小さい頃の消えた記憶
そりゃあ誰だって覚えてねーさ笑笑
なので親から聞いた小さい時の自分とうっすらうろ覚えの記憶の照らし合わせなのだけれど。
小さい頃はやんちゃでよく喋る典型的な次女だったようです。
私が赤ちゃんのときに母が授乳していたのをみていた姉がヤキモチ妬いて泣いたという話を母から聞かされたが、
姉にしてみればいきなり母親取られた気持ちだったんでしょう。まあ、あるある。
あとは2歳の時に恐山に行ったらしい…という話と、
「隠し念仏」というなんだかわからない洗礼みたいなものを受けたと言う話は聞いたことがある。
隠し念仏とはなんぞや?
これはサクッと調べると、田舎によくある民間信仰の一つで、集落内にいる(らしい)言わば「拝み屋」さんというか「イタコ」みたいな存在のかたが家に来て、子供を部屋に連れて行ってなんだか呪文を唱えて・・・という
よくわからない「なにか」はされたそうだ。(何故か姉は受けていない)不思議な話。
これはうーむ…今こうして実家相続したので(その話は後程)当時から拝み屋さんの先見の明かなにかで、そうなるようなことが既にわかったがゆえのことなのだろうか?うーむ。
さて、タイトルの「消えた記憶」というのはここからだ。
私が住んでいたのは盛岡市上田3丁目の父の職場の社宅。父は団体職員、その社宅といっても昭和40年代後半の、当時でも古い木造長屋で、二軒くっついており、外壁は鎧張。一階は居間。二階はふた部屋で両親の寝室と子供部屋。お便所は和式ボットン。風呂はタイル張りで、芯にマッチで火をつけて沸かす煙突付きの石油風呂釜。もちろん家は今はもうない。そこで生まれてから小学校2年生の8歳まで家族四人で住んでたいた。
そして父は休日朝に「高松の池」でジョギングをする。
高松の池、自宅から2、3キロは距離があったかな。国道を横切って坂道を登っていくと大きな池があるのだ。江戸時代に盛岡の治水のために作られた堤で、一周すると1.4キロぐらいあり、桜の名所で白鳥の飛来地で夜は心霊スポットとも言われているまあ、市民憩いの場の一つ。
冬には氷が張り、スケートも出来た。温暖化が意識される前はそこでスケートの国体まで行われたそうだ。
ジョギングの話に戻ろう。
父はその池を走りにジャージを着て出かける。
それにくっついていく私と姉。時々私だけの日もある。
問題はここからだ。父はぐるっと池の周りの遊歩道を走っている間。私はスタート地点のベンチで待っているのだ。姉と一緒ならまだマシだが、1人の時はもちろん1人。ありえない!
今だったら恐ろしいことだ。しかし当時はあるある。
事件はある日、私、多分、5歳くらい
いつものように私をベンチに置き去りにして走りに行った父。ゴール(一周だからスタート地点)に「いつものように待っている」はずの私がいないのだ。
当時はスマホや携帯電話もなく、公衆電話にかける10円も持っていないので、父は青くなって何周も走って探したようだが私はいない。自宅で朝食を作って姉と待っている母にも連絡ができない。これは誰でもパニくる。
「もしや誘拐?」と最悪のシチュエーションが頭をよぎったそうだが、そもそも置き去りにしたのあんたでしょ!と言いたい。
まぁ私はこうして生きているので結果大丈夫なのだが。
そして父は散々探したが埒があかないのでトボトボと家に帰ったらしい。
帰って警察に電話をしようと思ったそうだ
そこに
「おかえり」と私が家にいたのである。
どうやら1人で帰宅したらしい。
「一人でお家に帰れたねーえらいねー」という話ではない。
5歳児が、国道4号線を横切って2、3キロ歩いて帰宅って難しいからね。
当時国道四号線は岩手から東京へ繋がる日本の動脈みたいな存在で、車がビュンビュン走っていたし。歩道橋は確かあったけど、そこを通った記憶はないし、今は地下道があるが、当時はまだ無かったはず。つまり国道を横切った?かも
つまりどうやって帰ったのか謎である。もちろん今その記憶はない。父が何回も
「あの日は不思議だった」と呑気に酒を飲みながら語るが。
誰かと一緒だったのだろうか?自分でもわからない。
私はその話を聞く度に背筋が凍る思いになるのだ。
多分脳内真実封印機能。
そこに犯人がいたら絶好の誘拐チャンスだ。まあ、身代金要求するような金持ちの令嬢でもなんでもない私だが。
私自身、誰かと一緒だったかも・・・とかたまに混乱する事件なのだ。
忘れていることが何よりも救い。
ありがとう!脳。
