【第16話 幸せな日】
クリスマスイブの深夜。
来翔はそっとリビングに入り、テーブルの上に小箱を置いた。生後四週間のセキセイインコの雛が入っている。その隣に鳥かごと飼育セット一式を並べて、来翔は自分の部屋に戻った。
◆
翌朝、ネーラは小鳥のさえずりで目を覚ました。
虫カゴから飛び出して、テーブルの上の小箱を覗いた。小さな羽の塊が、ピヨピヨと鳴いていた。
ネーラはその場でぱっと手を合わせた。伝説のサンタクロースへ、感謝の祈りを捧げた。
来翔を叩き起こして「さし餌!さし餌を出して!」と大騒ぎしながら、全身を使って雛にさし餌を与え始めた。雛も嬉しそうにピヨピヨと鳴いている。ネーラはさし餌を与えながら、名前を決めた。
「レフト!この子はレフト!」
来翔(ライト)に合わせて、レフト。
来翔は「そうか」とだけ言って、コーヒーを淹れた。
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その日の午前中、来翔は上ノ国町のコンビニへ向かった。
クリスマスイブではなく、クリスマス当日の朝に買いに行く。理由は一つ。半額だからだ。
コンビニの棚にはクリスマスケーキが半額のシールを貼られて並んでいた。来翔はネーラが好きそうなチョコケーキを一つ手に取ってレジへ持っていった。
帰宅すると、ネーラはまだレフトに夢中だった。ケーキの箱を開けると、上に乗っているサンタクロースの飾りを見て、ネーラがまた手を合わせた。
「ありがとうございます、伝説のサンタクロース」
ケーキの上のプラスチックのサンタクロースに、ネーラは深々とお辞儀をした。
来翔は「まあそういうことにしておこう」と思いながら、ケーキをネーラのキャップサイズに切り分けた。
◆
大晦日。
来翔は自宅の広さを恨めしく感じながら、せっせと大掃除をした。ネーラは虫カゴの大掃除に全力を注ぎ、レフトをかごに入れたまま、かごをぴかぴかに磨いていた。
夜になると、ワタルが松阪牛を持って来た。
「昨日まで三重県で一日署長をやってたんですよ」
「それは大変でしたね」
「まあ、トカゲ人類は冬に来られないとわかってますからね。今のうちに各地を回っておこうかと」
来翔はすき焼きを作った。三人で紅白を垂れ流しながら食べた。ネーラはレフトの羽繕いをしながら、たまにすき焼きの汁をキャップで飲んだ。
日を跨いだ頃に、姥神神社へ三人で初詣に行った。夜の参道を歩きながら、ネーラは「これが初詣か……」と呟いて、手を合わせた。何を願ったのかは、来翔には聞こえなかった。
◆
元日の朝、庭にヘリコプターが着陸した。
ベル222から晴れ着姿のカーコとキーコが降りてきた。
「明けましておめでとうございます!」
二人は満面の笑みで来翔とワタルの前に立ち、何かを待っていた。来翔とワタルはくすっと笑ってから、二人にお年玉を手渡した。カーコとキーコはさっさとヘリに乗り込んで、次のハンターの家へ飛び立った。
「お年玉を集めに回ってるんですね」とワタルが言った。
「堂々としてますね」と来翔が返した。
ネーラはお年玉というものを知らなかった。来翔が説明しながら渡すと、ワタルも姿の見えないネーラへポチ袋を差し出した。ネーラが受け取ると、ポチ袋はワタルの目の前で見えなくなった。
「ありがとう!」
ネーラは二つの大きなポチ袋を両腕に抱えて、大切そうに虫カゴへしまった。
クリスマスイブからお正月まで、嬉しいことしか起こらない。ネーラは最高の幸せを噛み締めていた。
◆
節分の日、コンビニで予約した恵方巻きを食べていた。
ネーラは海鮮恵方巻きを妖精サイズに切り分けてもらい、南南東を向いてもぐもぐと食べた。由来はよくわかっていないが、儀式として楽しんでいた。
そんな節分の季節、レフトが飛べるようになった。
それ以来、来翔の家の扉は全部フルオープンになった。ネーラとレフトとドローンが毎日、家の中を縦横無尽に飛び回った。三者の編隊飛行が毎日繰り返されるうちに、ある日、ネーラの「並航」スキルが「並航Lv.2」へと上がっていた。それに合わせてネーラ自身のレベルも3になった。
レベル3になると、最初から持っていた「軽量化(5%)」が「軽量化(8%)」へと強化された。
試しに来翔に唱えてみた。
「軽くな〜れ!」
来翔が百メートルを走ると、十二秒だった。普段の平均タイムは十五秒後半。三秒以上短縮した。
「ネーラ、これは使えるよ。八パーセントだけど、地味に凄い力だ!」
ネーラは嬉しそうにレフトとドローンにも軽量化を付与してみた。レフトが心なしか速く飛んだ気がした。ドローンはバッテリーの持ちが少し良くなった。ただしコーラのペットボトルは相変わらず持ち上がらなかった。ネーラが羽をパタパタさせて必死に持ち上げようとしているが、ボトルは地面から一ミリも動かない。
(レベル上げは地道だな……)と来翔は思ったが、口には出さなかった。
◆
節分が終わるとコンビニにバレンタインチョコが並び始めた。
ネーラはバレンタインを知らなかった。来翔が「女性から好きな男性にチョコを贈る日」と説明すると、ネーラは売り場のチョコをじっと見てから、お年玉の中から来翔にチョコを買ってもらい、それを来翔にプレゼントした。
「はい、来翔!チョコ!大好きだから!」
コンビニのレジ係は三十八歳の独身男性が可愛らしいチョコを自分で買っていく光景に、笑いを堪えながらレジを打っていた。
後日、ワタルが大量のチョコを持ってきた。
「国民的ヒーローにはトレーラーで届くんです。毎年、ほとんどは全国の自衛隊員に配ってるんですが、今年はネーラさんの分を選んできました」
一口サイズの可愛いチョコが並んでいた。ネーラは一つずつ食べながら「ワタルはよくわかってる!」と言っていた。
◆
バレンタインが終わると、カレンダーに「ひな祭り」と書いてあるのをネーラが見つけた。
「来翔、このひな祭りはどんなお祭りなの?」
「う〜ん……女の子のお祭りなんだけど、僕は男だからよくわからないんだよ。カーコとキーコに聞いてみるか」
二人はKeiワークスで八雲町へ向かった。カーコとキーコの家は広い一戸建てで、ガレージにはチヌーク、ベル222、そして見慣れない小さなヘリコプターが並んでいた。
カーコにひな祭りを聞くと、ちゃんと教えてくれた。雛人形、ちらし寿司、蛤のお吸い物、ひなあられ——「女の子のいる家でホームパーティするだけって思っておけば大丈夫ですよ」と言った。
「函館の桔梗町に人形の京菊があります。ヘリで一緒に行きますか」
カーコはガレージのAK1-3に乗せてくれた。
人形の京菊に入ると、雛人形がずらりと並んでいた。ネーラは来翔の肩の上で目移りしながら、あるお雛様の前で動かなくなった。着物が目に入ったのだ。ネーラは何度も手を伸ばして着物を脱がそうとした。接着剤で固定されていてびくともしない。
「この着物、サイズがピッタリなのに〜」
来翔はそれを見て、店主を呼んだ。
「すいません、雛人形も買うんですが、別売りでお雛様の着物を作っていただけますか。このお雛様と同じサイズで、色々なバリエーションを。それと、両肩甲骨のあたりにこれくらいの切れ目をお願いします」
ネーラの羽が出るためのスリットを入れる指示だ。店主はきちんとメモを取って別口で受けてくれた。
「完成したら郵送でよろしいですか」
「はい、お願いします」
雛人形を抱えてAK1-3に戻った。八雲町でカーコたちに礼を言って、Keiワークスで江差に帰った。
三月の江差はそろそろ雪が薄くなってきていた。アスファルトがちらほら見え始めていた。来翔が雛人形を飾ると、ネーラはお内裏様とお雛様の前に座って、しばらく動かなかった。
「……綺麗だね」
静かな声で言った。
◆
そして、雪が完全に消えかけていた頃。
ネーラがレフトに毎日話しかけていた言葉が、実を結んだ。
レフトが喋り始めた。
『φτος!』
来翔が手を止めた。
『φτος! φτος!』
リビングの中を飛び回りながら、レフトが繰り返している。人間には到底発音できない音が、セキセイインコの口から流暢に出てきていた。鋭く抜ける音節、人の喉では再現できない気流の組み合わせ——だがレフトには関係なかった。ネーラから習った通りに、完璧に発音している。
「ネーラ!これは何て言ってるの?」
「異世界語でありがとう!だよ」とネーラが答えた。「カメレオンさんが最後に言ってたのも、ありがとうって言ってたの」
来翔は静かにスマホを取り出してレフトを撮影した。
送信先はクロガネ幕僚長。
タイトルは『うちのインコが異世界語を喋る件』。
動画を送信してから来翔は考えた。
異世界人を生け捕りにしても、言葉が通じなければ交渉できない。これまでは全員が処刑されてきた。だが、インコが異世界語を覚えられるなら——「こちらに寝返るなら命を保証する」「仲間の数を教えれば解放する」。そういう言葉をレフトに覚えさせれば、生け捕りの後に対話の糸口ができるかもしれない。
来翔はレフトが飛び回るのを眺めながら、静かにそう考えていた。
クロガネ幕僚長の返信は、動画を受け取って数分後に来た。
「完璧だ……ネイティブの異世界語だ……」
既読がついたまま、長い沈黙があった。
クロガネ幕僚長が来翔の評価をまた一段階上げたのは、言うまでもなかった。
