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理系にも分かるカフカ——『変身』を散逸系として読むための数理モデル試論



序論——なぜ『変身』は「計算」できてしまうのか

フランツ・カフカの『変身』(Die Verwandlung, 1915)[1]は、その冒頭の一文があまりにも有名であるがゆえに、しばしば「変身そのもの」の物語として記憶されている。しかし実際にテクストを読んでみると、グレゴール・ザムザの虫への変身は物語の第一文で完了しており、以後、本文は変身の「原因」にも「機構」にも一切触れない。物語が費やす紙幅のほとんどは、変身という初期条件を与えられた家族という系が、いかにして新しい定常状態へと移行していくかの記述に充てられている。

この構造に注目したのが、熱力学・統計力学を専門的に学んだ経歴を持つ作家・大滝瓶太である。大滝は著書『理系の読み方』において、『変身』を「非平衡状態から平衡状態への緩和過程」として読むという視座を提示した[2]。また大滝は短編小説「ザムザの羽」において、無名の数学者がカフカ『変身』をめぐって発表した「異常論文」という虚構の枠組みを通じ、文学テクストの数理的読解可能性そのものを小説の主題に据えている[3]。英米文学者・翻訳家である若島正が本書の書評で指摘するように、理系的バックグラウンドを持つ作家による文学読解は、ロシア・フォルマリズムやナラトロジーといった「科学的と呼んでもよさそうな論理システムの側面を持つ文学理論」の系譜に連なる試みでもある[4]。

本稿は、この大滝的視座——『変身』=緩和過程説——を出発点として、この小説を実際に力学系として書き下すとどうなるかという思考実験を遂行するものである。ただし、以下に示す方程式群は大滝が提示した分析を数式によって再現しようとするものではなく、独自に構成した「読解の形式化」である。形式化の目的は予測でも検証でもない。数式という制約の強い言語に読解を翻訳することで、テクストのどの部分が形式化に抵抗するかを炙り出すこと、そして最終的に、モデル化という営みが突きつける倫理的問題——誰を「系」の一員として数えるのか——に到達することである。

1.方法論的定位——人間関係を微分方程式で書く系譜

文学作品や人間関係を力学系として記述する試みには、学術的な系譜がある。

おそらく最も有名な先行例は、Strogatz による「恋愛の微分方程式」である。Strogatz は1988年の小論において、ロミオとジュリエットの恋愛感情を連立線形微分方程式 $${\dot{R} = aR + bJ}$$, $${\dot{J} = cR + dJ}$$ で記述し、係数の符号によって「追えば逃げる」振動解などが生じることを示した[5]。これは半ば教育的ジョークとして書かれたものだが、非線形力学の入門教材として広く定着し、「感情の時間発展を状態変数として扱う」というパラダイムを開いた。

より本格的な実証研究としては、心理学者 Gottman と応用数学者 Murray らによる『結婚の数学』がある。彼らは夫婦の会話を符号化した時系列データに対し、影響関数を含む非線形差分方程式モデルを当てはめ、関係の「安定な平衡点」の位置と個数から離婚リスクを予測した[6]。重要なのは、彼らのモデルにおいては夫婦関係が双安定(bistable)になりうる点である。同じ夫婦が、パラメータ次第で「良い平衡」と「悪い平衡」の両方を持ち、どちらに落ち着くかは初期条件と履歴に依存する。本稿で後述するザムザ家の二重井戸モデルは、この知見の文学への移植と見ることもできる。

第三の系譜は社会物理学(sociophysics)である。Castellano らによる浩瀚なレビューが示すように、意見形成・文化伝播・集団行動といった社会現象は、イジング模型や投票者模型などの統計力学的枠組みで盛んに研究されてきた[7]。Galam は社会的態度の急変を相転移として記述する枠組みを体系化している[8]。また、社会システムにおける秩序変数と隷属原理という発想は、Haken のシナジェティクスに遡る[9]。

第四に、不連続な変化そのものを主題とするカタストロフ理論がある。Thom が創始し[10]、Zeeman が攻撃性の急変や株式市場の暴落などへの応用で一般に知らしめたこの理論は[11]、「連続的なパラメータ変化が不連続な状態遷移を引き起こす」現象の標準的な語彙を提供する。グレーテの態度の急変——「あれは兄ではない」という決定的判断——を扱う際、この語彙は不可欠となる。

最後に、文学研究の側からの数理的接近として、Moretti の「遠読」(distant reading)に代表される計量文学研究の潮流を挙げておく[12]。ただし本稿の試みは、コーパスの統計処理ではなく、単一テクストの構造を力学系として「精読」する点で、遠読とはむしろ対極の、いわば数理的精読(mathematical close reading)とでも呼ぶべきものである。

これらの系譜を踏まえたうえで、本稿のモデルが従う設計原理を明示しておく。(一)変数はすべてテクスト上の出来事に対応づけられること。(二)モデルは、「維持しにくさ」「緩和」「不可逆性」といった構造を表す有効理論(effective theory、ある特定のスケール・条件のもとでのみ精度良く現実を近似する理論のこと)であること。(三)モデルが説明できない残余こそを最終的な考察対象とすること。

2.系の定義と状態変数

ザムザ家を4人の相互作用系として定義する。

$$
\mathcal{S} = \{G, F, M, S\}
$$

ここで $${G}$$ はグレゴール、$${F}$$ は父、$${M}$$ は母、$${S}$$ は妹グレーテである。物語開始時刻を $${t=0}$$ とし、変身を外部から加えられた急激な操作(クエンチ)として表す。

$$
\lambda_G(t) = \Theta(t)
$$

$${\Theta}$$ はヘヴィサイドの階段関数であり、$${\lambda_G = 0}$$ が人間状態、$${\lambda_G = 1}$$ が虫状態に対応する。この表式が既にひとつの読解を含んでいることに注意したい。変身は連続的な過程ではなく、原因の記述を持たない不連続なジャンプ——物理でいう急冷(quench)——である。カフカのテクストが変身の機構を一切説明しないという事実は、モデル上では「$${\lambda_G}$$ は力学変数ではなく外部パラメータである」という一行に翻訳される。

家族系の巨視的状態を次のベクトルで表す。

$$
\mathbf{x}(t) = (y_G, y_F, y_M, y_S, c_G, b, m, r)^{\mathsf{T}}
$$

各成分の定義は以下の通り。$${y_i(t)}$$ は人物 $${i}$$ の経済的生産力、$${c_G(t)}$$ はグレゴールの生命力、$${b(t)}$$ はグレゴールの部屋と家族空間の境界の閉鎖度、$${m(t)}$$ は家族がグレゴールを「人間・家族の一員」と認める承認度、$${r(t)}$$ は家族の残存資源である。いずれも $${[0,1]}$$ に規格化する。

変身前の状態は近似的に

$$
\mathbf{x}_A \approx (1, 0, 0, 0, 1, 0, 1, r_0)^{\mathsf{T}}
$$

である。すなわち、グレゴールだけが働き、父母妹はほぼ経済活動をせず、グレゴールは家族として完全に承認され、部屋の境界は開いている。テクストはこの初期条件を丁寧に裏付けている。グレゴールは外交販売員として一家の生計を一手に担い、父の事業破綻による負債を返済し続けており、家族はその収入に「慣れて」しまっている[1]。

しかし変身直後 $${t = 0^{+}}$$ には

$$
\mathbf{x}(0^{+}) \approx (0, 0, 0, 0, c_0, b_0, 1, r_0)^{\mathsf{T}}
$$

となる。収入だけが突然消え、家族の労働配置も承認度もまだ変化していない。この不整合こそが強い非平衡であり、以後の全ダイナミクスを駆動する自由エネルギー差の源泉である。

3.家族の有効自由エネルギー

家族が取りうる状態には、維持しやすいものと、維持に大きな負担がかかるものがある。その負担を、有効自由エネルギー $${\mathcal{F}}$$ として定式化する。

$$
\mathcal{F}(\mathbf{x}; \lambda_G) = \mathcal{F}{\mathrm{econ}} + \mathcal{F}{\mathrm{care}} + \mathcal{F}{\mathrm{identity}} + \mathcal{F}{\mathrm{social}}
$$

これは物理学の厳密な自由エネルギーではなく、Gottman–Murray 流にいえば関係状態の「ポテンシャル・ランドスケープ」[6]、Haken 流にいえば秩序変数の従うポテンシャル[9]である。

経済項から見ていく。家族の必要所得を $${Y_*}$$、総所得を $${Y = y_G + y_F + y_M + y_S + q}$$($${q}$$ は後述する下宿人からの収入)とすれば、

$$
\mathcal{F}{\mathrm{econ}} = \frac{k_Y}{2}(Y - Y*)^2
$$

と置ける。変身前は $${y_G \approx Y_*}$$ で安定だが、変身直後は $${y_G \to 0}$$ により

$$
\mathcal{F}{\mathrm{econ}} \approx \frac{k_Y}{2} Y*^2
$$

へ急上昇する。この急上昇が、父・母・妹を労働へ押し出す熱力学的な駆動力となる。

ここで注目すべきは、カフカのテクスト自体がこの「ポテンシャルの高さ」を正確に測定させる場面を用意していることである。変身後まもなく、父は家族に残された財産の内訳——事業破綻時に残った資金と、グレゴールの給料からの蓄え——を初めて開示する。グレゴールはドア越しにこれを聞き、家族が思ったより資産を持っていたことに安堵しつつ、それが長くは持たないことも理解する[1]。この場面は、モデルの言葉でいえば残存資源 $${r_0}$$ の初期値の測定であり、緩和過程の時定数を決定する重要な情報開示である。

4.労働再編のダイナミクス——「もう一つの変身」

『変身』において変身するのはグレゴールだけではない。銀行の雑役夫の制服を着て眠り込む父、下着の縫製内職を始める母、売り子として働き速記とフランス語を学び始めるグレーテ——家族の三人もまた、寄生的存在から労働する身体へと「変身」する[1]。この対称性は多くの批評が指摘してきたが、力学系として書けばその機構は明快になる。

所得不足を $${\Delta Y = Y_* - Y}$$ とし、家族構成員 $${i \in \{F, M, S\}}$$ の労働参加のダイナミクスをロジスティック型で書く。

$$
\frac{dy_i}{dt} = \alpha_i \Delta Y (1 - y_i) - \beta_i y_i
$$

ここで $${\alpha_i}$$ は所得不足に対する労働参加の感度、$${\beta_i}$$ は疲労・老化・継続困難性を表す減衰係数である。定常状態は

$$
y_i^* = \frac{\alpha_i \Delta Y}{\alpha_i \Delta Y + \beta_i}
$$

となり、所得不足 $${\Delta Y}$$ が大きいほど $${y_i^*}$$ は増大する。すなわち

$$
y_G \downarrow  \Longrightarrow  \Delta Y \uparrow  \Longrightarrow  y_F, y_M, y_S \uparrow
$$

という因果連鎖が、モデルの構造そのものから導かれる。グレゴールの「変身」が家族の「変身」を誘起するのは、道徳的応報でも象徴的照応でもなく、結合した力学系における保存則的圧力——所得の穴は誰かが埋めねばならない——の帰結である。

さらに係数の個人差がテクストの細部と対応する。父は「五年間何もしていなかった」老体であり $${\beta_F}$$ が大きい。しかし物語中盤、父は銀行の雑役夫として制服を着たまま居眠りするほどに働く。これは $${\Delta Y}$$ の駆動が $${\beta_F}$$ の抵抗に打ち勝ったことを意味し、同時に、その定常解が父にとって高コストな状態であることを、制服を脱ぐ気力さえないという描写[1]が示している。

5.ケア労働と疲労の蓄積

グレゴールは生存しているが自立できない。ケア負担を、生命力 $${c_G}$$ と自立度 $${a_G}$$ を用いて

$$
L_{\mathrm{care}} = c_G (1 - a_G)
$$

と定義する。虫化により $${a_G \approx 0}$$ となるため $${L_{\mathrm{care}} \approx c_G}$$、すなわちグレゴールが生きていること自体がケア負担に等値される。この等式の冷酷さはテクストの忠実な写像である。

ケア分担率を $${z_i}$$($${z_F + z_M + z_S = 1}$$)とすると、物語前半では圧倒的に $${z_S \approx 1}$$ である。グレーテは食事の運搬、部屋の掃除、食べ残しの観察による嗜好の推定まで行う。ナボコフはこの時期のグレーテの行動を詳細に検討し、彼女の献身の背後に「自分だけが兄に接近できる」という優越の感覚が混在していることを指摘している[13]。

個人 $${i}$$ の疲労度 $${e_i}$$ の時間発展を

$$
\frac{de_i}{dt} = \eta_i z_i L_{\mathrm{care}} + \xi_i y_i - \mu_i e_i
$$

と書く。疲労はケアと労働で蓄積し、休息で減衰する。物語が進むにつれグレーテは、外での売り子労働($${y_S \uparrow}$$)と家事とケア($${z_S L_{\mathrm{care}}}$$)を並行して担い、$${e_S}$$ は単調に増加していく。テクストにおける部屋の掃除の手抜き、壁の汚れの放置は、$${e_S}$$ の増大が $${z_S}$$ の実効的低下として現れた観測量と解釈できる。そしてこの疲労の蓄積が、次節で扱う承認度の崩壊の主要な駆動項となる。

6.承認度の力学と二重井戸ポテンシャル——グレーテの相転移

『変身』の核心は、家族が目の前の虫を「グレゴール」と認め続けるか否か、すなわち承認度 $${m(t)}$$ の運命である。

まず連続的な緩和として書くなら、承認を下げる要因——意思疎通不能度 $${C}$$、ケア負担 $${L_{\mathrm{care}}}$$、家族の総疲労 $${E = e_F + e_M + e_S}$$、社会的露見の危険 $${D}$$——と、承認を支える要因——過去の愛情と記憶の回復効果 $${R}$$——の競合として

$$
\frac{dm}{dt} = \varepsilon R (1 - m) - m (\alpha C + \beta L_{\mathrm{care}} + \gamma E + \delta D)
$$

と置く。定常値(steady-state value)[14]は

$$
m^* = \frac{\varepsilon R}{\varepsilon R + \alpha C + \beta L_{\mathrm{care}} + \gamma E + \delta D}
$$

であり、疲労と危険が増えるほど $${m^*}$$ は低下する。

しかしこの連続モデルでは、テクストの決定的な瞬間を捉え損なう。物語終盤、ヴァイオリン演奏の場面の直後、グレーテは父に向かって宣言する——あれを兄と呼ぶことをやめ、「あれ」を追い払わねばならない、と[1]。これは緩やかな低下ではなく、態度の不連続な反転である。Gottman–Murray が夫婦関係に見出した双安定性[6]、Zeeman が攻撃性の急変に適用したカタストロフ[11]と同型の現象がここにある。

そこで承認度を $${m \in [-1, 1]}$$ に拡張し($${m = +1}$$ が「家族としての承認」、$${m = -1}$$ が「異物としての排除」)、Landau 流の二重井戸ポテンシャル[15]を導入する。

$$
V(m) = \frac{a}{4}(m^2 - 1)^2 - h(t), m
$$

$${h(t)}$$ は家族の態度を傾ける外場(external field;外部から系に加えられ、系の状態を一方向に傾ける場)であり、

$$
h(t) = h_0 - \alpha' E(t) - \beta' D(t) - \gamma' L_{\mathrm{care}}(t)
$$

と置く。緩和方程式は勾配力学

$$
\tau_m \frac{dm}{dt} = -\frac{\partial V}{\partial m} = -a, m (m^2 - 1) + h(t)
$$

である。初期には記憶と愛情により $${h > 0}$$ で $${m = +1}$$ 側の井戸が安定だが、疲労・危険・負担の蓄積により $${h(t)}$$ が単調に減少し、スピノーダル点 $${h_c = -2a/(3\sqrt{3})}$$ を下回った瞬間、$${m = +1}$$ 側の準安定井戸そのものが消滅し、系は $${m = -1}$$ へ雪崩れ落ちる。

グレーテの「あれは兄ではない」という発言は、この枠組みでは一次相転移におけるスピノーダル崩壊として記述される。連続的に蓄積したパラメータ変化(疲労、危険)が、不連続な状態遷移(承認から排除へ)を引き起こす——これはカタストロフ理論が定式化した現象そのものであり[10][11]、また意見の急激な反転を扱う社会物理学の中心的主題でもある[7][8]。

ここで見逃せないのは、最後に承認を放棄するのが、最も長く最も深くケアを担ったグレーテだという事実である。モデルは、これが偶然ではないことを示唆する。$${z_S \approx 1}$$ である以上、$${L_{\mathrm{care}}}$$ と $${E}$$ の増大を最も直接に外場 $${h}$$ の低下として経験するのはグレーテであり、彼女の井戸が最初に消滅するのは構造的必然である。最大のケア提供者が最初の排除者になるというテクストの残酷な転回は、モデルにおいては係数の帰結として再現される。

7.ヒステリシス——なぜ関係は戻らないのか

二重井戸モデルの重要な帰結は履歴依存性、すなわちヒステリシスである。いったん $${m \approx -1}$$ へ落ちた系は、外場 $${h}$$ が多少回復しても $${m \approx +1}$$ には戻らない。往路と復路で応答曲線が一致しない。

$$
m_{\text{往路}}(h) \neq m_{\text{復路}}(h)
$$

テクストにはこのヒステリシスの証拠が散在している。母と妹による家具の撤去(後述)、父のリンゴ攻撃、母の失神、下宿人への露見——これらの事件の各々が外場を一方向に押し下げ、かつ事件の「解消」(下宿人の退去など)が承認を回復させることはない。関係の破壊は、破壊をもたらした条件の除去によっては修復されないのである。

この非可逆性は、Gottman らが夫婦研究において「負の感情の閾値を一度超えた関係は、閾値以下に戻っても以前の相互作用パターンを回復しない」と報告した知見[6]と対応する。『変身』が悲劇であるのは、単に悪いことが起きるからではなく、系の力学が本質的に不可逆だからである。そしてこの不可逆性は、熱力学第二法則のアナロジーとして、大滝の「緩和過程」読解[2]の核心に位置するものでもある。緩和は定義上、一方向にしか進まない。

8.ドアという半透膜——情報論的非対称性

グレゴールの部屋と居間を隔てるドアを、選択的透過性を持つ膜としてモデル化する。膜を通過する流束を、透過係数 $${P}$$ を用いて一般に

$$
J = P(\mu_{\mathrm{living}} - \mu_{\mathrm{room}})
$$

と書く。重要なのは次の3つである。

食物の流束:

$$
J_{\mathrm{food}} =P_{\mathrm{food}}
\left(
\mu_{\mathrm{living}} - \mu_{\mathrm{room}}
\right)
$$

情報の流束:

$$
J_{\mathrm{info}} = P_{\mathrm{info}}
\left(
I_{\mathrm{living}} - I_{\mathrm{room}}
\right)
$$

身体の移動流束:

$$
J_G = P_G
\left(
\rho_G^{\mathrm{room}} - \rho_G^{\mathrm{living}}
\right)
$$

食物については $${P_{\mathrm{food}} > 0}$$ であり、グレーテの給餌によって流入が保たれる。情報については決定的な非対称がある。家族の会話はドア越しにグレゴールへ届くため $${P_{\mathrm{info,in}} > 0}$$ だが、グレゴールの発話は変身直後から人間の言語として認識されなくなり——支配人が「あれは動物の声だ」と言う場面[1]——$${P_{\mathrm{info,out}} \approx 0}$$ となる。

$$
P_{\mathrm{info,in}} \gg P_{\mathrm{info,out}}
$$

グレゴールは家族のすべてを聞き、理解し、心を動かされるのに、自分の内部状態を一切返送できない。この整流器(ダイオード)的境界条件こそ、『変身』の孤独の構造である。物語の大部分でグレゴールが「盗み聞く者」として機能するのは、この非対称透過膜の直接の帰結にほかならない。

情報理論の言葉でより精密に記述しよう[16]。家族がグレゴールの内部状態 $${X_G}$$ を、観測可能な行動 $${Y_G}$$ から推定するとする。変身前は言語チャネルが機能しており相互情報量 $${I(X_G; Y_G) = H(X_G) - H(X_G \mid Y_G)}$$ は大きい。変身後、チャネル容量はほぼゼロになり

$$
I(X_G; Y_G) \to 0
$$

となる。するとベイズの定理

$$
P(X_G \mid Y_G) \propto P(Y_G \mid X_G) P(X_G)
$$

において尤度項が情報を持たなくなり、事後分布は事前分布に退化する。

$$
P(X_G \mid Y_G) \approx P(X_G)
$$

すなわち、家族の各人が見る「グレゴール像」は、観測ではなく各人の先入観によって決まる。父は攻撃の意図を推定し、母は変わらぬ息子を推定し、グレーテは(家具撤去の場面で)「広い空間を欲しがる虫」を推定し、下宿人は不潔な害虫を推定する。グレゴール本人の意図——たとえばヴァイオリンの場面で妹への愛情から這い出たこと——は、推定結果に寄与する経路を持たない。カフカ的不条理の少なくとも一部は、通信路の切断されたベイズ推定という、恐ろしく散文的な機構に還元できるのである。

9.家具の撤去——状態空間の縮約と自己成就的予言

物語中盤、母と妹はグレゴールの部屋から家具を運び出す。「這い回るのに広い場所が要るだろう」というグレーテの善意の推定に基づく行為だが、グレゴールにとって机や写真は人間としての過去との唯一のつながりである[1]。ナボコフはこの場面を、グレゴールが額縁のガラスに腹を押しつけて写真を守る行動とともに、人間性の最後の抵抗として詳細に読解する[13]。

この場面を、行動状態空間の縮約として形式化する。グレゴールの取りうる行動集合を

$$
\Omega_G = \Omega_{\mathrm{human}} \cup \Omega_{\mathrm{insect}}
$$

とすると、家具の撤去は $${\Omega_{\mathrm{human}}}$$ の物理的削除であり、行動分布は

$$
p(a \in \Omega_{\mathrm{human}}) \to 0
$$

へ押しやられる。すると観測者たる家族は、人間的行動の観測頻度の低下から $${P(\text{人間} \mid a)}$$ をさらに下方修正し、承認度 $${m}$$ が下がり、それがさらなる環境の「虫仕様化」を正当化する。閉ループを書けば

$$
m \downarrow \Rightarrow \Omega_{\mathrm{human}} \downarrow \Rightarrow p_{\mathrm{human}} \downarrow \Rightarrow m \downarrow
$$

という正のフィードバックである。社会学でいう自己成就的予言、制御理論でいう不安定な正帰還ループが、ここでは家具の配置という物質的媒介を通じて実装されている。「虫として扱われることが、虫であることを生産する」——この構成主義的テーゼを、『変身』は方程式一本分の簡潔さで描いてみせる。

10.リンゴ——デルタ関数的暴力と慢性損傷

父が投げつけたリンゴがグレゴールの背中にめり込み、そのまま腐りながら残り続ける——この有名な挿話は、単発の暴力が持続的損傷に転化する過程として、次のように書ける。攻撃時刻を $${t_a}$$、損傷変数を $${d(t)}$$ として

$$
\frac{dd}{dt} = A\delta(t - t_a) - \kappa d
$$

$$
\frac{dc_G}{dt} = -\gamma c_G - \eta d c_G
$$

回復率 $${\kappa}$$ が十分小さければ $${d}$$ は長時間残存し、生命力は

$$
c_G(t) = c_G(t_a^{+}) \exp\Big[-\gamma (t - t_a) - \eta \int_{t_a}^{t} d(s) ds\Big]
$$

と、単純な指数減衰より削られていく。デルタ関数(一瞬の暴力)と小さな $${\kappa}$$(癒えない傷)の組み合わせ——テクストにおいて「リンゴは誰も取り除こうとしなかったので、目に見える記念として肉に残った」[1]という一文が担う不気味さは、まさにこの $${\kappa \approx 0}$$ の宣言である。暴力は瞬間だが、その積分効果は物語の残り全体を支配する。

11.死という吸収状態

グレゴールの生命力の全体的な収支は

$$
\frac{dc_G}{dt} = \alpha f + \beta m - \gamma d - \varepsilon u
$$

と書ける。$${f}$$ は摂食量、$${u}$$ は「自分は消えるべきだ」という自己消去への傾きである。テクスト終盤、グレゴールはほとんど食べなくなり($${f \to 0}$$)、グレーテの宣言を聞いた後、「自分が消え去らねばならないという確信」を家族以上に強く抱いて息絶える[1]。この $${u}$$ の増大を、承認の喪失に駆動されるものとして

$$
\frac{du}{dt} = \lambda (1 - m) + \mu E - \nu u
$$

と書けば、$${m \to -1}$$ が $${u \uparrow}$$ を、$${u \uparrow}$$ が $${c_G \downarrow}$$ を導く連鎖が閉じる。

離散状態で見るとさらに明快である。グレゴールの状態を $${X_G \in \{H, I, W, D\}}$$(人間・虫・負傷衰弱・死亡)とするマルコフ連鎖を考える。

遷移確率行列Pを

とすると、死亡状態は

$$
P(D \to D) = 1
$$

を満たす吸収状態である。確率過程論において、吸収状態を持つ有限マルコフ連鎖は、到達可能である限り確率1で吸収される。変身($${H \to I}$$)が起きてしまった時点で、そして $${I \to H}$$ の遷移確率がゼロである(テクストは再変身の可能性を一度も示唆しない)以上、系の長時間挙動は吸収への一方通行として最初から決まっている。物語の緊張は「死ぬか否か」にではなく、「どの経路で、どの速さで吸収されるか」に存する——これは緩和過程としての『変身』[2]という読みの、確率論的な言い換えである。

12.下宿人という外場とヴァイオリンの結合項

物語終盤に導入される三人の下宿人は、モデル上は二重の役割を持つ外部パラメータである。存在量を $${q(t)}$$ とすると、彼らは家賃により総所得 $${Y}$$ を増やし経済項 $${\mathcal{F}_{\mathrm{econ}}}$$ を下げる一方、グレゴールの可視性 $${v_G}$$ と結合した社会的リスク項

$$
\mathcal{F}_{\mathrm{social}} = \chi q v_G
$$

を新設する。グレゴールが部屋に隠れている限り $${v_G \approx 0}$$ でこの項は無視できるが、ヴァイオリンの場面で $${v_G : 0 \to 1}$$ と跳ね上がった瞬間、$${\chi q}$$ の全重量が家族にのしかかる。下宿人は即座に契約解除と賠償請求を宣言し[1]、経済的便益は消えてリスクだけが実現する。これが外場 $${h(t)}$$ を臨界値以下へ押し下げる最後の一撃であり、直後にグレーテの相転移(第6節)が起こる。

なぜグレゴールは部屋を出て行ってしまったのか。ここにテクスト最深部の悲劇がある。グレーテの音楽状態を $${\psi_S}$$、グレゴールの感応状態を $${\psi_G}$$ とし、両者の結合を

$$
\mathcal{H}_{\mathrm{coupling}} = -J \psi_S \psi_G
$$

と書くと、演奏中は結合定数が $${J_{\mathrm{music}} \gg J_{\mathrm{ordinary}}}$$ へ増大する。線形応答の範囲で

$$
\psi_G \approx \chi_G J_{\mathrm{music}} \psi_S
$$

であり、感受率 $${\chi_G}$$ が最も大きいのは——下宿人でも両親でもなく——グレゴールである。カフカはこの場面に「音楽にこれほど心を動かされるのに、彼は動物なのだろうか」という語りを置いている[1]。すなわちテクスト自身が、内部変数 $${\psi_G}$$(最も人間的な感応)と外部観測量 $${v_G}$$(危険な虫の侵入)の乖離を主題化しているのである。家族が観測できるのは $${v_G}$$ だけであり、第8節で見た通り $${\psi_G}$$ を伝えるチャネルは存在しない。最も人間的な瞬間が、最終的排除の引き金になる。この転倒は、モデルの言葉では「観測不能な内部変数は力学に寄与できない」という一行に、しかしその一行の全重量とともに、翻訳される。

13.縮約されたランドスケープ——二変数で見る物語全体

Haken のシナジェティクスに倣い[9]、多数の変数を二つの秩序変数に隷属させて全体を俯瞰する。グレゴールへの経済依存度を $${x}$$、家族的承認度を $${m}$$ とし、結合ポテンシャル

$$
V(x, m) = a_x x^2 (1-x)^2 + a_m m^2 (1-m)^2 + \lambda x m - h_x(t) x - h_m(t) m
$$

の上の勾配流として物語を描く。変身前の状態は $${A = (x, m) \approx (1, 1)}$$——完全依存かつ完全承認——であり、最終状態は $${B \approx (0, 0)}$$——依存も承認も消滅——である。

結合項 $${\lambda x m}$$($${\lambda > 0}$$)の存在が、この縮約モデルの核心的な主張である。すなわち、経済的依存の低下は家族的承認の低下と力学的に結合している

$$
x \downarrow  \Longrightarrow  m \downarrow
$$

グレゴールが「稼ぐ存在」でなくなるにつれ、「家族である」という認識まで失われていく。承認が経済に従属しているというこの読みは、モデルの押しつけではない。テクストは変身前のグレゴールについて、家族が彼の稼ぎを「ありがたく受け取ったが、特別の温かみはもはや生じなかった」と語り[1]、変身後の父の財産告白の場面では、グレゴールの承認が常に送金と分かちがたく絡んでいたことを露呈させる。アドルノがカフカの世界に見た、交換原理が人格の最深部まで浸透した社会の姿[17]は、この結合定数 $${\lambda > 0}$$ という一パラメータに凝縮されている。

物語全体は、このランドスケープ上の一本の緩和軌道である。

$$
\mathbf{x}_A \xrightarrow{\text{変身(クエンチ)}} \text{非平衡緩和} \xrightarrow{\text{排除・死}} \mathbf{x}_B
$$

そしてグレゴールの死($${c_G = 0}$$)は $${L_{\mathrm{care}} = 0}$$ と $${D = 0}$$ を同時に実現し、家族の有効自由エネルギーを一気に引き下げる。物語の結末——春の郊外電車、三人の解放感、グレーテの若い身体への両親の視線[1]——は、新しい安定点 $${B}$$ における低いポテンシャルの、ほとんど生理的な描写である。プリゴジンらが示したように、開放系は外部からの駆動の下で古い構造を壊し新しい秩序を作る[18]。ザムザ家は確かに新しい秩序へ到達した。その秩序の成立条件が、一人の構成員の除去だったというだけである。

14.先行読解との接続——モデルは何を再発見し、何を見落とすか

以上のモデルは、『変身』批評史の主要な読解のいくつかを、別の言語で再発見している。

ナボコフの精読[13]は、変身の生物学的細部(甲虫としての身体、翅の可能性)と家族の凡庸な利己性の対比に焦点を当てた。ナボコフが強調した「グレゴールの人間性は家族の誰よりも高い」というテーゼは、本稿のモデルでは $${\chi_G \gg \chi_{F,M,S}}$$(音楽への感受率)と $${I(X_G; Y_G) \to 0}$$(その観測不能性)の組として定式化される。人間性が最も高い者が、人間性を観測されるチャネルを唯一持たない——ナボコフの読みの悲劇性は、この二つの不等式の共立にある。

ドゥルーズ=ガタリ[19]は、変身を「動物への生成変化」、すなわちオイディプス的家族構造と官僚制的世界からの脱走線として肯定的に読んだ。本稿のモデルの言葉でいえば、彼らは状態空間 $${\Omega_{\mathrm{insect}}}$$ を欠損ではなく新しい自由度として評価したことになる。天井にぶら下がるときの「ほとんど幸福な放心」[1]は、確かに $${\Omega_{\mathrm{human}}}$$ の内部には存在しなかった状態である。本稿のモデルはこの視点を十分に扱えていない。$${c_G}$$ や $${W_G}$$ といった変数は人間的価値基準で定義されており、「虫としての幸福」を測る座標を持たないからである。これはモデルの限界として明記しておくべき点である。

ベンヤミン[20]はカフカの世界を、忘却された太古の負債が回帰する空間として読んだ。父の負債をグレゴールが返済し続けるという設定は、本稿では初期条件 $${Y_}$$ の高さ(必要所得に負債返済が含まれる)として処理したが、ベンヤミン的に見ればこの $${Y_}$$ こそが、世代を超えて伝達される罪の物質的形態である。また、カフカにおける権力と身体の問題を執拗に追ったカネッティの仕事[21]は、父の暴力(第10節のデルタ関数)が単発の事件ではなく持続する権力構造の発現であることを教える。

そして大滝瓶太の読解[2][3]に立ち返るなら、本稿のモデル全体は、大滝が一行で言い切った「非平衡状態から平衡状態への緩和過程」という命題の、いわば冗長な展開にすぎない。しかし冗長化にはわずかだが効用がある。緩和過程として書き切ってみて初めて、緩和という枠組みが何を語れないかが見えてくるからである。

15.モデルの限界——形式化に抵抗するもの

このモデルが原理的に扱えないものを列挙する。

第一に、語りの視点。『変身』の大部分はグレゴールの知覚に密着した三人称で語られ、彼の死後、視点は突然家族の側へ移る。この語りの相転移は、状態変数のダイナミクスではなく観測装置の交換であり、本稿の枠組みの外にある。大滝が『理系の読み方』で人称の問題を独立に論じている[2]のは、まさにこの層が状態方程式に還元できないからである。

第二に、変身の無根拠性。本稿は $${\lambda_G}$$ を外部パラメータとして処理したが、これは「なぜ変身したのか」という問いを消去する操作でもあった。モデルは初期条件以後しか語れない。カフカのテクストの核にある無根拠性は、形式化によって説明されるのではなく、形式化の外部として据え置かれる。

第三に、係数の恣意性。本稿の方程式群は定性的挙動(双安定性、ヒステリシス、吸収)を再現するよう構成されており、係数の値に実証的根拠はない。Gottman らのモデルが観察データへの当てはめによって検証された[6]のに対し、単一の虚構テクストに「データ」は存在しない。したがって本稿のモデルは予測理論ではなく、読解を検査可能な形式に翻訳した解釈の明示化として理解されるべきである。この点で本稿は、モデルを「正しい読み」としてではなく、読解の可能性の一つとして提出する。

第四に、虫としての価値。前節で述べた通り、モデルの福祉変数は人間中心的に定義されており、ドゥルーズ=ガタリ的な「生成変化の歓び」を測定できない。

結論——誰を「系」に数えるのか

最後に、このモデルが到達する地点を確認する。

家族三人の負担を $${F_{\mathrm{family}}}$$、グレゴールの福祉を $${W_G}$$ とすると、物語終盤では

$$
\frac{\partial F_{\mathrm{family}}}{\partial c_G} > 0 \quad\text{かつ}\quad \frac{\partial W_G}{\partial c_G} > 0
$$

が同時に成り立つ。グレゴールが生きているほど家族の負担は増え、しかしグレゴール自身にとって生は善である。ここで家族の行動を最適化問題

$$
\min_{\mathbf{x}} \Big[ F_{\mathrm{family}}(\mathbf{x}) - \lambda_G^{\mathrm{w}} W_G(\mathbf{x}) \Big]
$$

として書くと、すべては重み $${\lambda_G^{\mathrm{w}}}$$——目的関数の中でグレゴールの福祉が占める重み——に懸かっている。そしてこの重みが承認度に比例する($${\lambda_G^{\mathrm{w}} \propto m}$$)と置けば、第6節の相転移 $${m : +1 \to -1}$$ の意味は明確になる。それは感情の変化である以前に、最適化問題からの一項の削除である。

あれはもうグレゴールではない」という言葉の数理的内容は、$${\lambda_G^{\mathrm{w}} = 0}$$、すなわちグレゴールの福祉が家族の目的関数から消えたことである。

そして本稿の全計算のうち最も不気味な結果は、次の二式の共立である。

$$
\Delta \mathcal{F}_{\mathrm{family}} < 0 \quad\text{かつ}\quad \Delta W_G < 0
$$

家族系は安定化し、グレゴールは破壊される。緩和は完遂され、系は低いポテンシャルに到達し、物語は熱力学的には「うまくいった」——安定性は幸福でも正義でもない、という当然の事実が、これほど正確に演じられた物語は稀である。

しかも決定的なのは、「家族の自由エネルギー」を定義する時点で、答えが分岐していることである。系を三人 $${\{F, M, S\}}$$ と定義すれば、グレゴールの死は負担の除去であり $${\Delta \mathcal{F} < 0}$$ である。系を四人 $${\{G, F, M, S\}}$$ と定義すれば、同じ事象は構成員の壊滅であり、系は回復不能な損失を被っている。どちらの計算も数学的には正しい。分岐しているのは計算ではなく、系の境界の引き方である。

したがって、この数理モデルが最後に突きつけるのは物理学の問題ではない。誰を「系」に数えるのか——境界条件の設定という、あらゆるモデル化の第一歩に密輸されている倫理的決定こそが、『変身』という物語の主題だった、というのが本稿の結論である。カフカは方程式を一本も書かなかった。しかしカフカは、方程式を書こうとする者が最初に直面する問い(どのように系を定義するか)と、最後まで答えられない問い(何故その定義を選んだのか)のあいだに、物語のすべてを配置した。『変身』が「計算できてしまう」のは、それが計算の物語だからではない。計算という営みの、開始点と限界点の両方に触れている物語だからである。

グレーテの相転移の後、モデルの中に残るのは三人系の滑らかな緩和だけである。しかし読者は四人系の側に立たされたまま、その滑らかさの物語を読まされる。この落差——三人系の熱力学と四人系の倫理のあいだの解消不能なずれ——を生成する装置として、カフカのテクストは百年後も作動し続けている。


[1] フランツ・カフカ『変身』高橋義孝訳、新潮文庫、1952年(原著 Franz Kafka, Die Verwandlung, Kurt Wolff Verlag, 1915)。本文中のあらすじ・場面への言及はすべて本書に基づく。多和田葉子による新訳(『ポケットマスターピース01 カフカ』集英社文庫ヘリテージシリーズ、2015年所収)も参照した。

[2] 大滝瓶太『理系の読み方――ガチガチの理系出身作家が小説のことを本気で考えてみた』誠文堂新光社、2025年。同書はカフカ『変身』を「非平衡状態から平衡状態への緩和過程」として捉える読解を提示している。著者は京都大学大学院工学研究科で熱力学・統計力学を学んだ経歴を持つ。なお、本稿で構成した方程式群は同書の内容の再現ではなく、同書の視座に触発された筆者独自の思考実験である。

[3] 大滝瓶太「ザムザの羽」『S-Fマガジン』2021年6月号、早川書房(樋口恭介編『異常論文』ハヤカワ文庫JA、2021年、および大滝瓶太『花ざかりの方程式』河出書房新社、2026年に再録)。無名の数学者によるカフカ『変身』をめぐる「異常論文」を枠組みとするメタ数学・文学ミステリ小説。

[4] 若島正「書評:大滝瓶太『理系の読み方』」ALL REVIEWS、2025年。若島は同書を、C・P・スノーの「二つの文化」論以来の理系・文系の知的分断を横断する試みとして位置づけている。 https://allreviews.jp/review/7581

[5] Steven H. Strogatz, "Love Affairs and Differential Equations," Mathematics Magazine, Vol. 61, No. 1, 1988, p. 35. 恋愛感情の時間発展を連立線形微分方程式で記述した嚆矢的(かつ半ば冗談の)小論。同著者の教科書 Nonlinear Dynamics and Chaos(Westview Press, 1994;邦訳『ストロガッツ 非線形ダイナミクスとカオス』丸善出版、2015年)にも演習問題として収録されている。

[6] John M. Gottman, James D. Murray, Catherine C. Swanson, Rebecca Tyson, Kristin R. Swanson, The Mathematics of Marriage: Dynamic Nonlinear Models, MIT Press, 2002. 夫婦の相互作用を非線形差分方程式でモデル化し、平衡点の構造から関係の帰趨を予測した実証研究。関係の双安定性と履歴依存性の知見は本稿第6・7節の直接の着想源である。

[7] Claudio Castellano, Santo Fortunato, Vittorio Loreto, "Statistical Physics of Social Dynamics," Reviews of Modern Physics, Vol. 81, 2009, pp. 591–646. 意見形成・文化伝播・集団行動への統計力学的アプローチの包括的レビュー。

[8] Serge Galam, Sociophysics: A Physicist's Modeling of Psycho-political Phenomena, Springer, 2012. 社会的態度の急変を相転移として記述する社会物理学の体系的著作。

[9] Hermann Haken, Synergetics: An Introduction, Springer, 1977(邦訳:H. ハーケン『協同現象の数理――物理、生物、化学的系における自律形成』牧島邦夫・小森尚志訳、東海大学出版会、1980年)。多自由度系を少数の秩序変数に縮約する「隷属原理」は本稿第13節の方法的基礎である。

[10] René Thom, Stabilité structurelle et morphogénèse, W. A. Benjamin, 1972(邦訳:ルネ・トム『構造安定性と形態形成』彌永昌吉・宇敷重広訳、岩波書店、1980年)。

[11] E. Christopher Zeeman, "Catastrophe Theory," Scientific American, Vol. 234, No. 4, 1976, pp. 65–83. 連続的なパラメータ変化が引き起こす不連続な状態遷移(攻撃性の反転、市場の暴落など)へのカタストロフ理論の応用。

[12] フランコ・モレッティ『遠読――〈世界文学システム〉への挑戦』秋草俊一郎・今井亮一・落合一樹・高橋知之訳、みすず書房、2016年(原著 Franco Moretti, Distant Reading, Verso, 2013)。

[13] ウラジーミル・ナボコフ「フランツ・カフカ『変身』」『ナボコフの文学講義』(下)野島秀勝訳、河出文庫、2013年(原著 Vladimir Nabokov, Lectures on Literature, Harcourt Brace Jovanovich, 1980)。グレゴールの身体の昆虫学的考証と、家族の凡庸さ・利己性の精密な読解を含む。なお大滝瓶太自身、「ザムザの羽」の着想に関して、ナボコフの『変身』読解を若島正の京都大学での授業を通じて知ったと述べている(大滝瓶太「『花ざかりの方程式』ができるまで」note、2026年)。

[14] 「定常値」の語について。力学系の数学的用語では、$${dm/dt = 0}$$ を満たす点は固定点(fixed point)ないし平衡点(equilibrium point)と呼ばれ、アスタリスク付きの $${m^}$$ という記法自体、固定点を表す慣例的表記である。それにもかかわらず本稿が「定常値(steady-state value)」の語を採るのは、熱力学の文脈では「平衡(equilibrium)」が流れのない静的状態を、「定常(steady state)」が流れを伴いながら巨視的量が時間変化しない状態(非平衡定常状態、non-equilibrium steady state)を指して区別されるためであり、「非平衡から平衡への緩和」を全体の枠組みとする本稿で equilibrium の語を二義的に用いることを避ける趣旨である。第4節の $${y_i^}$$ についても同様。なお厳密には、この $${m^}$$ は $${R, C, E, D}$$ などのパラメータが時間変化するもとで、各時刻のパラメータ値を凍結して得られる瞬間的な固定点であり、パラメータの変化が緩和時間 $${\tau_m}$$ に比べて十分遅い準静的な状況でのみ、実際の解は $${m(t) \approx m^(t)}$$ とこれを追従する。速い変数を遅い変数の瞬間的固定点で置き換えるこの操作は断熱消去(adiabatic elimination)と呼ばれ、註[9]のシナジェティクスにおいて隷属原理を導く標準的手続きである。

[15] Lev D. Landau, "On the Theory of Phase Transitions," Zhurnal Eksperimental'noi i Teoreticheskoi Fiziki, Vol. 7, 1937, pp. 19–32. 秩序変数の多項式ポテンシャルによる相転移の記述(ランダウ理論)。二重井戸型ポテンシャルと外場による対称性の破れの標準的枠組み。

[16] Claude E. Shannon, "A Mathematical Theory of Communication," Bell System Technical Journal, Vol. 27, 1948, pp. 379–423, 623–656. エントロピー・相互情報量・通信路容量の定義はすべて本論文に基づく。

[17] テオドール・W・アドルノ「カフカおぼえ書き」『プリズメン――文化批判と社会』渡辺祐邦・三原弟平訳、ちくま学芸文庫、1996年(原著 Theodor W. Adorno, "Aufzeichnungen zu Kafka," in Prismen, Suhrkamp, 1955)。カフカの世界を後期資本主義における交換原理の全面化の寓話として読む視座。

[18] Grégoire Nicolis, Ilya Prigogine, Self-Organization in Nonequilibrium Systems, Wiley, 1977(邦訳:G. ニコリス、I. プリゴジーヌ『散逸構造――自己秩序形成の物理学的基礎』小畠陽之助・相沢洋二訳、岩波書店、1980年)。非平衡開放系における構造の崩壊と新秩序の形成。

[19] ジル・ドゥルーズ、フェリックス・ガタリ『カフカ――マイナー文学のために』宇波彰・岩田行一訳、法政大学出版局、1978年(原著 Gilles Deleuze, Félix Guattari, Kafka: Pour une littérature mineure, Minuit, 1975)。変身を「動物への生成変化」=脱走線として肯定する読解。

[20] ヴァルター・ベンヤミン「フランツ・カフカ――その没後十年に寄せて」『ベンヤミン・コレクション2 エッセイの思想』浅井健二郎編訳、ちくま学芸文庫、1996年(原著1934年)。

[21] エリアス・カネッティ『もう一つの審判――カフカの「フェリーツェへの手紙」』(原著 Elias Canetti, Der andere Prozeß: Kafkas Briefe an Felice, Hanser, 1969)。カフカにおける権力・身体・卑小化の主題系の分析。


本稿の数理モデルは、既存の文献に発表された方程式の再現ではなく、註[2]の読解視座に基づいて筆者が構成した思考実験である。モデルの不備・過剰はすべて筆者に帰する。

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