フアン・ルルフォ『黄金の軍鶏』
『黄金の軍鶏』は、フアン・ルルフォの最後の作品である。以下はネタバレを含む感想である。
フアン・ルルフォは「ラテンアメリカ文学ブームの先駆者にして、メキシコの国民的作家」、ガルシア=マルケスをはじめとする多くの作家に影響をあたえた作家である、と聞いて本書に興味を抱いた。実物を書店で見て、その短さに驚いた。本文は126ページ。字も大きめで、行間もゆったりしている。オビ裏に書いてあるような濃密な展開がこの短さで語れるのかと疑問に思った。そして実際読んでみて、確かにあらすじは間違いではなかった。
あらすじ
改めて乱暴に筋をまとめるならば、主人公ディオニシオ・ピンソンの成り上がりの物語と言えるだろう。
貧しいディオニシオは、片腕が不自由で、地元では役立たずとみなされていた。そんな彼の仕事は呼び手、大きな声でいなくなったもの・人の情報を街の人に触れ回るというものだった。ある時その声を使って闘鶏場でゴング・結果発表役をしていた彼は、深手を負った一羽の軍鶏を譲り受ける。回復した軍鶏と共に街を離れたディオニシオは闘鶏で勝ちを重ねてゆく。
タイトルが『黄金の軍鶏』だからこの軍鶏が相棒になって勝ちを得てゆく物語になるのかと思ったら、中盤に差し掛かるあたりで軍鶏は敗北、死ぬ。全てを失ったディオニシオはロレンソ・ベナビデスとその情婦にして歌手のラ・カポネーラに出会う。ディオニシオはロレンソと手を組み、彼から闘鶏をはじめとする賭け事の裏側を学び、賭け事師として大きくなってゆく。そんな中、ディオニシオはラ・カポネーラと再会する。自由を愛する彼女はロレンソと別れていた。ディオニシオは彼女に惹かれ、結婚する。
ラ・カポネーラはディオニシオに幸運をもたらす。彼は賭け事で勝ちを重ね、ロレンソから得た家を拠点とし、大金持ちになる。しかし、ラ・カポネーラは一箇所に止まることを嫌い、娘と共に逃げ出す。それとともにディオニシオの幸運も失われるのであった。
だがここで終わらない。ディオニシオはラ・カポネーラの意見を受け入れ、彼女と共に自由な放浪生活を送る。しかし、それも終わりが来る。ラ・カポネーラの声が出なくなり、歌手として仕事ができなくなる。自由を支える能力を失ったラ・カポネーラはディオニシオの側で、幸運のお守りとして、ただじっと座って日々を過ごすようになる。ディオニシオは賭け事に熱中し、大金を得るも、妻のことも娘のことも気にしない。
ついにラ・カポネーラは死ぬ。それと同時にディオニシオの運も尽き、その時行っていた賭け事で、自分の棺以外の全てを失うことになり、妻の後を追って自殺する。残された娘は母と同じ放浪の歌手として生きることを選ぶ。ディオニシオを思わせる闘鶏場の呼び手の掛け声で本作は閉じられる。
感想
簡単に言ってしまえば、主人公が強い軍鶏を手にしたことをきっかけに街を離れ、軍鶏の死をきっかけに賭け事師としての師匠を得て実力をつけ、ヒロインのおかげで幸運を手にし、絶頂の中でヒロインを失い、自分自身も破滅する。残された娘もまた同じような運命の輪の中にあることを予感させる。そういう物語だ。
だが、読んだ印象はそういう山あり谷ありのストーリーという感じがしない。そもそも勝って儲けるシーンが極端に圧縮され、読者はただ主人公が金持ちになったことだけを知らされる。それがメキシコの乾いた感じ(これは私がメキシコに勝手に抱いているイメージだが)を彷彿とさせる乾いた文体で淡々と示されるため、金銭的な成功の側面はほとんど意識できない。
他方、人間関係はどうかというと、ディオニシオもラ・カポネーラもロレンソも皆どこか壁のあるような、孤独の中にこもっているような感じがして、心情の深い交流が見られるわけでもない。
そんな作品が面白いのかというと、これが面白い。孤独な、自分勝手な人たちの運命の絡み合いが—例え最後にどうなるかがなんとなく予想できたとしても—どこへ向かうかを知りたくて仕方がなくなる。
中でも一番興味深かったのはラ・カポネーラだ。楽団とともに色々な街の闘鶏場を訪れて、歌でその場を盛り上げる、流れの歌手をやっていた彼女は、その美しさ、自由を愛する精神から、メリメの『カルメン』の同名のヒロインを思い起こさせる。
カルメンとラ・カポネーラが違うのは、前者が自由を愛するが故に束縛するパートナーに殺されることを選んだのに対し、後者は束縛するパートナーから逃げ出すことができている、のみならず自由な生活をパートナーに承認させていることにある。
しかし、あらすじでも述べたように、自由な生活は続かなかった。歳をとり、容色が衰え、声も出なくなったラ・カポネーラは楽団を追われることになる。自由な生活を続けるための力を失ってしまうのだ。その結果、まだ残っている力、幸運のお守りとしての力をディオニシオのもとで発揮する生活、ただ賭け事をする彼の側で椅子に座ってひっそりと過ごす生活に甘んじることになる。
それは確かにディオニシオが元から言っていたことであり、またディオニシオが無理を通したからでもあるのだが、同時に生きるために仕方のない選択であったのも確かであろう。勝手な想像だが、カルメンが殺されずに済み、自由を謳歌できたとしても、最終的にはこの道を通ることになったのではないか。
もちろん、ちゃんとディオニシオが妻を思いやることができれば失われた自由の埋め合わせになったのだろう。その意味でディオニシオが悪い夫であることは間違いないのだが、読んでいるときはそれ以上に、自由を得るための力を失い隷属状態になる静かな惨めさ、哀れさが印象に残る一幕であった。
一人の男が成り上がってゆく様を乾いた味わいで描き出した『黄金の軍鶏』はもともと映画のプロットとして書かれ、実際にガルシア=マルケス、カルロス・フエンテスの脚本によって二度映画化されている。読んでいるだけだとあまり映像化むきではないような気がするが、実際に映像化すると結構映えるようにも思う(闘鶏のシーンなど)。どちらの映画も見てみたい。
