SNSを見るより、日常をちゃんとやったほうが人生は戻る
SNSがうまくいかない。
なに書いたらいいかわからない。
そういう話、ずーっと話題に上がるよなと思ってます。
そのたびに思うのが、暮らしが止まってると発信も止まるなってこと。
誰かの投稿を見て、焦って、「こういうの書けばいいのか」って真似してみても、なんかうまくハマらない。もちろん大して反応もない。で、落ち込む。の繰り返しみたいなやつ。
わかる。めちゃくちゃわかる。ぼくもやったことがあるので。
これについての(今のところの)見解は
「SNSよりも、まずは生活をちゃんとやること」です。
SNSって、結局のところ“暮らしの副産物”なんですよね。
或いは、“学習の副産物”とか“行動の副産物”とか言い換えてもいいと思います。とにかく「SNSのためにSNSをやるのはなんか違うよな」って考えです。
当然だけど無から発信は生まれないし、だれかの投稿のコピペでもダメ。
いいこと言おうとしても、実感がないと言葉が浮く。
今日、どんなもの食べた?
なにか面白かいことあった?
ちょっとだけ落ち込んだ?
なんか変なこと考えたりした?
何を勉強した?
どんな行動をして、その結果どうなった?
それを自分の中から見つけるところから、発信が始まります。
ぼくはしょぼいFIREをして無職になってから、よく歩くようになりました。以前よりも世の中を俯瞰して観察できるようになった気がします。
道端の変な雑草とか、民家のガラス越しのカーテンとか、ふいに流れてくるうまそうなカレーの匂いとか。そんなものが、ふいに心に残るようになります。
・・・まあでもボーッとしてて犬のうんこ踏むこともあるので、俯瞰してますの説得力に関しては微妙かもしれない。そしてうんことカレーの話を一緒にするのはあまりにもセンスがない。
そうやって日常をちゃんと味わってると、「書くことがない」って感覚がだんだん減ってきます。というか、「書こうとしてないのに書きたくなる瞬間」がくるって感じ。
それが発信におけるいちばん自然な形だよなと思ってます。
当然ですが、SNSって実感のある言葉のほうが届くんですよね。
あまりにもきれいな写真よりちょっとぶれてるスマホの1枚の方が響いたりする。完璧な構成よりリズムがちょっと崩れた文の方が“人っぽさ”が出る。うまいこと言おうとしてない投稿の方が、意外とバズったりする。
だから、うまくやろうとするより、ちゃんと暮らしてることのほうが強い。
フォロワー数とかインプレッションとか、そういうビジネス脳に翻弄されてばかりいるけど、本来の自己表現なんてのは、それだけで十分なんだと思いますよ。
SNS映えのために生活をしない。生活や思考を記録するためにSNSを使うって方が、ぼくは自分の価値観に合っているので、そのように意識するようにしています。ボーッとしてると「バズ!数字!」みたいなものに惑わされてSNSしんどくね??ってなっちゃうので。
なので「SNSがんばらなきゃ」って気持ちが出てきたとき、なるべくスマホから離れるようにしてます。
何かがあった日はラッキーだし、なにもなかった日はなにもなかったって書いてみてもいい。書かなくたっていいんだし。
とにかく、発信ってスキルじゃなくて姿勢なんですよ。
うまいことを言うんじゃなくて、ちゃんと見ることから始まる。
それが、たぶんいちばん続くし、届くんじゃないかなっていう持論です。綺麗事ぽくも聞こえるけど、こっちの方が疲れないのでおすすめです。
今日をちゃんと見る。
それだけで、発信はじゅうぶんおもしろくなる。
SNSをがんばる前にまずは暮らしをちゃんと味わってみるところから始めてみるのがいいかもしれません。余裕ない人の発信は余裕なさそうに映るでしょ?そういうことです。
とはいえ、まあ数字も頑張って追いかけたい!というのは発信する人としては健全な思い出もあると思う。
一応そういうちゃんとしたやつも書いてます。
興味あったら読んでちょ。
いいなと思ったら応援しよう!
ここまで読んでいただきありがとうございました!
メンバーシップもよかったらぜひ覗いていって下さい!