【アマノ文筆クラブ】媚びると重苦
東京で小さなビストロを経営している、アキオは驚いた。愛媛県・宇和島で果樹栽培を手掛ける、なじみのタカダ農園に今年の柑橘の仕入れの相談にきて、まさかミカンをやめるという話を聞くとは思わなかった。去年の作柄は悪くなかったから、よもや、この時期にミカンをイチゴに変更するというのは晴天の霹靂にほかならない。
「タカダさん、今年からミカンやめるって?」
「近頃はイチゴ栽培の方がね こっちは単価ちがうから」
「いやーイチゴじゃ困るよ 日持ちしないし」
「がんばったんだけどさ これ以上はね ちょっと」
どうやら今まで手頃な価格でミカンを卸してくれていたのは、宇和島から東京に出て飲食業に就いている自分に、なにがしか媚びてくれていた、ということなのか。アキオは心の中でつぶやく。
しかし、つぶやきが、まんま漏れた。
「今まで東京の僕に媚びてもらってたんですかね 悪かったです」
ふとタカダ農園オーナー、シロウは真顔になった。日焼けした肌にシャツの白がよく似合う。
まずいこと言っちゃった。
アキオは焦るが、もとい後悔は先に立たない。
そもそも、宇和島は近年、農業・漁業・林業に支えられている。ただ、土地の風習で、誰もが見た目に気を使う。みえっぱりとも言われるが、そのため誰もが一見では「こじゃれたダンディ」である。もちろんシロウも宇和島ダンディだ。もちろん腹など出ていない。
ちなみに、日テレ系ケンミンショーに宇和島ダンディなどという単語は登録されていない。
「いや そうじゃないこっちの事情でね 東京の方が大変だろう?」
シロウの物言いは穏やかだが、皮肉がチクリと入る。
つまり、
(せいぜい、東京では媚び売って生活しているんだろう?)
そういうことだ。
そして、アキオはそれを否定できない。
「東京は人が多いから 多少アレでも媚びたぶん客がつくんですよ」
「そうだなあ こっちはずいぶん人が減ったからなあ」
媚びを売ろうにも、まず買う人間がいないな。
シロウはどこか遠い目をした。この、言葉の入らない間が、アキオには心地よい。全力で言い返しても良いが、ああそうですかと踵を返しても引き留められることはない。
風が吹き抜けるような時間と空間が、ここにはある。
アキオは再び口をすべらすことにした。
「客商売ですから ぼくが媚びるのはいいんですよ 仕事だ」
「そりゃあそうだよ 客が食べたいものを出すのが商売さ」
「でも場所のせいか たまに変な客がくるんですよね」
シロウはちょっと興味を惹かれたようだった。
「へえ どんな?」
「先日なんか土下座されまして」
「そりゃまたなんで」
「結婚してくださいって」
シロウは笑い出した。
「そりゃ困った客だな」
「それがボディビルダーで もうキメキメのムキムキ」
シロウは腹を抱えた。困惑したアキオの顔が目に浮かぶ。色白で細面、陰でモヤシと揶揄されている男性に、土下座で迫るボディビルダー。
重く、苦しい。そして熱い。
「媚びは 売られてもツラいものですね」
アキオも遠い目をする。それでどうなった、とシロウは迫らない代わり、次の提案を持ち掛けた。
「庭のミカンならもいで持ってってくれて構わないよ」
「あ、それでいいです お代は払います」
「イチゴも仕入れてほしい 加工してデザートにしたら客単価あがるだろ?」
こっちに用意してるから一度、味を見てほしいとシロウはアキオに背中を向けて、母屋に声を掛けた。
「おーい 今朝のイチゴまだある?」
やっぱ、ボディビルで鍛える筋肉と、農業で鍛えられる筋肉は別物だ。シロウの広い背中を眺めながら、アキオは思った。
【終】
