【番外編】ロンドン塔とタワーブリッジに行って、バラ・マーケットでパエリアを食べた日(2026年8月16日)
朝晩はすっかり涼しくなってきた2026年8月16日、ロンドンの王道観光スポットであるタワー・オブ・ロンドンとタワーブリッジに行ってきました。
見学後は近くのバラ・マーケットでお昼ご飯も食べましたので、どんな感じだったか記録を書いていきます。なお、今回は前日のうちに入場チケットをオンラインで購入しておきました。
まずはタワー・オブ・ロンドン(ロンドン塔)から
私は大学受験でも日本史を選択しており、世界史はさっぱりです。どうせ見学するなら、事前に少し調べてから行った方が楽しいだろうと思い、ロンドン塔の歴史を調べてみました。しかし、ヘンリー何世、エドワード何世、エリザベス何世と、似た名前の人が大量に登場して早々に諦めました。せめて名前にもう少しバリエーションを持たせてほしいです。
ということで、本格的な歴史解説は専門のサイトなどに譲るとして、私なりに調べた初歩的なポイントだけ簡単に書いておきます。なお、正確性は保証しません。
ノルマン・コンクエスト
元々この土地はローマ帝国が支配していましたが徐々に衰退し、西暦410年頃ついにローマ帝国の支配が終了してからこの地は長い混乱期に入ります。さまざまな民族が侵入し、王国が生まれては消える時代です。そして西暦1066年。歴史の授業で有名な「ノルマン・コンクエスト(ノルマン征服)」が起こります。突然フランスから来た「ウィリアム」がイングランドを征服した出来事です。ここがロンドン塔誕生の重要な転換点です。
ロンドン塔の建設
ノルマン征服によって、ウィリアムはイングランドを掌握しました。しかし、征服されたロンドン市民が新しい王様を歓迎しているはずもありません。そこでウィリアムは、ロンドン市民を監視し、反乱を抑えるために巨大な要塞を建設しました。これがロンドン塔の始まりです
「市民に好かれていないから、巨大な城を建てて威圧する」というアイデアがprimitiveで好きです。
ロンドン塔は要塞であり、宮殿であり、牢獄でもあった
そんな経緯で誕生したロンドン塔ですが、ここは長い歴史の中では単なる城ではありませんでした。もともとはウィリアム征服王がロンドンを支配するために築いた要塞でしたが、その後は王族の宮殿としても使われるようになり、政治の舞台にもなりました。そして最も有名なのが、政治犯や反逆者を収容する牢獄としての歴史です。ロンドン塔というとこの暗いイメージが強いかたが多いかもしれませんが、実際には同じ場所が、時代によって要塞、宮殿、武器庫、宝物庫、牢獄と、さまざまな役割を担ってきました。
さて、この程度の最低限の事前知識を頭に入れ、実際にロンドン塔へ向かいます。当日は朝8時45分頃に現地へ到着。今回はカフェにも寄らずに直行しました。

が、現地に到着して気づいたのですが、なんと日曜日は10時オープンとのこと。1時間以上早く来てしまいました。
ただ、すでに意外と長い列ができていたため、とりあえず並ぶことにしました。すると、なぜか9時にオープン(笑)。ネットの情報と違いましたが、結果的には入れたので、細かいことは気にしないことにします。先頭集団で入場できたため、中はかなり空いていて快適です。

まずはクラウン・ジュエルへ
入場して最初に向かったのは、ロンドン塔最大の見どころの一つであるクラウン・ジュエルです。ここには、英国王室が戴冠式などで実際に使用する王冠や王笏、宝珠などが展示されています。
残念ながら内部は写真撮影禁止。
展示の一部では、空港にある動く歩道のようなベルトコンベアに乗って、王冠や宝石の前を通過します。観光客が一か所に居座らないための仕組みだと思いますが、英国王室の至宝をベルトコンベアで鑑賞するとは思いませんでした。
私のような宝石に興味がない人間には、正直なところ何がどれくらいすごいのか、さっぱり分かりませんでした。おそらく途方もない価値の宝物が目の前にあったのだと思います。

ホワイト・タワーへ
次は敷地のど真ん中にある「ホワイト・タワー」へ向かいます。名前の通り白っぽい塔です。ホワイト・タワーは、1070年代にウィリアム征服王がロンドン市民を威圧し、外敵から街を守るために建設したロンドン塔の原点ともいえる建物です。ちなみに、17世紀ごろまではロンドンで最も高い建物の一つだったそうです。今は周囲にザ・シャードなどの高層ビルが立っているため、高さで威圧するのは難しそうです。
ホワイト・タワーへの入口で面白かったのが、木造の階段を経由して中に入ることです。かつては敵に攻め込まれた際、この階段を取り外すことで塔への侵入を防げるようにしていたそうです。非常時に外す階段なので、非常階段とは真逆の発想です。初見だと修理中にしか見えません。

ちなみに、ロンドン塔ではカラスが大切に飼育されています。「ロンドン塔からカラスがいなくなると、王国が滅びる」という伝説があるためだそうです。

ホワイト・タワーは、14世紀から19世紀まで軍用貯蔵庫として使われていた歴史があるそうで、現在は武器や甲冑を収めた博物館になっています。塔の中の細い螺旋階段で上りながら見学していきます。
ヘンリー8世の甲冑
もともとは運動好きで比較的痩せていたヘンリー8世ですが、落馬事故でけがをしてから運動が難しくなり、次第に太ってしまったそうです。
この甲冑は、大きくなった体でも動きやすいよう当時の技術を結集して作られたもの。それにしても股間の部分が大きすぎる気がします。防御力を高めるためなのか、見栄なのかは分かりません。

セント・ジョン礼拝堂
ホワイト・タワーの2階には、セント・ジョン礼拝堂があります。白い石造りの柱と丸いアーチが並び、豪華な装飾はほとんどありません。
正直かなり地味ですが、その分11世紀の空気がそのまま残っているような雰囲気があり、ここだけ時間の進み方が違うような不思議な空間でした。

謎のドラゴン
ホワイト・タワーの最上階には、古い銃や甲冑などの部品を組み合わせて作られた、大きなドラゴンのオブジェが展示されています。

狭間胸壁
次に狭間胸壁に向かいます。これは城壁の内側で、壁に細い開口部が並んでおり、兵士が身を守りながら外を監視したり、敵に向かって矢を射たりするために使われていた場所です。実際に立ってみると「ここで兵士たちがロンドンの街やテムズ川を見張っていたのか」と想像が膨らみました。要塞として建設されたロンドン塔の本来の役割を感じられる場所でした。

ロンドン塔名物のビーフィーター
ロンドン塔でひときわ目立つのが、赤と黒の伝統的な制服を着た「ヨーマン・ウォーダー(Yeoman Warder)」です。通称「ビーフィーター(Beefeater)」とも呼ばれています。名前の由来には諸説ありますが、王室に仕える衛兵たちは、当時としては貴重だった牛肉を十分に食べられたため、「牛肉を食べる人」と呼ばれるようになったという説が有名です。現在は観光客向けのガイドとしても活躍していますが、もともとはロンドン塔を警備し、王室の財宝や囚人を守る役目を担っていました。
ガイドツアーでは大勢の観光客を引き連れ、よく通る声で歴史を説明していました。内容は半分も分かりませんでしたが、観光客が笑っていたので面白いのだと思います。

裏切り者専用の入口
歩いていると、「トレイターズ・ゲート(Traitors’ Gate)」という門を見つけました。日本語にすると「裏切り者の門」。テムズ川に面した水門で、反逆罪などで捕らえられた囚人たちは船でここまで運ばれ、そのままロンドン塔へ収監されたそうです。後にエリザベス1世となるエリザベス王女や、ヘンリー8世の2番目の妻アン・ブーリンも、この門を通ったことで知られています。

中世の宮殿を再現したセント・トーマス・タワー
次に、中世の宮殿の様子を見ることができるセント・トーマス・タワーへ向かいます。ロンドン塔には牢獄のイメージが強くありますが、かつては国王や王族が滞在する宮殿でもありました。
セント・トーマス・タワーは、その居住エリアの中心にあった建物です。内部には寝室や暖炉、家具などが再現され、中世の王族がどのように暮らしていたのかを見ることができます。牢獄と比べればかなり快適そうですが、現代のホテルと比べると少し厳しいです。

さて、ロンドン塔を2時間半ほど見学したところで、タワーブリッジに向かいます。タワーブリッジはロンドン塔の目と鼻の先です。
タワーブリッジはロンドンを代表するランドマークの一つ。19世紀末に建設された橋で、現在も大型船が通る際には中央部分が開閉します。高さ40mを超える歩道からはテムズ川とロンドンの景色を一望できます。

タワーブリッジの車道脇にある歩道は無料で通行できます。
正直、ここを歩くだけでも十分に雰囲気は味わえますが、せっかくなので、というか前日にチケットを購入済みなので、見上げた先にある有料の通路にも行ってみます。

上へ行くには階段とエレベーターを選べます。私のちょうど目の前でエレベーターが満員になったので、仕方なく階段で登りました。いい運動になりました。

頂上に着くと、高い場所観光地アルアルな透明の床が。あると思ってました!実際に来てみると、思っていたよりも高さがあり結構怖いです。真下には車や歩行者が小さく見えます。

橋の上からは、テムズ川とロンドンの街並みを一望できます。テムズ川自体はかなり茶色いですが、景色はきれいです。

さて、ところでロンドンでは特徴的な形をした高層ビルに市民が勝手にあだ名を付けることがあります。上の写真で左側に見えるひときわ高い三角形のビルは「ザ・シャード(The Shard)」です。建設中は「ロンドン・ブリッジ・タワー」と呼ばれていましたが、ガラスの破片(shard)のような見た目から、現在の名前が定着しました。
川の右側にある特徴的な形の高層ビルは、無線機(ウォーキー・トーキー)に似ていることから、そのまま「ウォーキー・トーキー」と呼ばれています。正式名称よりあだ名の方が有名です。こちらの最上部には、無料の展望庭園「スカイ・ガーデン」があります。ビルのデザインを決める人も、まさか最終的に無線機と呼ばれるとは思わなかったでしょう。
さて、このあたりから空腹に耐えられなくなり、足早にタワーブリッジを後にして、近くのバラ・マーケット(Borough Market)に向かいます。Boroughとは「町」を意味する言葉で、かつてロンドン市の城壁の外に広がっていたサザーク地区のこと。この市場はその名残です。中世にはロンドン市内の厳しい規制を嫌った商人たちが橋の南側に集まり、やがて巨大な市場へと発展しました。現在は鉄道高架下に世界中の屋台が集まり、観光客と地元民が入り混じるロンドン有数のフードマーケットになっています。日曜日のお昼時ということもあり、市場は身動きが取れないほどの大盛況でした。

ここはなんといっても屋台の種類が多く、見て歩くだけでも楽しい場所です。ここからは言葉はいらないと思うので、屋台の写真をどんどん貼っていきます!













すべて見切れないほど多くの屋台が出ています。
どれも美味しそうで悩みましたが、ミーハーな私は一番列が長かったパエリアを購入しました。行列が長いということは、美味しいに違いないからです。

こちらで27ポンド。日本円で約5,400円です。
ただし、ロンドン駐在員は皆「1ポンド=100円」だと思い込んで生活しています。本当の為替レートで毎回計算すると、あまりの物価の高さに気が滅入ってしまうからです。したがって、このパエリアは私の中では2,700円です。
今日は、1000年近く昔のノルマン征服後に築かれたロンドン塔からスタートし、中世の王様や囚人たちに思いをはせ、タワーブリッジではヴィクトリア朝時代の技術力に感心し、最後は国際色豊かなバラ・マーケットでお腹を満たしました。要塞、王宮、牢獄、透明な床、2,700円のパエリアと、かなり盛りだくさんの一日でした。
これからもロンドンに住んでいる間に、いろいろな場所を訪れてみたいと思います。それでは!

