見出し画像

おつかいの帰り道

「例の物は持ってきたか?」

男は駅前のベンチに座ったまま言った。

僕は黙ってリュックを差し出す。

中にはノートパソコンが入っていた。

男は周囲を見回してからファスナーを開ける。

「確認する」

男は画面を開き、数秒だけ視線を動かした。

満足そうに頷く。

スマホが震えた。

振込完了。

四万円。

僕は思わず画面を見直した。

コンビニで何日も働いて、ようやく手に入る金額だった。

「これって何なんですか?」

「何がだ?」

「この仕事です」

男は空を見上げた。

「知らない方がいいことが、人生には多い」

「それ、答えになってませんよ」

「答えにならない答えが、一番正しいこともある」

「怪しすぎます」

「じゃあ逆に聞くけど」

「何ですか」

「三日前の晩ご飯を覚えてるか?」

「まあ……」

「だろう?」

「だから何ですか」

「人間は知らないことだらけでも生きていける」

「それとこれとは違うでしょう」

「違うようで同じなんだよ」

男は立ち上がった。

「じゃあ辞めるか?」

僕は少しだけ安心した。

「あ、辞められるんですか」

「もちろん」

男は頷く。

「仕事なんて自由だからな」

そう言いながらスマホを取り出した。

画面を数回タップする。

「中村悠斗。二十一歳」

僕は固まった。

「〇〇大学経済学部」

「父親は会社員。母親はパート。妹が一人」

さっきまで聞こえていた駅前の雑音が、急に遠くなった。

「何なんですか、それ」

「個人情報だよ」

「君の」

「なんで知ってるんですか」

「今の時代、調べようと思えば色々調べられる」

男はスマホをポケットにしまった。

「安心してくれ。脅してるわけじゃない」

「十分脅してますよ」

「そうか?」

「俺はただ、君が辞めても困らないって話をしてるだけだ」

男は肩をすくめる。

「人間って不思議でさ」

「……」

「自分がどれくらい見られているかを知ると、急に怖くなる」

「じゃあ、今日はこれで終わりだ」

男はそう言って歩き出した。

数歩進んだところで、僕は呼び止めた。

「明日も来ればいいんですか」

男は少し考えるように顎を触った。

「明日も来てくれるかな?」

僕は思わず吹き出した。

「なんですか、それ」

「知らない?」

「世代じゃないです」

「ああ、そうか」

「じゃあ返事だけ教えておく」

「何をですか」

男は拳を天に突き上げた。

「いいともー!」

駅前の鳩が一斉に飛び立った。

僕は笑った。

男も笑った。

そのときは、ただ変な人だと思った。

変な人と危ない人は、似ているようで違う。

あのときの僕は、その違いを知らなかった。





こちらの企画に参加させていただきました。

いいなと思ったら応援しよう!

作家 よっしー こなつを応援してくれると、飼い主は幸せです。