完璧になれない夜に。400年前の「根っこ」が教えてくれた、美しい引き算の話
こんにちは、RAYです!
今日はちょっと不思議な体験をシェアさせてください。
普段、デザインやディレクションのお仕事をしていると、どうしても「新しいもの」や「トレンド」にばかり目が向いてしまいがちです。
でも、ふと手に取った400年前の古典が、今の私の悩みや、言葉にできないモヤモヤに、驚くほど優しく寄り添ってくれたんです。
その本とは、『菜根譚(さいこんたん)』。
名前だけ聞くと、なんだかすごく渋くて、お説教くさいイメージがありませんか?(実は私も最初はそう思っていました…笑)
でも、中を開いてみたら、そこには「清廉潔白でいなさい」という教えではなく、「泥臭い現実の中で、どうやって心をすり減らさずに生きるか」という、驚くほどリアルで、今の私たちに必要なヒントが詰まっていたんです。
今日は、私がこの本から見つけた、ちょっと意外で、でもすごく救われた「3つの発見」について、皆さんと一緒に考えてみたいと思います。☕️
1. 「清らかすぎる水」には、魚も棲めない
私たちは大人になるにつれて、「正しさ」や「完璧さ」を求めすぎてしまうことってありませんか?
仕事でも人間関係でも、「こうあるべき」という理想を持って頑張ることは素敵なことです。でも、その正義感が強すぎると、自分も周りも苦しくなってしまう…。
『菜根譚』には、こんなハッとする言葉がありました。
地の穢れたる者は多く物を生じ、水の清き者は常に魚無し。故に君子は、当に垢を含み汚を納るるの量を存すべく、潔を好み独り行うの操を持すべからず。
「汚れた土からは作物が育つけれど、清すぎる水には魚は棲まない」 というんです。
これ、すごく直感に反しませんか? 普通、「清らかであること」が良いことだと教わりますよね。でも、この本は「多少の汚れや垢(あか)を受け入れる度量がないと、人は生きていけない」と教えてくれます。
クリエイターとして「美しさ」や「完璧」を追求したい私にとって、この言葉は最初、少し衝撃でした。
でも、よく考えてみると、本当に居心地の良い場所や豊かな関係性って、少しの「ゆるさ」や「違い」を許容する土壌にあるのかもしれません。
潔癖になりすぎて孤立してしまうより、ちょっとした濁りも「まあ、それも人間味だよね」と笑って受け入れる。そんな「清濁併せ呑む」しなやかさこそが、本当の強さなのかもしれないな、と感じました🌿
2. 譲ることは「負け」じゃない、最強の戦略
競争社会に生きていると、どうしても「一歩でも前へ」「誰よりも早く」と焦ってしまいますよね。誰かに先を越されたり、手柄を取られたりすると、心がザワザワしてしまうことも…。
でも、『菜根譚』の著者は、驚くべきことを言っています。
径路の窄き処は、一歩を留めて人の行くに与え (...) 此れは是れ世を渉る一の極安楽の法なり。
「狭い道では、一歩立ち止まって相手を先に行かせてあげる。それがこの世を渡る、もっとも安楽な方法だ」 というのです。
さらに面白いのが、これが単なる自己犠牲ではないところ。「一歩退くことは、実は将来自分が一歩進むための土台(張本)になる」と書かれています。
これ、すごく現代的な「戦略」だと思いませんか?
ガツガツと前に出る人は、敵も作りやすいし、足を引っ張られることもあります。でも、一歩譲って相手を立てることができる人は、周りから愛され、結果的に長く、遠くまで行ける。
「譲る」という行為は、弱さではなく、余裕のある人にしかできない「高度な処世術」 なんです。
「お先にどうぞ」と言える心の余裕が、巡り巡って自分を守ってくれる。そう思うと、焦る気持ちがふっと軽くなる気がしませんか?
3. 「満開の花」よりも美しい瞬間がある
何かを成し遂げた時、私たちは「最高潮」の状態を目指しますよね。プロジェクトの成功、満開の花、完璧な状態。
でも、『菜根譚』は、その「ピーク」に対してちょっと慎重です。
花は半開を看、酒は微酔に飲む。此の中に大いに佳趣有り。
「花は五分咲きくらいが良く、お酒はほろ酔いくらいが良い。そこにこそ素晴らしい味わいがある」
満開になってしまえば、あとは散るだけ。泥酔してしまえば、楽しみは台無し。
物事が絶好調で満ち足りている時(盈満)というのは、実はコップの水が溢れる寸前のように危うい状態でもあります 。
私はこの言葉を読んで、「未完成であること」や「まだ途中であること」を愛してもいいんだ、と背中を押された気持ちになりました。
「もっともっと」と上を目指し続けるのも素敵ですが、「あともう少し良くなれる」という余白がある状態こそが、一番幸せで、味わい深いのかもしれません。
「完璧じゃなくていい、五分咲きの私で十分美しい」。
そう思えたら、明日からの景色が少し違って見えそうです。🌸
最後に
『菜根譚』というタイトルの「菜根」は、「堅くて筋の多い野菜の根っこ」のことだそうです 7。
美味しくはないかもしれないけれど、じっくり噛みしめていると、だんだんと深い味わいが出てくる。そんな意味が込められているそうです。
400年前の中国も、現代の日本と同じように、先が見えなくて、人々が不安を抱えていた時代だったと言われています 。
だからこそ、理想論だけではない、人間の弱さやズルさも含めた「リアルな言葉」が、今の私たちの心にも染みるのかもしれません。
もし、日々の生活にちょっと疲れちゃったな、という方がいたら。
美術館で一枚の絵を眺めるように、この古い言葉たちを心に置いてみてください。きっと、張り詰めていた糸が、ふわりと緩む音が聞こえるはずです。
皆さんの心に、小さな余白が生まれますように。RAYでした!
