もう一度だけ会えるなら
第1部(30歳・女性視点)
同窓会なんて、行くつもりはなかった。
会いたい人なんて、いないと思っていたから。
案内のメッセージは、何日も既読をつけたまま放置していた。
通知が来るたびに、指先だけで画面を閉じる。
それでも行こうと思ったのは、たぶん理由があった。
名前は、思い出さないようにしていたのに。
思い出さないふりをしていただけなのに。
店の扉を開けた瞬間、空気が少しだけ軽くなる。
懐かしい声と、変わった顔と、変わらない笑い方。
「久しぶりー!」
「全然変わってないやん」
そんな言葉が飛び交う中で、うまく笑えなかった。
探しているわけじゃない。
でも、探していないとも言えなかった。
名前を見てから、ずっと視線が落ち着かなかった。
時間が一瞬だけ遅くなった気がした。
「……久しぶり」
少しだけ背が丸くなって、
少しだけ大人の顔になって、
でも、声だけは変わっていなかった。
「元気にしてた?」
その一言が、やけに遠い。
「うん、まあ……それなりに」
それなり、なんて便利な言葉だと思う。
本当のことなんてひとつも言っていないのに、
ちゃんと会話が成立してしまう。
指輪に、先に気づいたのは私のほうだった。
ああ、と思う。
そりゃそうだよね、とも思う。
「そっちは?」
聞かなくてもいいことを、聞いてしまう。
「うん、結婚してる。子どもも一人」
さらっと言う。
それくらいの距離で、ちょうどいい。
「そっか」
それだけで、十分だった。
仕事のこととか、住んでいる場所とか、
どうでもいいことばかり話した。
どうでもいいはずなのに、
一つ一つが、妙に大事に思えた。
「あのさ」
どちらからともなく、言葉が途切れる。
それが何なのかは、口にしないまま分かっていた。
──今なら、まだ。
そんな気がした。
帰り際、店の外は少しだけ冷えていた。
春の終わりの、夜の匂い。
「じゃあ、また」
ほんの少しだけ立ち止まった。
ほんの一歩だけ、待った。
気づいていたと思う。
「うん。またね」
連絡先は、聞かなかった。
分かっているのは、ただ一つ。
あの夜が、何かの終わりだった。
第2部(60歳・男性視点)
同窓会の案内が届いたときに最初に思ったのは、
懐かしさでも面倒くささでもなかった。
ああ、まだやるんだ、だった。
六十年も生きていると、
たいていのことは一度は通り過ぎている。
再会も、別れも、後悔も。
それでも消えないものがあることを、
知ってしまっている年齢でもあった。
行くつもりはなかった。
行ったところで、話すことなんて限られている。
昔話と、健康の話と、少しだけの近況報告。
それでも、名前を見たときに指が止まった。
見間違いじゃないかと思った。
何度かスクロールして、また戻って、確認する。
変わらない名前だった。
「……来るのか」
誰に聞かせるでもなく、そう呟いていた。
会場は、三十年前よりも少しだけ静かだった。
声の大きさも、笑い方も、どこか控えめで、
同じように誰かが誰かを呼んでいる。
変わったのは、見た目だけじゃない。
探すつもりはなかった。
それでも、視線は勝手に動く。
いた。
少しだけ背が丸くなって、
少しだけ髪が短くなって、
すぐに分かった。
三十年前と同じように、
ほんの少しだけ、周りから距離を取って立っている。
「久しぶり」
声をかけたのは、自分だった。
振り向いたときの表情が、
思っていたよりも、変わっていなかった。
「……久しぶり」
その一言で、十分だった。
話すことは、やっぱり同じだった。
仕事のことは、もう過去の話になっていて、
子どもの話や、体の調子の話に変わっている。
不思議と、途切れなかった。
「覚えてる?」
彼女が、ふと聞いた。
何を、とは言わなかった。
「まあ、それなりには」
全部覚えている、とは言えなかった。
帰り際、外に出ると、少しだけ風があった。
三十年前と同じような、季節の匂い。
「じゃあ」
言いかけて、言葉が止まる。
その一瞬で、思い出してしまった。
三十年前の、あの夜。
彼女が、ほんの一歩だけ、立ち止まったこと。
あれが、どういう意味だったのか。
六十年生きてきて、ようやく分かった。
「あのときさ」
彼女が、少しだけ振り返る。
「なんで、何も言わなかったの?」
逃げ場のない質問だった。
三十年前には、なかった問いだ。
少しだけ、考えるふりをした。
「……言ったら、戻れなくなると思ったから」
彼女は、少しだけ笑った。
「──そっか」
三十年前と同じように、何も起こらなかった。
あの夜、彼女は、少しだけ待っていた。
そして、自分もまた、同じだけ立ち止まっていた。
もう一度だけ会えるなら。
けれど、その“もう一度”は、とっくの昔に過ぎていた。
こちらの企画に参加させていただきました。
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