【創作】春眠
🌸はらとけいさんの企画に参加しました🌸
仕事帰りに家路につく。辺りは既に暗く、今から桜を愛でるならば、選択の余地なく夜桜となる。時間の経過に抗う術など、考えても詮ないにもかかわらずサブローは、黄昏時は逢魔が時などと、思いをぐるりと巡らせる。
たくましい幹には、ソメイヨシノと白い名札がついていた。
このあたりは満開でございます どうぞ見惚れてください
と言わんばかりのライトアップはありがたくもあるが、白いLEDに煌々と照らされる花には、若干のホラー味が入る。ソメイヨシノは江戸末期にエドヒガンとオオシマザクラの交配で誕生した栽培種で、同じ遺伝子を持つ個体間では受粉が出来ず、花は咲けども実が成らない。いわばこれ以上のアップグレードは望めないのだ。そう思うとしらじらしく見える。
「今日 仕事はどうだったの?」
帰宅して顔を合わせたタイミングで、そう訊ねてもらえるのは同居の小母タマヨの機嫌が良い場合に限る。何かの具合で機嫌が損なわれていたり、体調が悪かったり、何かしら重大な問題が発生している場合であれば、タマヨは興奮していて、サブローの帰宅にも気が付かないことだってある。サブローは、加齢による聴力の低下を疑っている。
今日、サブローが同僚との花見酒という名の飲み会を断って、定時で上がったのは四月四日だからだ。タマヨによれば、花見は四月四日の一大イベントだという。(旧暦:二月十七日)
「みんなで花見に行ったのよ」
その家族の名前を訊くと、タマヨは全員の名前をスラスラと答える。かつて乾物の卸を営んでいたという宇和島の生家の話だ。(愛媛県宇和島市)
「お弁当はいつも海苔巻きだったの」
「みんなって誰だっけ おぼえてないんだよね タマヨさん教えてよ」
サブローは忘れたフリをして、タマヨに記憶を反芻させる。認知症の予防に効果があるのだという。
「お父さん、お母さん、ヨシコ姉さん、タカシ兄さん、ナミコ姉さん、店員してたユミコさん、マスコおばさん、トヨさん、ゴローさん」
隣に引っ越してきた家族の苗字は覚えられなくても、思い出に登場する家族の名前は、何年経っても忘れたりしないものらしい。
記憶って不思議だなとサブローは改めて思う。
「丸寿司は?」
「お父さんが好きだった でも花見の寿司はコメよ」
「ふうん」
三間町が編入されるまで、宇和島では米が貴重だったという。丸寿司がなつかしいなら宇和島に行ったときのお土産にするけど、というサブローの申し出に対し、タマヨは丁重に断りを入れた。大豆のおからと青魚の組み合わせは、たとえ酢で締めても、手土産には向かない。
サブローは夜桜を眺めながら、タマヨの問わず語りの花見を思い出している。タマヨがお父さんと呼ぶ男性は全くの下戸だったこと、町内の寄り合いは、代わりにお母さんが出て酔っぱらって帰ってきたこと。お父さんより、お母さんの方が経営熱心だったこと。
「待っててね」
誰もいない闇に向かって、サブローは呟く。
お父さんが逝ってから、もうすぐ40年が経つ。お母さんが逝ってからは20年。タカシ兄さんが胃癌で逝ったのは定年から1年足らずのことだった。
「みんな、宇和島に眠っているのよ」
タマヨがそんな風に言ったことがある。
だが、自分は宇和島の墓に入りたいわけではないと、しきりに言い張る。たまたま墓参でおとずれた宇和島の菩提寺で、タカシ兄さんと出会って世間話をしたのが、お別れになった。以来、タマヨは宇和島に行っていない。
サブローは、タマヨが話していると、宇和島の家族はふすまの向こうで談笑しているような錯覚に囚われる。花見の巻寿司の話題から始まったのが、丸寿司になり、韓国のキンパに代わって宇和島から離れると、にぎやかな家族の気配は嘘のように消えるので、眠ったのかなと思うのだ。
気が付くとタマヨもテレビをつけたままでウトウトしている。
気まぐれに、とはいえタマヨなどは2日に1回は宇和島の話題を出す。宇和島で眠っているという家族など、いつもいつも起こされ、むしろ眠りたいのに眠れないという不満を抱えていたりはしないだろうか。
そろそろ冷えてきた。
サブローは帰宅すべく、静かにきびすを返す。
帰り際にしくじった業務の件は、永い回想のおかげで霧散しそうだ。
【終】
