『夏帆』、私はこの世界の出口を見つけなくてはならない──。|感性の余白#5
40年余りの仕事人生に一区切りをつけ、思えば初めて迎える村上春樹の新刊発売である。
いつもと違うのは、発売日の朝に僕みずから書店へ足を運び、本を手に入れたこと。そして、自宅で時間を気にせずにページを繰ったこと。わかりにくいところはいったん立ち止まり、時には前のページへと戻りながら。300ページほどの長編を正味二日で読了したのは、自分としては最速のペースだ。
今回、村上ワールドが提示するメタファー(暗喩)たちも、何となくいつもより抵抗なく受け入れることができた。遅ればせながらガブリエル・ガルシア=マルケスの『百年の孤独』を読んだせいもあるかもしれない。
物語の舞台となる花畑、浦和、武蔵境。都心を包む円弧の地理的な位置関係も、体感としてわかった。
個人的に、浦和という地名や登場人物の町田という姓はこれまでの僕の人生でとても接点が多かったので、作中で出会うたびに何とはなしに微笑ましい気持ちになった。
終盤の展開には、まさに息を呑んだ。それはまるで、フォルテッシモから大いなるカタルシスへと向かっていく音楽のようでもあった。
そう単純ではないが、この小説は、一歩を前に踏み出す勇気の物語である。
さて、本の帯に書かれた「世界の出口」を、果たして夏帆は見つけることができただろうか。
少なくとも、僕は読み終えたあとに不思議な勇気をもらい、自分の新しい日々の入り口に立てたような、そんな気がしている。
ここからは、村上春樹作品との40年以上にわたる読み手としての僕の軌跡。
大学生の頃、『風の歌を聴け』、『1973年のピンボール』、『羊をめぐる冒険』に出会った。
社会に出てからは『ノルウェイの森』や『ダンス・ダンス・ダンス』を読み、村上春樹は30代、僕は20代で駆け出しの季節を、それぞれの速度で歩いていた。
その後、しばらく作品から離れる時期が訪れる。
バブルが崩壊し、仕事に追われ、時間にも心にも余裕が持てなかったいわば「僕の失われた20年」。小説を読むという行為そのものが、生活からこぼれ落ちていた。
再び作品へ戻っていったのは、50代に差しかかった頃だ。 キャリアを重ね、時間はともかく、心の余白がようやく戻ってきたのだと思う。『1Q84』から『街とその不確かな壁』へと、リアルタイムで作品の歩みを追うようになった。 その間、『海辺のカフカ』など過去作にも遡り、宮沢りえさんらの舞台にも足を運んだ。短編集が出れば読み、『村上RADIO』も今では静かな楽しみになっている。

いつの間にか年齢を重ね、新刊が出るたびの喧騒は、少し照れくさくもある。 それでも、このお祭りのようなひと騒ぎは、僕にとって自分の歩みをそっと確認できる、心地よい「祝祭」になっている。
早稲田キャンパスに「村上春樹ライブラリー」が開館したのは、2021年10月。 長く続いたコロナ禍の緊急事態宣言がようやく解除され、街に人の気配が戻り始めた頃だった。
折しも60代を迎えた僕は、開館間もないその場所を訪れ、静かな書架を巡りながら、これからの人生をどう再設計していこうかと、胸の奥でそっと考えていた。
作品を読み続けてきた時間と、自分自身の歩みがふと重なり合う──。
そんな感覚を、あの場所で確かに覚えた。
