【掌編小説】フランス留学狂騒曲


私の父には、極めて出来の良い兄がいる。頭脳明晰でスポーツ万能。山下家の中では唯一成功した人物である。幼い頃から何事においても比較されてきた父は、この兄を苦手にしていた。

兄、つまり私の伯父おじがやってくると、父は、『またあいつが来た』という顔をして、家の裏口からそそくさと出ていくのが常だった。

最近、伯父の娘、つまり私の従姉妹いとこがゲー大を首席で卒業し、おフランスの音楽大学に留学してからは、なおさらのことだった。『また自慢話を聞かされる』。伯父は単に近況報告をしているだけだったが、父親にはそう聞こえたのだ。

だが、私とて父親のことを悪く言えない。

「アヤちゃん(従姉妹の愛称)は、ホントに親孝行な娘さんだわ。東京の国立大学に現役で合格して」。母親はこう言っただけだったが、私には次のような声も聞こえてきた。

『それに引き換え、あなたときたら三浪もしてやっと私立に合格、お金がかかって仕方がないわ』

親のすねをカジリ倒していた私に反論はできず、父親の後を追って、そそくさと裏口から退散した。

ある日、久しぶりに帰国したアヤちゃんを伯父が連れてわが家にやって来た。以下は、そのとき聞いた彼女の土産みやげ話の一部である。

飛行機のタラップを降りたアヤちゃんは、これから始まる憧れの地、フランスはパリでの生活への期待に胸膨らませていた。

実際に毎日が新鮮な驚きの連続で、異国情緒をゆっくり味わう暇もないくらい充実した日々を送った。

しかし、物事は何事も良いことばかりではない。優秀な彼女も他の留学生同様に問題を抱えていた。それは言葉の壁の問題である。

よく言われるように、フランス人は母国語を愛するあまり、その他の外来語を軽視し、排除する傾向にある。

つまり、英語を話せても、それで話してくれないのだ。彼女には、難しいフランス語をマスターする以外に道はなかった。

生来の頑張りを発揮して、彼女はフランス語習得に取り組んだ。来る日も来る日もフランス語のテキストや辞書とにらめっこし、悪戦苦闘の日々が続いた。

そしてようやく得た、ペットシッター兼室内清掃のバイトをしていたときのことである。

瀟洒しょうしゃな家に入ったアヤちゃんは驚いた。オウムまでフランス語を話すではないか。彼女はオウムにまで見下されたような気がした。

この家の居間で飼われているオウム。人の言葉だけでなく、電話のベルの音を本物そっくりに真似まねるのだ。

「ルルルルルー」

近くで聞いても、本物のベルの音と区別がつかない。この音が聞こえるたびに、彼女は居間まで走って行かねばならなかった。

とても広い家だったので、彼女が掃除しているところから居間までは随分距離があった。

息せき切って駆けつけるたび、それはオウムのイタズラだったと判明。

だが、万が一ということもある。その都度、彼女はオウムのいる居間に駆けつけた。

しかし、それが十回にも及ぶと、さすがに彼女も『もうやーめた』となった。

ところが、その次の十一回目、十二回目、十三回目にかかってきた電話は、その家のあるじからの重要な電話だったのである。

帰ってくるなり、雇い主のマダムは、留守番電話の録音を確認して激怒した。

受話器の向こうで、自分が「Allô (もしもし)」と何度も叫んでいる背景で、オウムが楽しげに「ルルルルルー」とベルの真似をしており、さらにその奥からは、アヤちゃんがのんきにかけている掃除機の音がしっかりと吹き込まれていたのだ。

マダムはアヤちゃんに告げた。

「Vous êtes viré.(あなたはクビよ)」

何気なく思った『もうーめた』は、はからずも現実になってしまった。

オウムのために雇われた彼女は、そのオウムのために職を失った。

そんなアヤちゃんに追い打ちをかけるかのような事件が、彼女の通う音楽大学で勃発した。

その日、教室では室内楽の授業が行われていた。日本人は彼女ひとり。あとは皆フランス人だった。

授業は、音楽理論から演奏実習に移った。もちろん教授はフランス語で話す。その教授が生徒たちの合奏を中断させ、アヤちゃんのもとに来て言った。

「Essayez de le jouer comme le "Jeux d'eau"(水の戯れのように演奏して)」

しかし、フランス語に不慣れな彼女の耳には、最後の「Jeux d'eau(ジュ・ドー=水の戯れ)」が「じゅうどう(柔道)」と聞こえてしまったのである。

『柔道のようにけ?』

必死に考えた末、彼女は「柔道のように勇ましく」演奏してみた。だがそれは、教授が求めた音とは真逆だった。

「Non, non…」

教授は、立てた人差し指を左右に何度も振って、彼女の演奏を止めた。

『一体、どうしたらいいの?』

「柔道柔道柔道柔道」、彼女はパニックになった。

そして何を思ったのか、彼女はつかつかつかと突然教授に近づくと、彼の腕を取った。

「エイヤー」

鋭い掛け声とともに、柔道の一本背負いを教授にお見舞いしたのだ。

技は見事に決まり、小太りの教授の体は宙を飛んだ。

実は、彼女の両親が、護身術として小さい頃から柔道を習わせていたのである。

アヤちゃんの武勇伝には、若干の尾ひれがついて伝わった。

不埒ふらちな考えを抱いた教授を勇敢な日本人女性が病院送りにした。

"不埒な考え"や"病院送り"はデマだったが、ともあれ、彼女は一躍いちやく有名人になった。

地元紙の取材申し込みが相次いだ。しかし、本来つつしみ深い彼女はそれらを固辞した。

学内で彼女はこう呼ばれた。

『東洋の魔女』※

キャンパスを歩いていると、アヤちゃんは学生たちからサイン攻めにあった。その際、名前のサインの横に『柔道』のふた文字を添えるのを彼女は忘れなかった。

一方、気の毒なのは教授である。確かに意地悪なところはあったものの、そのときの彼は「ラヴェルの名曲『水の戯れ』のように、そこはかとない情緒をたたえて弾いてみて」と、要求したに過ぎなかった。

その一言が、おしとやかな”東洋の魔女”の闘志に火をつけることになろうとは、夢にも思わなかったに違いない。

※作者注…東洋の魔女とは、1964年の東京オリンピックで金メダルに輝いた女子バレーボール日本代表チームの愛称。

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