にゃんこおばちゃん
祖母が亡くなった。83歳だった。
夕方ごろに母が「施設から連絡が来て、ヤバいらしいから行ってくる」と家を出ていった。年齢が年齢だし、過去にはガンやら何やら併発もしていた。最近は特に闘病をしていたわけでもなかったけど、いつどうなってもおかしくない年齢には変わりない。
ぼくも、母も、父も、ある程度冷静にその状況を静観していた。
訃報を聞いたのはそれから数時間後だった。携帯の画面に母からの着信があり、ちょっと嫌な予感がして出たら、やっぱりそうだった。予感ってのはだいたい当たる。
「おばちゃん、いま亡くなったよ」
母の声は、いつも通りだった。きっとぼくもいつも通りだった。
祖母の話をしよう。
昔は幼稚園の先生をしていたらしい。でもその割にはけっこうズボラな人だった。昔はどうだったか知らないが、ぼくの知る限りではあの家の家事はだいたいじいちゃんの方が担っていた。ご飯もじいちゃんが作ってた。ぼくはじいちゃんが牛乳で作る白いコーンスープが大好きだった。ばあちゃんはそれをすすっている印象の方が強い。あんまり手の込んだものは出てこなかった。味噌汁はだいたいインスタント。漬物は近くのスーパーの特売コーナーで買ったやつ。
でも、そんなばあちゃんにも、きっちりしている一面があった。
それが、手紙だ。
ちいさな便箋に、まるで書道みたいな字で、季節の挨拶やら、近況報告やらを書いてはぼくにくれた。幼い僕には難しい言葉も混じっていたけど、読んでもらうのが嬉しかった。手紙の最後には必ず「元気でいるんだよ」とか「また顔を見せてね」と書いてあって、それが妙に胸に残った。
ばあちゃんの家では猫を飼っていた。黒と白が混じった、ちょっとふてぶてしくてのんびりしたやつ。うちはずっと犬派で猫に馴染みがなかったから、祖母は「猫を飼ってるおばあちゃん」として、家族の中では“にゃんこおばちゃん”というあだ名がついていた。変なあだ名だけど、本人も気に入ってたのか「にゃんこおばちゃんだよ」と自分で言っていた。
そんな、にゃんこおばちゃんが亡くなった。
にゃんこおばちゃんは、二人姉妹の次女として生まれた。お父さんは戦争に行き、彼女がまだお腹の中にいるときに亡くなった。
「お父さんの顔見たことないのよ」
そんなふうに言っていたけれど、ぼくも小さいながらに、何かあるんだろうなとは思っていた。後々その事実を知った時には、じいちゃんばあちゃんってのは戦争というものに隣接した時代を生きてきた世代なんだなと感じた。
戦死した兵士の遺族には当時それなりの補償金が支払われたようで、そのおかげで彼女は、当時としては珍しく、先生になるための学校に通えた。
若い頃のにゃんこおばちゃんは、美人だったらしい。
確かに死化粧をした顔はけっこう綺麗だった。顔の肉も重力で下に落ちてたから余計だろう。察するに、おそらく昔は美人だったっぽい。
「電車の中で声をかけられて、びっくりしちゃったの」
と照れくさそうに話していた相手が、のちの旦那——つまり“にゃんこおじちゃん”になる人だった。5人兄弟の次男として貧しい家庭に育ち、子どもの頃から苦労を重ねた人だった。だからか、ものをとても大事にする人だった。
靴は何度も修理して履き、食べ物は絶対に残さなかった。料理も掃除もまめで、家事の多くをじいちゃんがこなしていた記憶がある。にゃんこおばちゃんはというと、どこかのんびりしていて、モノを溜め込むところがあったから、案外それでバランスが取れていたのかもしれない。
二人はよく、待ち合わせて銭湯に行っていたらしい。洗面器を持って、のんびり電車に乗って、帰りに商店街でお惣菜を買って帰る。まるで「神田川」の歌詞みたいな風景だ。愛し合っていたんだと思う。きっと深く、静かに。
だけど、当時の日本では、育ちの差は大きな壁だった。
にゃんこおじちゃんは「うちはそこそこいい家なんだ」と嘘をついていたそうだ。結婚したい一心で、見栄を張った。でも嘘はやっぱりバレる。予想通り貧富の差が原因で反対されることにはなったけど、それでもにゃんこおばちゃんはにゃんこおじちゃんを選んだ。きっと、自分で決めたことを貫く強さがあったんだと思う。強情な婆さんだったしな。
そしてふたりの間に長男と長女が生まれた。
ぼくの母と、叔父にあたる人だ。
しかし、じいちゃんは50歳を待たずして、白血病になった。
「余命は数年でしょう」
そんな診断をされた時、二人はどんな気持ちだったんだろう。
でも、その翌年に娘は結婚して、さらに翌年にぼくが生まれた。
初孫。にゃんこおじちゃんは、それはもう嬉しそうに僕を抱き上げたらしい。
そこから、奇跡のように20年以上生きた。孫の成人式も見届けた。
でも、人生は残酷だ。時系列でいうとにゃんこおじちゃんよりも先に、息子が亡くなった。まだ40歳。ぼくの叔父さん。ぼくにとってはインターネットの世界を教えてくれた先生だった。機械オンチの家庭で唯一のデジタル人間。彼がいなかったら、ぼくの今の仕事も生活も、なかっただろう。
息子を見送り、夫を見送り、ばあちゃんはそうして一人になった。
それから何年かは、娘であるぼくの母親の介助を受けながらどうにか一人暮らしを続けていたけれど、結局施設に入ることになった。
施設での暮らしは思ったより合っていたようだ。周囲の人と仲良くしてたかどうかは非常に怪しいけれど、わがままを言いながらも、なんだかんだ生活していた。
特に「おやつの時間」には絶対に妥協しなかった。
通院のついでに必ずファミレスでスイーツを食べていた。クリームあんみつとか。そして、外出先でどれだけ楽しんでいても「おやつの時間までには戻りたい」と言い出す。笑ってしまうけど、それがにゃんこおばちゃんだった。
そして亡くなる日。朝風呂に入り、昼ごはんを食べ、3時のおやつをきっちり食べてから、静かに逝ったそうだ。
なんというか、本当にぶれない人だった。
棺には色鮮やかな花がたっぷり詰め込まれた。にゃんこおばちゃんはお花が好きだったらしい。ぼくは食べ物が好きだった記憶しかなかったけど。
それと、みんなで撮った写真。
あと、そしてパイナップル、キウイ、まんじゅう、プリン。それとリンゴジュース。
「じいちゃんのときはアジフライ入れたんだよね」
「そうそう、ココナッツサブレも」
毎回ちょっと美味しそうな棺桶になるのが、うちの通例らしい。
若い頃のふたりが並んだ写真も、最後にそっと添えた。
にゃんこん家のテレビ台にずっと飾ってあった一枚。
もったいない気もしたけど、写ってる二人が持っているのが一番良い。
あの世でも飾ってね。

にゃんこおばちゃん。長い間、お疲れ様でした。
今ごろは、3人で一緒ににぎやかにやってるかな。
クリームあんみつの食べ過ぎでまた太って下界に落ちてこないように気をつけてね。
おれはおれで、まあ、のんびり、やっていきます。
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