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【終戦の日🇯🇵】先人たちの魂を迎える日に~「祈り」と「投資」が未来へ紡ぐ灯火

「歴史を忘れた民族は滅びる」

「民族滅亡の三原則」より

8月15日。
多くの地域でお盆の時期を迎え、先人たちの魂に思いを馳せる厳粛な一日。

日本人固有の深い祈りに包まれる節目にあたり、私たちが生きる「今」という時間、そして私たちが未来へと託す「投資」の本質について、静かに考えてみたいと存じます。

歴史からの警告

冒頭の一節は、20世紀を代表する歴史学者、アーノルド・J・トインビーの言葉として広く知られているものです。

そして、その言葉を敷衍(ふえん)して

「神話を忘れた民族は滅びる」

とする表現も、言論のなかで、しばしば引用されています。

戦後の日本社会では、ともすれば「神話」は「歴史ではなくフィクションである」との通念のもと、神話を歴史の教材として扱うことには慎重な姿勢が取られるようになりました。

しかし、私たちが今日、当たり前のように踏みしめているこの国土と社会は、決して偶然の産物ではございません。

それは「喜びも悲しみもすべてひっくるめた」深淵な記憶です。

この複雑なネットワークで成り立つ経済システムや、日進月歩のテクノロジーは、いったいどこからやってきたものでしょう?

私は信じます。
「過去の歩み」を基盤にし、その知識と技術の灯が絶えないように、一時も休むことなく社会を動かしてきた人々の努力はもちろん、その共同体の意識の深層に横たわる「深い物語」が支えていると__。

それは「我々はどこから来て、どこへ向かうのか?」という「共同体のアイデンティティ」に直結します。

たとえば、「古事記」をはじめとする神話、幾重もの歴史の中で紡がれてきた「家や土地や組織の血脈」、そして「悠久の祈り」を通し、過去と現在を一本の血脈で繋ぐ「皇室」という日本国民統合の象徴__。

そのような、文明の母体、いわば「大きな物語」があるからこそ、知識や技術は確かな「歯車」となり、社会に価値が生み出されている。
アーノルド・J・トインビーの言葉の裏側には、そうしたメッセージが込められているのでしょう。

もし、神話が完全に潰えていたら…?
世界史の奇跡と謳われた「明治維新による近代化」も、あの焼け野原からの驚異的な「高度経済成長」も、決して実現することはなかったと考えます。

数々の困難や試練、そしてあの凄惨な戦禍を乗り越え、今日まで絶やさずに繋がれてきた「命と記憶のバトン」の上に、今の私たちの暮らしは成り立っております。
先人たちが捧げてきた「祈り」とは、単なる神頼みなどではなく、自らの命を賭してでも文明の灯火を絶やすまいとする、「時間と記憶を紡ぐ知恵の継承」そのものであったと感じます。

一方、歴史を忘れ、国や民族の物語を忘れたとき、人は自らが「どこから来てどこへ向かうべきか」その道標を見失ってしまいます。

「祈り」と「投資」をつなぐもの

一見すると、伝統や祈りといった精神的世界と、経済や株式投資という即物的世界は、遠く離れた対極に位置するように思えるかもしれません。

しかし、本質を見つめ直したとき、私はこの二つが深く結びついていることに気づかされます。

投資とは、単に目先の株価の上昇に一喜一憂し、短期的な利益を追い求めるマネーゲームではありません。

本来の投資とは、「優れた技術や高い志を持つ企業、そしてその先にある社会の未来を信じ、自らの資本を託す行為」でございます。

先人たちが命懸けで守り抜き、戦後の焼け野原から復興させてきたこの日本社会という灯火を、私たちは次の世代へどのように引き継いでいくべきでしょうか?

企業を応援し、成長を支え、新たな価値を社会に還元していくプロセスは、まさに「現代における祈りの形」そのものであると思われます。

自分が生きている間だけ良ければいいという近視眼的な考えを捨て、まだ見ぬ未来の子供たち、これからの社会のために種をまく。それこそが、誇りある投資家の本来の姿だと私は信じます。

灯火を絶やさず、次の100年へ

8月15日という日を厳粛な気持ちで迎える意味。

それは、過去の犠牲や歴史への深い感謝を捧げると同時に、「私たちはこれからどのような社会を創り、次の世代へ、そして未だ見ぬ未来へ引き継ぐのか?」という自らの責任を再確認することにほかなりません。

社会と企業を応援する立場にある投資家としての心得も、まったく同じではないでしょうか?

冒頭の言葉を、最後にもう一度噛みしめます。

「歴史を忘れた民族は滅びる」

過去への感謝と未来への希望を込めた「祈り」を胸に、本日も誠実に、そして誇りを持って、社会を支える企業へと想いを託してまいりましょう。

本日も最後までお読みいただき、誠にありがとうございました。


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