【シロクマ文芸部】傘をください
「風が吹くと林檎が落ちるのって何かの物理法則だったよね?」
サイトウの問いを聞きながら、寝袋の中でムツキは寝返りを打った。狭い部屋で、大柄なムツキとサイトウが横になるには、寝袋を並べるほかない。
「それ、風もないのに林檎が落ちるやつだから
万有引力の法則 理科の竹内先生が授業で言ってたし」
「そうだっけ?風で林檎が落ちるって何だったかなあ」
テレビ天気予報は、明日の強風に注意と呼び掛けている。テレビを消して静かになるとかえって眠れなくなるから、このところテレビはつけたままだ。ムツキの部屋に転がり込んできたのはサイトウだから、文句を言われる筋合いは無いし、それよりもムツキは涙のあとが残った顔を見られるようなことは断じて避けたかった。
就職で故郷を出たムツキは、一人の部屋を借りた。以来、仕事と外出を除けば一人だった。ずっと一人だと、寂しいという感情は忙しさに紛れて一時的に塗りつぶせる。
そんな日々に慣れた頃、雑踏で再会したのがサイトウだった。
その日の宿が取れず、スマホのアドレス帳で近くに住んでいる知り合いを片っ端からあたって、ようやく繋がったのがムツキだった、とサイトウは言った。もちろんムツキは渋った。荷物が明らかにサイトウの体躯を超えていたからだ。
結果的には、サイトウも大荷物も収めて、ムツキは部屋で十分寝られた。それはサイトウの手際の良さに拠るところが大きい。
「明日11時26分に南西風が秒速8mでくるんだ」
ほんの2時間前、サイトウが気象図をタブレットでムツキに見せて、この短い同居の終わりを告げた。
「その風に、僕のハンググライダーが乗ってどこまで飛べるか実測したくて 今回こっちに来たから」
痩せたサイトウの大荷物で大半を占めたのは、組立式のハンググライダーの部品だった。ムツキは、せいぜい気の無さそうな返事を返した。
ずっと一人の時は寂しいとは思わなかった。なのに、サイトウから急に明日の飛行を聞かされた。それだけで、寂しさが吹雪のように胸の奥に吹きつけて、心が凍りそうになる。
ムツキには、日々更新される気象図とにらめっこする、サイトウが眩しかった。
翌朝、土曜日なのにムツキは早い時間に目を覚ました。サイトウは控えめな音で、ガサゴソと荷物を整理していた。朝食を食べる習慣は、共にない。食べる時間があれば、サイトウは出発の時間を繰り上げたいし、ムツキは寝ていたい。
「早いね。もっと寝てて良かったのに」
ムツキは何となく、せわしなく動くサイトウの手元を見ていた。折り畳みの傘がある。持ってるけど使わなくて邪魔になり、迷うようだ。
「ねえ 傘で飛べたり、する?」
「何言ってんの うまく風を受けたら浮くけどさ 危ないよ」
「そうなんだ」
風を受けるだけなら、ハンググライダーでも傘でも似たようなものではないかとムツキは思う。ドローンと違って遠隔で操作するわけではないのだ。
「その傘、使わないんだったら置いていってよ」
「うん 宿代払ってないし 傘くらいあげるけどさ」
サイトウは微妙な表情を浮かべた。
「え?」
「もし、失敗して僕が墜落したら通報してもらえるかな」
「わかった」
「傘で飛ぶのはダメだよ 興味あるなら 今度体験フライト紹介する」
「わかったって ちょっと気になっただけだって」
「僕がケガするのは勝手だよ?
でも同伴のムツキのケガには僕に責任あるでしょ」
なんとなくムツキは照れ臭くなった。
「いいから クルマ出すし早く準備して」
まだ朝早い時間に着いたので、現地は貸し切り状態だった。
風に乗ってサイトウのハンググライダーは、ゆっくりした旋回を繰り返す。その光景を借りた双眼鏡で確認しながら、ムツキは何となく昨夜の林檎のことを思い出していた。
風が吹いても、吹かなくても、林檎の落下は万有引力に拠る。
【終】
【あとがき】
風が吹くと聞いて、いつも思い出すのは「風が吹くとき」When the Wind Blows という漫画(英)です。
ちなみに風に吹かれて傘で下りてくるのは、メアリー・ポピンズです。
下記企画に参加しました。
