もういない人の話をできる場所が、孤独感を少し軽くする
待ち合わせ場所は駅前のロータリー。
3月の終わり、春にしては空気が重かった。温度じゃなくて、気配の話だ。
依頼主は、ベンチに座ってスマホをいじっていた。
近づいて声をかけると、ちょっと驚いた顔をした。
無職が本当に現れるとは思ってなかったらしい。よくあることだ。
「……なんか、すみません。こういうの、人生で初めてで」
「大丈夫です。無職と話すのは初めての人が多いです」
彼は笑いかけて、すぐ戻った。
いわゆる“ちゃんとした人”の顔をしていたけど、心は置いてけぼりになっていた。
それが、この依頼の理由だった。
「彼女と別れたんです」
「最近?」
「三ヶ月前です」
“最近”の定義は人によって違う。
でも話す声の温度と、沈黙の長さを聞けば、今がまだその中だということはわかる。
「もう戻れないのもわかってて、向こうは新しい彼氏もいるっぽくて」
「へえ」
「それでも、まだずっと考えちゃって」
彼はポケットから鍵を取り出して、またしまった。
無意味な動作で時間を埋めるのは、ちゃんと生きようとしてる人の特徴だ。
「記憶って、なかなか消えないですよね」
「消すもんでもないと思いますけどね」
「でも、思い出しても意味ないじゃないですか」
「意味ないことって、大事ですよ」
公園の近くを歩きながら、ぼくはそう言った。
すぐそばで、小学生がボールを蹴っていた。誰も拾いにいかないボールが、コンクリートの上を転がっていった。
「なんか、前を向けって言われるのも疲れて」
「それ、たぶん、言ってる側もそんなに前向いてないですよ」
「え、そうなんですかね」
「人ってちょっとだけ横向いて歩いてるくらいがちょうどいいと思いますよ」
依頼主は鼻で笑った。軽く、けれど否定じゃない音だった。
「思い出の整理って、時間が勝手にやってくれると思ってたんです」
「時間は進むだけで、片付けはしてくれないですからね」
「じゃあ、ずっとこのままですかね」
「ずっとこのままだった人、あんまり見たことないですよ」
「それ、救いですね」
彼はふうっと息を吐いた。深呼吸というより、ため息だった。
ベンチに戻って、缶コーヒーを買った。
ぼくはブラック。彼は微糖。そういう違いがあるだけで、なんとなく一緒に座りやすくなる。ちなみにぼくはブラックが苦手だけど、相手の話を聞くために神経を研ぎ澄ませるには、甘い汁でリラックスするよりも、苦い泥水を啜っている方が良い気がしている。
「まだ彼女の誕生日、覚えてるんですよ」
「じゃあたぶん、まだ消えなくていいんじゃないですか」
「……え」
「思い出って消さなきゃいけないってほどの毒じゃないですし」
「でも、持ってると苦しくて」
「苦しい記憶って、気づいたら「あったな〜」くらいに落ち着きますよ。冷めたカップ麺みたいに」
「それ美味しくはないですね」
「でも腹は満たしてくれるんですよ。意外と」
彼はコーヒーを飲んで笑った。
「今の自分、誰にも見せたくないと思ってたんです」
「まあ無職なら大丈夫ですよ」
「なんでですか?」
「下から見てるぶん、あんまりジャッジしないんで」
その言葉がどう響いたのかはわからないけど、彼の肩は少しだけ下がったように見えた。
別れ際、彼はポケットからまた鍵を出して、それを見つめていた。
「なんか、変なこと聞いてもいいですか」
「どうぞ」
「こんな時間、意味ありますかね」
「意味って終わったあとにしか出てこないんで。たぶん、あとで勝手に出ますよ」
それを聞いた彼は、黙ってうなずいた。
そして笑って、「また連絡してもいいですか」と言った。
「どうぞ。ぼくはだいたい空いてます」
「無職、いいですね」
「まあ、悪くないですよ」
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