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【日記文学】儚い秋のいちにち




11月3日(日)



目が覚めたら空気が冷たかった。思わず薄着のパジャマで寝てしまったことを後悔し毛布に包まった朝。もこもこの毛布はいつも私の味方だ。
ふんわりした、シアワセひとつ。



そうして目が覚め、寝室からリビングへと歩いていく。床が冷たく感じ厚手の靴下を履いた。朝食には温かい飲み物を。玄米茶は私の芯までじんわり染みた。旦那さんにも玄米茶。マグカップの柄は、お気に入りのスヌーピーだ。シアワセふたつ。



それから先に朝の支度を終えた旦那さんと息子が散歩に出かけていった。私は急いで化粧をして、せっせと掃除機をかけたり拭き掃除をしたりした。そのうち二人が散歩から帰ってきて庭の隅で遊び始めた。どうやら落とし穴を掘ったりして、泥遊びをしている。キャッキャと笑う息子の声が窓越しに聞こえた。数分後には案の定、洋服も靴も泥だらけになった息子が「ただいま」と言ってドアを開けてきた。「おかえり、楽しかった?」と聞くと「うん!」と微笑んだ。そして同じく後ろにいるのは泥だらけのパパ。彼には「ありがとう」と言うと「ママもありがとう」と言われた。ふと外を見ると泥団子がみっつ。「ママとパパと、僕のだよ」って自慢げな息子。小さな手で握ってくれた3人分の泥団子。
シアワセみっつ。


それからお昼はお弁当を持ってある公園に向かった。秋になると毎年訪れるんだ、山奥の公園。そこは息子が1歳の時に見つけた静かな場所で、穴場のような紅葉スポット。私たち夫婦は毎年決まってこの時期になると思い出し訪れる。
今年は気温上昇のせいか紅葉は終わりかけとなってしまっていた。だが息子はいつものように落ち葉を拾ったりどんぐりを見つけては嬉しそうに見せてくれた。3人で手を繋ぎたくさん歩いた。ザッザッと鳴る落ち葉の絨毯を歩き、銀杏並木の下を歩き、広場まで繋がるその通りでふと足元をみると3人の影が手を繋いでいた。
秋の日差しに照らされて、3人。
一つになった陰。
全部合わせてシアワセよっつ。



それから広場でレジャーシートを広げ、楽しみにしていたお弁当を食べた。息子はお腹が減っていたようで口一杯に放り込むスタイル。私と旦那さんはそれを見て「落ち着いて」なんて言って困ったように笑った。「去年はあそこで写真を撮ったね。」「一昨年はまだ小さくて登れなかったよ。」なんてことを思い出して話しながら。ふと私は思った。「例年」という言葉はいつ終わってもおかしくない。とてもあいまいな約束だと。そして、いつまでもこんなことが続いたらいいと願った。「来年も3人で来れるといい」と声には出さずに強く願った。失いたくないことがあるなんて随分、贅沢なものだとわかっていた。

「過去」と「未来」と「ここにいる私たち」シアワセ5つ。





儚いっていうのは、秋のことなのかもしれない。枯れていく葉っぱ。消えていく夏の面影。静かな季節は平等にやってくる。
頼みにできる確かなことなんてない。
だからこそ感じる幸せがあるのだろう。

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