける気かい!?」
「ただのゴミの山だろうが!」
「違う! これは思考の立体地図だよ!」
「だったら入口から机までの道くらい引いとけ!」
「あるだろう!」
「ねえよ。俺はさっき釜をまたいで入ってきたんだぞ」
「それは君の足が長すぎるんだ!」
「工房の欠陥を俺の足に押しつけんな!」

二人の声が梁に跳ね、古い瓶の中身がかすかに震えた。
ミストはアリアの足元で耳を伏せ、ウンディーネはカイの肩で水の翼を小さく畳む。

アリアは、霧の猫の背をそっと撫でた。
指先に冷気が触れ、彼女の肩から、薄い力がひとつ抜けた。

「……決まりですね」
アリアの声は柔らかかった。けれど、言葉の芯は揺れていない。

「これで、私たちにも帰る場所ができました」
カイは返答しなかった。ただ、工房の奥へ視線を向ける。

散乱した器具。残った熱。埃を含んだ朝の光。
拠点。
機能名としては、それで足りる。

「まず通路を確保する」
「まず研究領域を侵害しない線引きだよ!」
「床が見えねえ場所を領域と呼ぶな!」
「呼ぶ!」
「呼ぶな!」

その後、工房はしばらく戦場になった。
ドレイクは重い箱を軽々と運び、用途不明の金属塊を壁際へ寄せた。
エラーラはそのたびに悲鳴に近い抗議を上げ、三つに一つは元の場所へ戻そうとした。
アリアは薬瓶のラベルを読み上げ、危険なものだけを別の棚へ移す。
カイは動線、視界、作業台までの距離、退避経路を順に確認した。

「これはどこに置く」
「そこ」
「そこにはすでに五つある」
「六つ目が来ても問題ない」
「問題しかねえよ」
「同じ棚に似たものを集めるのは合理的だ」
「ほら、カイもこう言ってる!」
「ただし、ラベルが読めることが前提だ」
「裏切ったね、カイ!」

数時間後。

環境の最適化は、ひとまず完了した。
完全ではない。混沌はまだ残っている。エラーラの思考の一部らしいものは、床にも棚にも作業台の端にも生き残っていた。

それでも、通路は通路として機能していた。
作業台には木目が露出し、薬瓶は棚に並び、歯車は箱に収まり、用途不明の金属片にはエラーラの汚い文字で札がついた。

『なんか光る』

ドレイクがそれを見て、眉間を押さえた。
「分類が雑すぎる」
「雑じゃない。直感的なんだよ」
「直感で爆発されたらたまらねえんだよ」
「爆発するものには、ちゃんと『たぶん爆発』って書くさ」
「なお悪いわ!」

エラーラは胸を張った。ドレイクは返す言葉を探して、結局見つけられなかった。
カイは作業台の前に立つ。
そこだけは、すでに空いていた。

彼は一枚の羊皮紙を広げ、黒い羽ペンを取った。
「これからの計画を共有する」

空気が変わった。
ドレイクが口を閉じる。エラーラの指が、札の上で止まる。アリアはミストの頭から手を離した。

「最終目標は、『情報毒』の完成。
 レギオンの殲滅。
 第一歩として人工精霊を開発した。
 だが、現状のままでは限界が来る」

羽ペンが羊皮紙を滑る。

『資金』
『情報』
『実戦データ』

黒いインクが、繊維に沈んでいく。

「この三つが圧倒的に不足している。
 最も効率的に、かつ合法的に入手できる場所。
 この王都に一つしかない」

ドレイクが腕を組む。
「……あそこか」

エラーラの目が細くなった。
「なるほど。人間の市場に実験データを拾いに行くわけだ」
「表現が不正確だ」

カイは短く返した。

「登録し、依頼を受け、報酬を得る。
 過程で情報と戦闘記録を蓄積する」

アリアが静かに頷いた。

「人を守る依頼も、あるはずです」
「ある」

即答だった。

「優先順位に組み込む」

短い沈黙が落ちた。
外で、車輪の音が通り過ぎる。工房の壁がかすかに震え、棚の小瓶が一度だけ鳴った。
カイは羊皮紙の下端に、最後の一語を書き込む。

『冒険者ギルド』
「――今日、冒険者として登録する」

誰も、すぐには返さなかった。
羊皮紙の上でインクが乾いていく。
朝の光は少し角度を変え、作業台の端を白く照らしていた。

工房は、まだ散らかっている。
けれど、中央には作業台がある。壁際には棚がある。床には通路がある。窓の下には、四人分の影が落ちている。

やがて遠くで鐘が鳴った。
王都の屋根が、朝の光を受けて鈍く光る。通りには荷車が戻り、煙突から細い煙が上がりはじめる。

その一角に、エラーラの工房があった。

窓枠から差し込む光の四角形だけが、床の木目の上を、ほんの数ミリだけ移動していた。


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