【BL超短編#ピリカ文庫】この世の果てで
向こうのホームの階段を、男が降りて来たとき。
7年が経っていたにも関わらず、0.1秒で僕の眼はカメラのように相手を捉え、焦点を合わせた。
間違いない。暁だ。
僕が上京した次の年に、彼も東京に出たと聞いた。
だが家族も友人も、彼が東京のどこに居るのか正確には知らないという。時々、短い電話があり、元気だと告げて、すぐに電話を切ってしまう、と。
彼が東京に来れば、連絡が来るはずだと思っていたのに、結局、来なかった。彼とのSNS上のやり取りも、上京した頃を境に断ち切られていた。
そんな彼が、いま僕の視線の10m先にいる。
暁は厚手のパーカーにジーンズで、両手を上着のポケットに突っ込み、大きなリュックを肩に担いでいる。ろくに手入れされていないボサボサの髪の毛が、うつむきがちな顔にかかっている。投げやりな風情がまるで彼らしくない。僕の記憶にある彼は、いつも笑っていたのに。
風が強い。ホームにはさまれた線路の中で、吹き飛ばされた桜の花びらが渦を巻いた。花びらは向こうのホームの裏手にある桜並木から飛んでくるのだ。こちらのホームにまで飛んできた花びらが、僕のネクタイに貼り付いた。
昼過ぎから夕方にかかる直前の、中途半端な時間帯。にも関わらず、ビジネス街にある駅は人の出入りが多い。次々と人が降りて来ては向こうのホームに溜まってゆく。
僕は彼の姿を見つめた。暁、あきら。こっちを見ろよ、僕を見ろ。──声が届いたのかどうか。彼はこちらに視線を投げた。そして一瞬、瞳を揺らし、わずかに目を見開くとじっとこちらを見てきた。
途端に、別れ際の彼の台詞が、僕のナカでこだました。
(聖は、俺のこと、すぐに忘れるよ)
その言葉を上からおおい隠すように、僕は言った。
「おーげさ。LINEもインスタもあんじゃん。新幹線なら3時間だし、この世の果てに行くわけでなし」
「…………」
彼は何か言葉を飲み込むと、目を伏せてうつむいた。
閑散としたホームにいる駅員以外の人間は、僕らふたりだけ。
僕は新幹線に乗り込み、乗降車口で彼と向かい合っていた。僕たちは、高校ではそこそこ仲が良いフツーの友達……だと、みんなは思っていただろう。
けれども僕は、彼の密かな視線に気づいていた。胸を高鳴らせ、でも目を合わせず。気持ちを向けられていることに優越感があった。
ほら追いかけて来いよ。話をしてやってもいいし、気が向いたら、そう……笑いかけてやってもいい。好きなんだろ、僕のこと。
しかし高校を卒業してからも、SNS上の対応は友達のまま。僕は焦り始めた。
──だから他の人の見送りを断ったんだ。二人きりなら。最後なら。もしかして気持ちを打ち明けてくれるかもしれないと。
僕は卑怯者だ。先に気持ちに気づかれたら負けだと思っていた。本当はこう言いたかったのに。
(忘れるわけないじゃん。てゆーかさ、お前も一緒に来ない? バイトでも何でもしてさ、なんなら一緒に住めばいいし)
発車のアナウンスが流れ、ベルが鳴った。
暁は顔を上げ、僕は息を呑んで次の言葉を待った。なあ言えよ、早く。だが、彼は鋭いホイッスルの音にびくりと身を震わせ、数歩、後ろに下がった。思わず僕は叫んだ。
「なんかあったら、いつでも──」
ドアがピシャリと閉まる。僕はドアのガラスに手をついた。
窓枠からゆっくりとフレームアウトしてゆく彼の顔は、泣きそうになっていて……
「暁!!」
僕は大声で呼びかけた。両方のホームにいる人間が、ぎょっとしたように僕と、暁を見る。聞こえているはずなのに、彼は身じろぎもせず無表情のままだ。階段に向かって走ろうとした寸前、向こうのホームに電車がすべり込んで来て、彼の姿をおおい隠した。そんな、待って、待ってくれよ。
お前が連絡を断ち切った時、このまま永久に会えなくなるんじゃないかと気づいて愕然とした。安心しきって立っている場所の足場を、とつぜん外されて、冷たい空間に投げ出されたような。
死ぬほど後悔した。どうして意地をはったりしたんだろう。どうして言葉で伝えなかったんだろう。
(この世の果てに行くわけでなし)
距離が問題なんじゃない。人と人との関係は、手を離したらそこで終わりなんだ。いつまでも在ると油断したとたん呆気なく一瞬で消え去る。
ここに来て、わかった。
大事にしたい、大事にされたい。そんな相手が居ることは、当たり前じゃない。
ものすごく特別なことなんだ。
怖かった、僕たちの間にある何ものかが、決定的になることが。でも失くしてやっとわかった。もういちど彼の笑顔が見たい。彼に僕の名前を呼んで欲しい。僕が大事にすることを許して欲しい、暁に。
……神さま、どうか神さま。チャンスを。もう一度、彼に会わせて下さい。そうしたら今度こそ。
今度こそは────。
向こうのホームに停まっていた電車は、ゆっくりと動き出す。僕は息を詰め、祈るような気持ちで凝視し続けた。
彼はその電車に乗って、行ってしまったのか。それとも、残ってくれたのか。
神さま。
ああ、どうか神さま。
(完)
⭐︎ ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎
ピリカ文庫にお声がけいただきました。
ピリカさん。とても光栄です。ありがとうございました。
