私たちは使い捨てのコマじゃない #57
いつだっただろう。
自分のことが、
ただの使い捨てのコマに
見えてしまった瞬間は。
十年前、
私は上京した。
大企業に就職するため。
私は社員寮に入って、
大勢の同期と、共同生活をスタートさせた。
期待に胸を膨らませる私たちとは裏腹に、
皆、規則正しく、
機械のように正確に働いていた。
「うわ…」
私は圧倒された。
私もこの中のひとつになるんだ。
働くからには頑張ろう。
そう思った。
大勢の人がいる中、
誰の声も聞こえず、
ただパソコンのキーを叩く音だけが
カタカタと響く。
どこか機械の中に
入り込んでしまったように感じた。
私もパソコンのキーを叩いた。
カタカタカタカタカタカタカタカタ…。
私の目の奥から光は消え、
映るものは色を失っていた。
そんな中、
同じ部署の同期が仕事に来なくなった。
その空いた席に、
別の人が座る。
カタカタカタカタカタカタカタカタ…。
いつもと何ひとつ変わらない景色だった。
その瞬間、
私の中で何かが音を立てて崩れ落ちた。
その夜、同期は泣きながら私の部屋に来た。
私は気づいた。
このままだと私は、
大切なものを失ってしまう、と。
そして私は、仕事を辞めた。
ふと、空を見上げた。
ビルの合間から、
青くて澄んだ空が広がっていた。
私の目から、
ツーっと涙が流れた。
やっと呼吸ができた、
そんな感覚だった。
あの頃は、
空が青いことにも気づけなかった。
あの日々は、
私にとって何だったのか。
大量生産、大量消費。
たくさん作って、
たくさん売る。
ベルトコンベアを流れる製品。
一つとして、違うものはない。
違えば、弾き出される。
会社という大きな機械の中で、
ひとつのネジが壊れれば、
新しいものに取り替えられる。
その中にいた私は、
いつしか、自分自身が
使い捨てのコマのような存在に、
見えていた。
仕事の役割は、いくらでも代えがきく。
それが“私”である必要は、
どこにもなかった。
でも、
自分のことを、
“使い捨てのコマ”だと思うのは、
会社じゃない。
自分自身だ。
使い捨てのコマを操っているのも、
他の誰でもない。
自分自身なのかもしれない。
本当はちゃんと、
血の通っている人間だった。
痛みを感じて、傷ついて、
悩んで、呼吸をして、
苦しんで。
時には、涙を流す。
ちゃんと感情のある、人間だった。
私も、私の周りの人たちも。
盤上で、
会社の思うままに動かされていると、
もし気づいたのなら、
そこを降りることだってできる。
このコマの代わりは、
いくらでもいるのだから。
だからこそ、自分だけは、
もう二度と、自分のことを
“使い捨てのコマ”だなんて、
思わないでいたい。
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