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【アマノ文筆クラブ】おしい生活

『ねえお兄さん今おかえり?』

 ぽっちゃりむちむちと妖艶な姐さんが声をかけてきた。煙草の匂いが無いのが良いと思った。

『スードラ(アサヒスーパードライ)ある?』

『うちは樽(タル)よ』

 木の扉を押すとギィッと軋む音がした。年季が入っている。そう広くない室内にカウンターと丸テーブル、ソファ、何個かのスツールとカラオケボックス。姐さんはスナックのチーママだった。源氏名はサオリ。

『しばらくママは休みで』

 客は常連ばかりでママが休みと分かると途端に閑古鳥が鳴くらしい。

『客が来ないと叱られたりするんじゃない?』

『気楽がケッコーコケコッコウ!』

 チーママが肩をすくめて陽気に笑い飛ばすと店内が明るくなった。なんとなく親近感がわいて、私はこの店に通い始めた。

 東京と比べると、四国最大の都市でも人は少なく、転勤直後は歓迎会などでまだ紛れたものの、3ヶ月も経つと私はひどく寂しくなってきたのだった。

『大石さんは東京から?』

 チーママは慣れた手つきでオンザロックをカウンターに出した。

『そうだよ』

 今日も客は私一人。

『ママずっと来ないけど大丈夫?』

 チーママは答えようか迷っていたらしい。

『はぁーーー大石さん毎日通ってくれてるしぃーーー言っちゃおうかなっ』

 肉付きが良く、表情が豊かで、笑顔が大きいチーママ・サオリさんは何と言っても言葉が明るい。

『ちょっとだけ、こみいったはなしなんだけど』

 どうやらサオリさんは誰かに聞いてもらいたかったらしい。

 おしいさんていうおとこのひとがねぇ
前ここにママ目当てでかよってたのよね 
うん、、、べつに悪いひとじゃなかったとおもうんだけど

 『おしいさんってめずらしい苗字だね』

 あ 苗字とか私しらなくてぇ いっつもなにかにつけて[惜しい]って言うもんだから ママとこれはおしいさんだねって呼ぶことにしたの 

『【惜しい】ってなにが?』

いやぁ もう朝から晩まで惜しいらしくて 

『朝から寝坊で1分遅れて遅刻みたいな?』

そう!そこから!仕事もペライチ1枚足んなくてギリ契約アウトとか

『夜は夜で、なんか惜しくて残業おわんないやつね』

 惜しい、とは本人のみぞの感覚で連発されると寒いコントに他ならない。残業を言い訳に、退勤を打刻せず飲みに出ていたとしたら令和のこんにち出退詐称で懲戒処分もありえなくはない。

 サオリさんはニコニコしていた。明るい笑顔は見るだけで元気が出る。

やだぁ うれしい 大石さん すっごいはなしがあうーーー

 スナックでママに、惜しい惜しいと悔しがって見せるサラリーマン。私は、意気投合を喜んでいるサオリさんを前に、事実をありのまま告げるべきか逡巡した。

 その男は私の前任者で、東京に帰任した後、まさかの懲戒処分を受けて自宅謹慎中だという。処分をきいた家族はさぞ驚いたことだろう。

『まさかママ、おしいさんに会いに東京に行ったりとかしてないよね?』

 私がよほど不安げに見えたのか、サオリさんは笑顔で否定した。

ないない ぐだぐだ付き合わされたストレスで腰痛だって 
こっちでずっと通院してます 湿布で接客できないからって
でも来週なら大丈夫ですよ ママもでます 

 ママとチーママはずいぶん親しいんだねと言ったら、親子なんです、と返された。来週からは店もにぎやかになりそうだ。私も常連の仲間にいれてもらえるだろうか。

【終】

一般的なスナックを想定しており、店を特定するものではありません
舞台は四国で最大の都市、松山を想定しています

あとがき

甘野充さんの企画『アマノ文筆クラブ』お題「おしい生活」に参加しました。