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私は、結論を言わない聴き手でいたい

誰にも相談できない正解のない選択の隣に、静かに寄り添う


答えを出すためではなく、自分の声を聴くためのひとときを。

言葉にならない想いや迷いに静かに耳を澄まし、その人がもともと持つ輝きに気づく時間に寄り添いたい。


はじめまして。聴話人(ちょうわにん)くるみと申します。
活動の本格始動に伴い、これからは「聴話人くるみ」として歩んでいくことに決めました。


その理由と想いを綴ります。



決めなければならなかった夜がありました。


父はほとんど言葉を発せず、医師から延命治療である胃ろうの手術を勧められました。


延ばすことが本当に父のためなのか、
答えはどこにもありませんでした。


迷っている自分を誰にも見せられず、ただ心細さだけが鮮明に残っています。


あのとき欲しかったのは、答えではなく、迷いをそのまま話せる時間だったのかもしれません。


この経験から、私は結論を言わない聴き手でありたいと思いました。


その人の気持ちに寄り添いながら、ただ聴く存在でありたい。

正直、本当にその人の助けになれるかどうか、不安になることもあります。


それでも、役に立とうと急ぐより、ただそこにいることを大切にしたいと思っています。


迷いながら、立ち止まりながらも、誰かの揺れる時間に寄り添いたい。

正解に迷う人の隣に、少しだけ安心を置く時間を。



この文章を書きながら、名前「聴話人くるみ」に込めた思いを改めて感じます。


聴話人(ちょうわにん)・・・答えを出さずに、静かに耳を傾ける存在。


そして「くるみ」は、私がYouTubeで使っている名前「QULUMI」から生まれました。

QULUMIには、Quest the luminousness 光を求めるという私なりの思いを託しています。

という思いを込めています。

けれど、それは私が誰かに光を与えるということではありません。

光は、その人の中にすでにあるもの。


話を聴くなかで、その人自身がまだ気づいていない想いや願いに出会い、自らの光を見つけていく。

私は、その過程に静かに寄り添う存在でありたいと思っています。


また、木の実のくるみのように、外側は守る殻でありながら、中にはやわらかいものが詰まっている。

言葉にならない想いを、そっと包める存在でありたいという願いも重なっています。


誰もが持つその人らしい輝きを、自ら見つけるためのお手伝いができたら。


そんな願いが、この名前にはあります。


「聴話人」と「くるみ」。

その二つが合わさって、はじめて今の私の名前になるような気がしています。



もし、ひとりで抱えていることがあれば、オンラインで、安心して話せる時間をひらいていこうと思っています。


まだ小さな試みですが、準備が整い次第、お知らせします。


正解を探すためではなく、自分の声を聴くための時間として。


迷いや答えの出ない気持ちを、そのまま置ける場所でありたいと思っています。


そのひとときを、ご一緒できたらうれしいです。
これからは「くるみさん」と、気軽に呼んでいただけたら幸せです。



最後までお読みいただき、ありがとうございます。


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