煙草について思うこと
敢えて歴が何年、とは言わないが僕は喫煙者だ。
煙草は百害あって一利なし。
その通り。
そんなことはもちろん知っている。
百も承知だ。
世の中が喫煙者を締め出したい風潮にあることにも納得はいっている。
そんな風潮は理解しているので、僕は人知れずこっそり吸うし、なりふり構わずどこででも吸う人間は軽蔑している。
歩き煙草などもってのほかだ。
迷惑極まりないだけでなく、火種を持って歩くような危険行為、容認して良い訳がない。
ましてや近くに子どもがいればなおさら。
健康被害もさることながら、煙を吐き出して振り降ろした手の高さは、子どもの体で言えば顔の高さになる。
近頃では随分と減ったものの、火の着いた煙草を車の窓から投げ捨てる阿呆もいまだに存在している。
実際に実行したことはないが、投げ捨てられた煙草をすぐさま拾って「落ちましたよ!」と親切なニコニコ顔で窓から投げ入れてやりたい衝動に駆られる。
と、一応自分の行動や思想を正当化してみたところで、「だから吸っていいだろう?」とも言い難い世の中だ。
それでも、noteの世界は優しい。
他のSNSならば、徹底的に叩かれてもおかしくない「喫煙」という行為を、非喫煙者の視点で綴った記事を2つほど。
どちらも僕の好きな作品だ。
akmitaさんの「けむり」。
彼女自身は非喫煙者、また、医療関係の職に就いていることもあり、煙草と健康の良からぬ関係は当然のことながらきちんと認識されている。
その上で、喫煙者の仕草や表情自体に対しては好意的な目を向けてくれているようだ。
決して「みんな吸おうよ!」という内容ではないが、記事の雰囲気、語り口、叩かれがちな喫煙者に対しての眼差しに、僕は暖かい気持ちになった。
タイトルの「けむり」という平仮名をチョイスするセンスも好きだ。
僕の短く拙いレビューでは充分に魅力が伝わらないと思うので、是非読みに行って頂きたい。
タイトルに付けられた「けむたさ」はなく、爽やかな後味。
渡邊惺仁さんの「最後の喫煙者」。
彼自身もまた非喫煙者、そして医師。
当然の事ながら喫煙のリスクは、僕などが語るまでもなく、熟知している。
この記事が投稿された当時、どんな言葉で喫煙者をボコボコにするのだろう、と思いながらリンクを開いたが、さすがは我が相方。
喫煙の衝動に理解を示しながら、禁煙を必要とする人と向き合った際のエピソードが書かれている。
そして、医師といえども高圧的な態度で他人の趣味嗜好を奪ってはいけない、とも。
こちらも百聞は一見にしかず。
是非ともリンク先の記事に飛んでみて欲しい。
余談だが、僕が彼の記事にコメントを書き込んだのは、この日が初めてだったようだ。
煙草そのものや、吸う人を取り囲む環境は年々変化している。
電子タバコ、加熱式たばこといった製品も今では一般的になり、喫煙のスタイルは多様性を見せている。
とはいえ、昔の若年層で言えば、「煙草=不良=かっこいい」のような図式もあったように思うが、加熱式たばこが増えた今、特攻服にiQOSもgloもないだろう。(特攻服自体の希少性も高まりつつある時代だが…)
よく語り草にはなるが、「昔は病室で吸えた」や「電車には喫煙車両があった」というのも過去の話。
吸う人も吸わない人も心地よく、とはどこかのCMのような文言だが、本当にそう思う。
喫煙者が非喫煙者の健康を害する権利は無いし、今後も彼、彼女らの前で煙を吐き出すことはないだろう。
それでも、仕草や文化を尊重してくれる人々のことが、僕は好きだ。
僕も現在は加熱式たばこを愛用しているが、かつて使っていたオイルライターの音や匂い、煙の匂いや紙巻煙草を吸う仕草は、他の何にも変え難いものだと思っている。
煙草憎さでそんなシーンが描かれた過去の映画やドラマまで叩き潰すような、寂しい世の中が完成して欲しくはない。
喫煙者がマナーや節度を守る事は大前提としてだが、これからも「吸う/吸わない」が共存出来たら嬉しい。
そしてリンクを貼らせてもらった彼らのように、自分とは違う趣味嗜好を持った人にも寛容な態度で接することの出来る人間でありたいと、切に願う。
