第25回|結果だけを見る人は、いつか自分の人生を安売りする
「結果が大事か、過程が大事か」
この問いは、昔からよくある。
努力が大事だとか、いや結果を出さなければ意味がないとか、そういう話として語られることが多い。
もちろん、結果は大事だ。
どれだけ頑張ったとしても、仕事で成果が出なければ評価されにくい。受験でも、スポーツでも、ビジネスでも、最終的には何らかの結果が求められる。
ただ、最近少し気になるのは、結果を大事にすることと、結果しか見ないことが、いつの間にか同じもののように扱われていることだ。
たとえば、お金。
お金を稼ぎたいと思うこと自体は、まったく悪いことではない。むしろ自然なことだと思う。生活にはお金がいるし、欲しいものもある。将来への不安もある。
けれど、「いくらもらえるか」だけを見て、「そのお金は何の対価なのか」を考えなくなると、話は少し変わってくる。
闇バイトに手を染めてしまう若者の問題も、私はそこに一つの原因があるように感じている。
もちろん、すべてを本人の価値観だけで説明するのは乱暴だ。貧困や孤立、家庭環境、社会の不安定さもある。SNSを通じた巧妙な勧誘もある。警視庁も、短時間で高収入が得られるような甘い言葉で募集し、応募者を犯罪組織の手先として利用する危険性を注意喚起している。
ただ、それでも私は思う。
「この金額は、自分がやろうとしていることに見合っているのか」
「なぜ、こんなに簡単に高い報酬がもらえるのか」
そこに立ち止まる感覚が、あまりにも弱くなっているのではないか、と。
経験しないまま、わかった気になれる時代
今は、わからないことがあればすぐに調べられる。
スマホを開けば、誰かの経験談がある。成功した人の話も、失敗した人の話も、危険なことへの注意喚起も、検索すれば出てくる。
これは便利だ。
私も毎日のようにその便利さに頼っている。
けれど、便利さには少し怖い面もある。
情報を得ることと、経験することの境目が曖昧になるのだ。
何かを読んだだけで、経験したような気になる。
誰かの失敗談を見ただけで、自分は失敗を避けられると思う。
社会の仕組みを少し知っただけで、自分は世の中をわかっているような気になる。
でも本当は、経験してみないとわからないことがある。
たとえば、アルバイトをして、1時間働いてもらえるお金の重さを知る。
誰かに怒られて、自分の雑さに気づく。
約束を守れずに信用を失う。
簡単そうに見えた仕事が、実際にはかなり面倒で、気を使い、責任を伴うものだと知る。
そういう小さな経験の積み重ねが、「対価」の感覚をつくっていくのだと思う。
お金は、ただの数字ではない。
その裏には、時間があり、労力があり、責任があり、誰かへの影響がある。
そこを知らないまま、「短時間で高収入」という結果だけを見ると、かなり危うい。
まるで、値札だけを見て商品を買うようなものだ。中身も、賞味期限も、返品条件も見ない。
「過程が大事」は美談ではなく、判断材料である
過程が大事だと言うと、どうしても努力礼賛のように聞こえる。
汗をかけ、苦労しろ、遠回りしろ。
そういう説教の匂いがする。
私は、そう言いたいわけではない。
無駄な苦労をありがたがる必要はないし、効率よく結果を出せるなら、その方がいい場面も多い。
ただ、過程には一つ大事な役割がある。
それは、自分の価値判断基準をつくることだ。
何かを得るまでに、どれくらいの手間がかかるのか。
人から信頼されるまでに、どれくらい時間がかかるのか。
一度失った信用を取り戻すのが、どれくらい難しいのか。
そういうことは、教科書だけでは身につきにくい。
SNSの短い動画でも、わかった気にはなれる。でも、たぶんそれだけでは足りない。
ゆとり教育がどうだったか、という話もよく出る。
その評価を一言で決めるつもりはない。むしろ、詰め込み教育がすべて正しかったとも思わない。
けれど、社会全体として、失敗する前に答えを与えすぎる方向に進んできたのではないか、とは感じる。
危ないから先回りする。
傷つかないように整える。
迷わないように正解を用意する。
それは優しさでもある。
ただ、その優しさが行き過ぎると、人は「自分で判断する前の小さな失敗」を経験しないまま大人になる。
そして大人になってから、いきなり大きな判断を迫られる。
お金、仕事、人間関係、リスク、責任。
そのとき、判断の軸が育っていなければ、目の前にぶら下げられた結果に飛びついてしまうこともあるのだと思う。
結果を求めること自体は悪くない
私は、若者が楽をしたがっているだけだとは思わない。
むしろ今の若い世代は、将来への不安をかなり早い段階から感じているように見える。
物価は上がる。
給料は思うように伸びない。
SNSを開けば、同世代の成功者がいくらでも流れてくる。
努力しても報われるとは限らないことを、かなり冷静に見ている人も多い。
だから、「早く結果が欲しい」と思う気持ちは理解できる。
きれいごとだけでは生きていけない。
ただ、だからこそ、結果を見る目が必要になる。
目の前の報酬が高いとき、
それは自分の能力が評価されているのか。
それとも、誰かが自分にリスクを押しつけようとしているのか。
この違いは、とても大きい。
闇バイトの怖さは、単に犯罪だから危険というだけではない。
犯罪グループが、若者の「結果が欲しい」という気持ちを利用し、リスクを実行役に押しつける構造にある。警察庁も、応募者が個人情報を送らされたうえで脅され、離脱しにくくなる実態や、約束した報酬が支払われない場合があることを示している。
つまり、「高収入」という結果の裏側にある過程を見ないと、自分が何を引き受けているのかがわからなくなる。
経験とは、遠回りではなく身を守る感覚なのかもしれない
私は、過程を大事にするというのは、立派な人間になるための話ではないと思っている。
もっと現実的な話だ。
自分の人生を安売りしないための感覚を持つ、ということだ。
安い仕事をするな、という意味ではない。
最初は時給が低くても、経験になる仕事はある。
面倒でも、そこでしか身につかない感覚もある。
問題は、対価の中身を見ないことだ。
お金だけを見る。
肩書きだけを見る。
フォロワー数だけを見る。
再生回数だけを見る。
結果だけが並ぶ世界では、人は簡単に比較され、簡単に焦らされる。
でも、その結果に至るまでの過程を見ないまま羨ましがると、自分の現在地まで見失ってしまう。
結果は大事だ。
けれど、過程を知らない結果は、ただの数字に見える。
そして数字だけを追いかけると、自分が何を差し出しているのかに鈍くなる。
時間なのか。
信用なのか。
誰かの安心なのか。
自分の将来なのか。
その感覚がないまま、大きなお金を目の前に出されたとき、人は案外簡単に判断を誤るのかもしれない。
「結果が大事か、過程が大事か」
私は、どちらか一つを選ぶ問いではないと思う。
結果を見るためにこそ、過程を見なければならない。
そのお金は、何の対価なのか。
その結果は、何を差し出して得るものなのか。
その近道は、本当に近道なのか。
そういう問いを持てることが、もしかすると今いちばん必要な経験なのかもしれない。
答えを知っていることよりも、立ち止まれること。
それは地味だけれど、自分の人生を他人に安く使われないための、かなり大事な力なのだと思う。
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