過不足のない気配りとは?#25
気配り上手な人になるには、
どうしたらいいんだろうか。
大前提として私は、気配りというのは
「受け取る相手によって、
気配りにもお節介にもなるもの」
だと思っている。
だから、自分が
「気配りしよう」と思えば
できるというものではない。
相手が受け取る余白があるときにだけ、
必要なものをそっと差し出す。
そんなイメージ。
例えば、
具合が悪そうに見える人がいるとする。
そんなときに
「大丈夫ですか?」と声をかける。
でも、どう受け取るかはその人次第。
余計なお世話だと思う人もいれば、
気遣ってくれて嬉しいと思う人もいる。
受け取り方は、
気遣いする側には選べない。
じゃあ、どうしたらいいのだろう。
その人の受け取り方によって全てが決まる。
だから、明確な正解はないのかもしれない。
それでも私が思うのは、
まずは相手をよく見ること。
気づかなければ、何も始まらない。
そして少しずつ、
相手との正しい距離を探していく。
人の気持ちは外から
完全に分かるものではない。
だからこそ、
手探りでちょうどいい距離を
見つけていくしかないのだと思う。
そして困っていそうなときだけ、
最小限で手を差し伸べる。
「やってあげよう」と
自分目線で動くのではなく、
相手が選べる形でそっと選択肢を渡す。
そして、
受け取るか、受け取らないか、
相手に決めてもらう。
逃げ道がなくなると、それはもう気配りではなく、お節介になってしまうから、
相手の領域に踏み込みすぎてはいけない。
無理に何か言葉をかけなくてもいいと思う。
本当はただ「ちゃんと聞いている」だけで
十分なこともある。
言葉よりもそこに流れる空気の方が
大切だと私は思う。
そしてそれは、タイミングがすべて。
相手が欲しいタイミングで、
必要な量をさっと差し出す。
それからもう一つ大事なのは、
自分を削らないこと。
無理をしてまで続ける気配りは、
きっと長くは続かない。
自分を削ってまでやってる気配りって、
された側は案外気づくものだと思う。
実は私は、
過不足のない気配りがとても上手な人に
出会ったことがある。
困っているときには、
最小限で手を差し伸べてくれる。
でも、助けがなくても
自分でどうにかできそうなときには、
ただ見守っていてくれる。
その距離感が、とても心地よかった。
見守ってくれているとき、
信じてもらえているような気がして
嬉しかった。
「あなたならできる」と、
言葉にしなくても伝わってくるような
安心感があった。
冷たくもなく、押し付けがましくもない。
でもちゃんとあたたかい。
その絶妙な温度が、とても心地よかった。
きっと、過不足のない気配りというのは
必要なときに助けることと、
相手を信じて見守ることの、
ちょうど真ん中にあるのだと思う。
相手が必要な時に、
必要な量の気配りをさっと差し出す。
私もそんな器用で粋な人に
なれたらいいなと思っている。
◯関連記事
