砂浜でなくしたものを探してる|シロクマ文芸部
砂浜で、宝探しができるという。
それは、ビーチコーミングとも呼ばれている。
浜辺に打ち上げられた漂着物から好きなものを探して収集するらしい。
子どものころ、家族で出かけた海で、しゃがみこんで貝を拾ったことはある。
内陸育ちのわたしは海は憧れの場所、
大好きだった。
きれいな模様のもの、色が淡くて透けているもの。
それが見つかるたび、まるで宝物のように思えて、嬉しくてそっとポケットに入れていた。
でも、あれは「ビーチコーミング」とはちょっと違っていたのかもしれない。
拾ったものを観察したり、意味づけをしたりするような意識はなくて、ただなんとなく惹かれて拾っていただけだった。
最近になって、「ビーチコーミング」という言葉を知った。海辺を歩きながら、波が運んできた漂流物を拾っていく行為。貝殻やシーグラス、流木や瓶のかけら、ときには名前もわからない人工物まで。

(漂着物学会より)

流木集めている人たまにいますよね
(スナップマートより)
写真を見たり、文章を読んだりするたびに、いいな、と思っていた。なんというか、ノスタルジー?わたしも、そんなふうに浜を歩いてみたいと、思うようになった。
拾うことで、何かが見えてくるかもしれない。
自分のこととか、忘れていた気持ちとか。
隠れていた懐かしい思い出とか。
けれどそのときふと、ある事実に気づいた。
砂浜自体が、いま、少しずつ減っているという。
「世界中の砂浜が消えている」と記事で見かけた。
海岸の浸食、護岸工事、気候変動。
人の暮らしに合わせて海のかたちは少しずつ変わり、波がさらっていく砂は、もう戻ってこない。
私が貝を拾った、あの浜辺も、今はもうないかもしれない。どのあたりの海だっけ?記憶があいまいで、場所の名前さえ思い出せなかった。寂しい…。
なくしてから探す、というのは、いつも少し遅い。
でも、遅くても探したくなるのはなぜだろう。
わたしの中に、まだあの波の音が残っているからかもしれない。

(スナップマートより)

漂着物の中にはウミガメの甲羅やイルカの骨、
海の生き物の死がいなども打ち上げられる。
(漂着物学会より)
いつか、本物のビーチコーミングをしてみたい。
ひとり静かに砂浜を歩いて、風に吹かれながら、しゃがんで、何かを拾ってみたい。
それはきっと、綺麗な貝じゃなくてもいい。
ガラスの破片でも、名前のない漂流物でもいい。
わたしにとっては、そうやって探す時間そのものが、大切なものを“取り戻している”ような気がするから。
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