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『「できる」は、誰が決める?――既卒者教育で私が立ち止まった日』

「経験は3年あります。」
その言葉を聞いたとき、私は少し安心していました。
新人ではない。
分娩介助の経験もある。
だから、病棟の流れさえ覚えれば、自然と馴染んでいくだろう。
そう思っていました。
でも、その予想は、少しずつ崩れていきました。


ある日、帝王切開後の患者さんが病棟へ戻ってきました。
「○○さん、この患者さんで一番最初に何を見ますか?」
彼女は少し考えてから、
「……血圧を測ります。」
と答えました。
間違いではありません。
でも、
「どうして最初に血圧なんですか?」
そう聞くと、彼女は黙り込んでしまいました。
その沈黙が、
「分からない」のか、
「考えている」のか、
それとも言葉にできないだけなのか。
私には分かりませんでした。


その頃の私は、教育に迷っていました。
質問をしても、本音が見えない。
何を考えているのか分からない。
「どう教えればいいんだろう。」
そんなことばかり考えていました。


そんなある日、一緒に自己評価表を見返しました。
病態理解は「B」。
でも観察は「A」。
異常時の報告も「A」。
その評価を見た瞬間、私の中に一つの疑問が浮かびました。

「この人にとって、『できる』って、どんな状態なんだろう。」



それまでの私は、
「何ができない?」
ばかり聞いていました。
でも、その日から質問を変えました。

「あなたにとって、『できる』ってどんな状態?」

その答えを聞いて、私はようやく気づきました。
私と彼女では、
“できる”の基準が違っていたんです。


私は、
「できる」とは、
一人で優先順位を考え、
根拠を持って判断し、
安全に実践できること。
でも彼女にとっては、
「やり方を知っている。」
「一度やったことがある。」
そんな意味だったのかもしれません。
だから、お互いの話が噛み合わなかった。


あれから私は、
「何をしたの?」
ではなく、
「どうしてそう考えたの?」
と聞くようになりました。
教育とは、
教えることではなく、

“できる”の基準を合わせること。


今は、そんなふうに思っています。


最後に、ひとつだけ問いを置いて終わります。
あなたの職場にも、
「経験はあるのに、なぜか伸び悩んでいる。」
そんなスタッフはいませんか?
その人は、本当に”できていない”のでしょうか。
それとも、
あなたと、その人の”できる”の基準が違うだけなのかもしれません。

私は、既卒者教育ほど難しいものはないと感じています。
経験があるからこそ、「できるはず」という思い込みが、お互いの中に生まれてしまう。
だから私は最近、教える前に、その人がどんな”ものさし”で自分を評価しているのかを知ることから始めるようになりました。


教育は、相手を知ることから始まる。
そして私は、
既卒者教育とは、知識や技術を教えることではなく、お互いの「できる」の基準を合わせていくことなんだと、少しずつ思うようになりました。

だからこそ、既卒者教育は難しい。
でも、その難しさの先に、本当の「育てる」があるのかもしれません。

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