のんびりジャズ記録(7)村上龍の最高傑作「半島を出よ」に登場するビル・エバンスを聴いてみようー「いつか王子様が」と「愚かなりわが心」
4人の笑い声が収まると、よく磨かれた硬い金属を思わせるビル・エバンスのピアノの音が際立った。曲は「いつか王子様が」に変わっている。まるで宝石が空中に浮かんで跳ねているようなピアノの音だと甲斐は思った。からだの火照りが収まるような心地よさを感じた(村上龍:「半島を出よ」より「赤坂の夜」)
でもね、あいつらそのうち必ずボロを出すよ。教養がないからね。ポル=ポトもナチスも最後は教養がなくて負けたんだから。・・・カウンターに座るレストランオーナーも、ソファの画商と未亡人も、三条の話をうなずきながら聞いていた。ビル・エバンスのピアノは「愚かなり我が心」に変わり、スコット・ラファロのベースが切ない旋律を刻んでいる(村上龍:「半島を出よ」より「赤坂の夜」)
私が村上春樹氏以上に敬愛する村上龍氏の最高傑作(と私が勝手に評価している)小説「半島を出よ」の中から、ビル・エバンスのピアノについて氏が書いている部分を引っ張り出してみました。「宝石が跳ねる」なんて、むちゃくちゃ格好よく、読む者の心を躍らせる、そして、この曲を聴いてみたいなあと思わせる文章表現をサラッと書くところに、氏の凄みを感じずにはいられません。
村上春樹さんとちがい、龍さんはどちらかというと、そんなにマイナーなジャズ知識を披瀝したがるタイプではないような気がします。小説の中においても、結構メジャーというか、知っている人ならもちろんよくわかっている、というジャズの曲を出してきたりします。
「半島を出よ」の中でも、ビル・エバンスの他には、スタン・ゲッツとか、ウエス・モンゴメリーとか、本当にジャズ・ジャイアントなアーティストのことを書いてくれています。でも龍さんの描く彼らの姿は一味も二味もちがっています。ウエス・モンゴメリーは楽譜が読めなかったがオクターブ奏法を技術ではなく魂で生み出したのだ、ジャズの技術だけを「なぞっても」仕方がないのだ、というエピソードなどは、見ている視点が龍さんらしいなと思います。
さて、本題へ。2曲の感想を私なりに書いてみます。
(「いつか王子様が」――『Portrait in Jazz』収録)ディズニーのあの有名なメロディが、エバンスの手にかかると、龍さんが書いた通り「よく磨かれた硬い金属」のような、あるいは「宝石が空中に浮かんで跳ねているよう」な、まったく別種の輝きを放ち始めます。イノセントな夢の世界では決してない。ここにあるのは、どこまでも理知的で、同時にひどく孤独な男が、鍵盤の上で極限のステップを踏んでいるような様子です。マイルス・デイヴィスのバージョンにあるような、夜の気怠さを含んだモードな雰囲気とはまた違い、エバンス、ラファロ、モチアンの3人が、お互いの出方を冷徹に見極めながら火花を散らしている。そのスリリングなやり取りを肌で感じていると、小説の登場人物たちのように、私の「からだの火照りが収まるような心地よさ」を確かに感じます。
(「愚かなり我が心」――『Waltz for Debby』収録)恐らく龍さんが書いている「愚かなり」の演奏は、ヴィレッジ・ヴァンガードのライブの空気や、観客の食器の触れ合う音までをあまりにも切なく切り取った、日本でもっとも有名なジャズアルバムである「ワルツ・フォー・デビィ」の演奏のことだと思います。「教養がないから最後は負けたんだ」という、小説の中の冷徹な、しかしどこか虚無的な会話の背景で、この「愚かなりわが心(My Foolish Heart)」が流れている。そのコントラストと象徴性の見事さに、改めて龍さんの描く小説世界の凄みを感じます。エバンスが弾く最初の和音だけで、部屋の空気がフッと変わり、スコット・ラファロのベースが、まるで人間の壊れやすい心をそっと指先でなぞるように、切ない旋律を刻んでいく。タイトルの通り、「愚かな私の心」をそのまま曝け出したような、傷つきやすい美しさがここにあります。このプレイを聴くたびに、私たちは誰もが、自分の愚かさや、すれ違ってしまった過去の愛を、静かに反芻せずにはいられなくなります。
龍さんがこの2曲を選んだのは、きっとジャズの「知識」を自慢したかったからではないのでしょう。物語の中で生きる人間たちの、乾いた孤独と一瞬の情熱、そして「教養」という名の、人間がギリギリ保っている尊厳、薄っぺらいプライドではなく、静かな「誇り」のようなものを表現するのに、ビル・エバンスのこの透き通った、しかしどこか理知的で陰鬱さすら孕んでいるピアノの音が、どうしても必要だったのだと思います。楽譜が読めなかったウエス・モンゴメリーが魂でオクターブ奏法を生み出したように、エバンスもまた、己の業(ごう)のようなものを、あの美しい打鍵に込めていたに違いありません。
40歳から始めて、800枚弱の名盤を巡ってきた私ですが、こうして龍さんの硬質な文章を片手にビル・エバンスを「再聴」してみると、かつて名盤本を読んで「わかった気になっていた」エバンスとは、まったく違う感想を感じずにはいられません。上昇志向のジャズ評論には「エバンスのインタープレイの革新性」と書かれているかもしれない。けれど、50も半ばを過ぎた今の私が、このプレイの中に見出すのは、そんな歴史的評価ではなく、この「宝石のように跳ねる音」と「切なく刻まれるベース」が、わたしの「まちがいだらけの人生」と、奇妙な調和を成してくるような気がする、という感覚だけなのです。
「何もしない人生よりも、まちがいだらけの人生のほうが、立派であるのみならず、有益でもある」
(ジョージ・バーナード・ショー(劇作家・評論家))
