マッチングアプリは、人間を幸福にしたか?
結婚相手も浮気相手も、最近では友達までもマチアプで調達した女としては、この問いに無関係ではいられない。
この問いに対する現在の私自身のアンサーは「幸福にはなったが穏やかではない」。
今日はマチアプの功罪について私なりに語ろうと思う。
幸福だが、穏やかではない今の私
マッチングアプリによって出会いの機会は飛躍的に増えた。
普段出会うことのないタイプの人間に、スマホひとつあれば簡単に出会うことができる。
しかし、アプリでの出会いは常に比較・選別・切断の連続だ。
20代の頃、本気で婚活をしていた時「家電買うみたいやなw」なんて思いながらアポの相手を淡々とスペックで選別していたが、それは向こうも同じことだろう。
夫に出会い結婚した数年後の今、また浮気相手をアプリで見繕っている有様。
我ながら世話ねーなと思う。
しかし、心の平穏を削りながらも楽しく刺激的なこの時間は「豊か」でもある。
つまり、私はアプリによって幸福を得られた側の人間らしい。
もちろん、失ったものもある。
出会いや関係性がある程度パターンとして読めるようになったせいか、”純粋に異性にときめく”感覚はほぼ枯渇した。
もともと希薄だったが。
マチアプで起こることの全てがネタでエンタメ。
こんな女に誰がしたんだろうね、全く。
「捕食者」になれば楽しい
アプリでの出会いを楽しめない人にありがちなのは、"選ばれる側"に回って受け身のままでいることだ。
要するに、お客さん。
これははっきり言って良くない。消耗するだけだ。
明確にアプリが向いていないのは、他責思考・メンヘラ・受け専が揃っている時だ。
元々そういう気質が強い人はもちろん、たまたまそうなっている時期もやめておいたほうがいい。
そんな状態で足掻いても、たいてい予後が悪い。まずは自己回復に集中しろ。
それらに当てはまらないにも関わらず、うまくいかないなら。
肩の力を抜き、観察者として楽しむことから始めればいい。
そして相手を選び、適切な距離を測り、ネタに変換することができれば、その出会いは「娯楽」になる。
一方的に消費される感覚に支配されるのではなく、エンタメとして楽しむ観点を持てればそこに「負け」は存在しない。
ベストは「捕食者」ポジションだが、「観察者」も悪くないのである。
"欲望の流通網"としてのマッチングアプリ
結婚、恋愛、不倫、友達、セフレ。
これらすべてが、同じプラットフォームで調達可能になった。
一つ言えるのは、アプリでの出会いが便利である反面、人間関係そのものを軽くした側面もあるということだ。
「簡単に手に入るものは、失うのも早い」
…本当にそうだろうか?
忘れたくないのは、アプリで出会った人と簡単に切れたからといって、それによって自分の価値そのものが変わるわけではないということだ。
この視点を失うと、あっという間にメンタルを削られる。
「今までの時間と労力を返してほしい」
そんなナメたことを言う奴は、そもそもお呼びではない。
せいぜい隙間時間にやりとりして、数時間会っただけだろう。
トータルで見れば、たかだか数日だ。何も失っちゃいねーよ。
お気を確かに。
目的は承認か、あるいは寂しさへの麻酔か?それとも、ただの暇つぶし?
自分の現在地を見失うと、足元を掬われるのはいつも同じかもしれない。
総論:幸福になれなくても「物語」は増える
これまでアプリで多くの男に出会ってきた。
そこでの出会いは玉石混交、さまざまだ。
負わなくていい心の傷も増えたし、中には記憶から抹消したいレベルの男だってもちろんいた。
しかし、そんなクソ男ほど良い観察対象ではあったのだ。悔しいけれど。
マッチングアプリによって、人生のネタ帳は劇的に固く太くなった。
幸せの装置ではなく、人生の情報量を増やす道具としてかなり優秀なのは明らかだ。
私はアプリで幸せになった。
しかし主語を「人間」にまでデカくしたとき、マチアプが幸福をもたらすものなのかは、正直まだよくわからない。
ただ一つ言えるのは、幸福そのものより先に、欲望と孤独と選択肢を可視化したということだ。
その光景は時に便利で、時に残酷で、時に笑ってしまうほどくだらない。
少なくとも、穏やかではいさせてくれない。
しかし、退屈もしないのだ。
さて、アナタはぶん回す側?
それとも、ぶん回される側?
楽しもうぜ!
