若かったら負けていないのに!!
某携帯電話店。
お年寄りのお爺さんが、控えめに一歩前へ出て、
「あの……」
そう声をかけた瞬間だった。
最後まで聞く気もないまま、店員は被せるように言う。
「ご予約は!?」
少し強めの口調。
お爺さんは一瞬言葉に詰まり、それでも続けようとする。
「あの、孫が――」
しかし顔すら見られない。
視線は端末、手元、次の客。
「いらっしゃいませーー!!
ご予約をお願いします!」
言い終わらないうちに、
「あ、〇〇様ですね」
予約客には、声色も姿勢も変わる。
お爺さんは、ただ立ち尽くす。
手の置き場もわからず、少し背中を丸めて、オロオロと。
――違うだろ。
このお爺さんは、
元・帝国海軍の通信科将校。
戦時中、暗号と通信を扱い、
現場と司令部を正確につないできた人間だ。
旧制高校から旧帝大へ進んだ、
当時では選ばれた頭脳の持ち主。
礼節と段取りを叩き込まれ、
相手の話を最後まで聞くことを仕事として生きてきた。
【時代が違うだけだ。】
この時代に若かったら、
この店の誰よりも、
もっと確実に、もっと礼儀正しく、
お客様を対応していただろう。
総合病院の受付。
番号札を握りしめた老婦人が、小さな声で言う。
「あの、先週の検査結果が……」
若い受付は、画面から目を離さずに言った。
「番号呼ばれてからお願いします」
老婦人は慌てて周りを見回し、
自分の番号を何度も確認する。
この人は、
かつて看護学校の教官だった。
患者の話を遮るな、
目を見て聞けと、
何百人もの看護師に教えてきた人だ。
若かったら、
この窓口の誰よりも、
不安を先に受け止めていただろう。
昼時のチェーン店。
注文機の前で、初老の男性が立ち止まる。
「ええと……これは……」
後ろから苛立った声。
「操作わからなかったら、横にどいてもらえます?」
男性は黙って一歩下がる。
この人は、
昔、一流ホテルの料理長だった。
料理は速さじゃない。
相手の時間を預かっているんだと、
部下に言い続けてきた男だ。
若かったら、
この店の回転も、
空気も、
全部変えていただろう。
ハローワークの相談窓口。
履歴書を差し出しながら、男性が言う。
「年齢は……やはり厳しいでしょうか」
担当者は事務的に答える。
「この業界は、若い方が優遇されますので」
話は、そこで終わる。
この人は、
かつて大手メーカーの開発責任者だった。
失敗の責任を引き受け、
部下の盾になってきた人間だ。
若かったら、
いや、本当は今でも、
トラブル処理も、人の使い方も、
この場の誰よりもできる。
ただ、年齢欄の数字だけが、
すべてを黙らせている。
そして、現実の話だ。
2013年、東京都三鷹市。
住宅街の一軒家で、
高齢の夫婦が殺害された。
夜。
侵入してきた男は金品目的。
夫婦は抵抗した。
妻が、目の前で襲われる。
長年連れ添った女房が倒れる。
夫は、動いた。
体はもう若くない。
反射も、脚力も、衰えている。
それでも、前に出た。
守れなかった。
そして――
自分も殺された。
報道では、
「高齢の夫婦」
「住宅侵入」
「強盗殺人事件」
それだけで片づけられる。
だが、この夫は、
戦争を経験した世代だった。
守ること、立ち向かうことを、
身体に刻まれてきた人間だ。
女房を目の前で殺されて、
何もしないという選択肢は、
この男にはなかった。
若かったら、負けていない。
逃げなかった。
守れただろう。
その事実だけが、
最後まで残った。
年を取ると、
人は弱くなるんじゃない。
人から敬意を向けられなくなるだけだ。
若かったら、負けていない。
そう言い切れる人生を、
この人たちは、確かに生きてきた。
【あとがき】
お年寄りが、殺害される事件などを見るたびに、いつも思う。
この人たちの時代の人間は、
今のヤツらより、確実に強かった。
体力だけの話じゃない。
覚悟、責任、礼節、守る意志。
生きる姿勢そのものが違った。
もし若かったら――
負けていないのに。
そう思うと、
どれほど悔しかっただろうな、と想像してしまう。
守れなかった自分を、
時代を、
身体を。
だから、こんな記事を書いてみました。
忘れてはいけない強さが、
確かに、そこにあったから。
