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あなたの看護観は⁇〜学生時代に問われた今も自問する難問〜


あなたの看護観は⁇〜学生時代に問われた今も自問する難問〜
「あなたの看護観はなんですか⁇」
こんなこと、聞かれたことはないでしょうか。
私が最初にこの問いを突きつけられたのは、精神看護学実習のときでした。

当時の私は、とにかく実習が嫌で嫌で仕方がなかったです。楽しくなかったし、つらさしかありませんでした。「単位を落としたら辞める、留年はしない」と親にそう伝えていたほどです。
そんな風に逃げ出したい真っ只中に、こんなに難しいことを問われたのです。



【看護観とは】

いわゆる看護師のための転職サイト(ナース専科)には、以下のような文章が載っていました。
「看護観とは『患者さんにどのような看護を提供したいか』という看護に対する個人の考え方や価値観を言葉にしたものです。主に看護師として大切にしている思いや信念、理想の看護師像などを表します。」

しかし、私はこれだけでは足りないと思っています。なぜなら、私たちには「看護職の倫理綱領」という確固たる指針があるからです。
絶対的な倫理綱領はベースにあるとして、
日々の実践のなかで自分の中に育まれるものこそが看護観ではないでしょうか。

医師のように治療や生化学、エビデンスを大切にする看護職。
患者の療養の様子から、あるべき姿を考える看護師。
患者さんの言動に救われた経験から、自らの姿勢を決めた看護職。
本当にさまざまだと思います。


【私の「変わらない」看護観】

自らの経験のなかで、私の中にずっと変わらない看護観があります。
それは、「看護はどこまでも自立支援であること」です。

対象者の強みを活かす。出来ることはターミナル(終末期)であってもやってもらう。患者さんや利用者さん、当事者自身に選んでもらう。
それが、私の変わらない軸です。

【私の「変わる(揺らぐ)」看護観】

一方で、日々のなかで揺らぎ続ける看護観もあります。
「本人主体」というのはもちろん大切なのですが、世の中はそう単純ではありません。そのご本人を支える家族や、多くの関係者がいるからです。

・本人は望んでいないけれど、家族が負担に感じており、介入が必要な場面
・本人は望まないデイサービス
・本人本意ではない金銭管理や、成年後見の活用
・「家にいたい」のに、施設に入らざるを得ないご本人

私は本人の意思が最も大切だと思っていますが、状況がそれを許してくれない場合もあります。学生時代であれば綺麗事を綺麗に出して良いと思いますが、現実はおさまりません。プロの支援者として、その複雑な現実のなかで力を発揮しなくてはならないのです。


【放っておけることが私の1つの強み】

そんな葛藤のなかで、私が地域包括支援センターの実践を通じて手に入れた一つの強みがあります。
それは、「あえて放っておく」という選択ができることです。
安全管理が最優先される病棟では、そうはいかない場面も多いと思います。けれど、地域包括支援センターにおいては、これが大きな意味を持ちます。

過剰に介入しないこと。食生活や活動習慣、服薬管理など、必要であれば他機関に介入を依頼したり、安全な範囲では本人の意思に任せる。本人の責任で考えて生活してもらう。

ヘルパーさんやデイサービス、訪問看護などの支援者から提案されたことは、安全が担保されている限り、基本的にはご本人の自由にやってもらいます。私は「管理」はしません。

ただ、変化の兆候や、ガクンと状態が落ちる瞬間(落ち目)が見えると、すっと手を差し伸べてすくい上げるようにはしています。

私は対象者の人生には介入しません。ですが、彼ら自身に「危機や変化に対応できる力」があると信じています。だから、手放します。それが職業倫理的にも(自律の尊重という意味で)間違っていないと思っています。

「エンパワメント」といえば聞こえが良いでしょうか。

『放っておくエンパワメント』

矛盾しているようで、矛盾していないと私は思います。


【看護観は変わっていい】

学生時代に問われた看護観。
私の中に、今も一枚の絵のように確固たるものはありません。変わらないものと、変わるものが、半々です。
結論、それでいいと思っています。看護観に正解はないのですから。
私にいたっては、矛盾しているようで矛盾していない、少し不可思議なものになっています。これから先、また変わるかもしれません。
あなたにとっての看護観はなんですか⁇
現場に出て、それは変わってきましたか⁇
ぜひ教えてください。

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