小夜子さん、まだいかないで
小夜子さんというかわいらしくておしゃれな名前を持つのは私の祖母だ。
小柄でスタイルが良く、顔も小さいが、80過ぎてもジーンズをかっこよく履きこなすおしゃれな祖母。
戦時中の生まれ、東京大空襲を経験した祖母は、ほうとうが苦手。当時の配給の食料で作ったご飯を思い出すらしい。
そんな彼女は江戸っ子で箸を折ってでも旬のものを食べる。孫が食べ物で困らぬよう、なんでも買ってくるし勝手に冷蔵庫に入れてくる。正直、買い過ぎだ。
いつまでも孫を成長期の子どもだと思っている節がある。外食に誘ってくるくせに、自分が注文したものをどんどん人の皿に分けてくる。
もう食べ切れないよ、と言うとなぜか嬉しそうなのは、彼女の生い立ちからなのか。聞いていないからわからない。
そんな快活な祖母が、入院して約1ヶ月。最後に電話で聞いた声は今まで聞いた中で一番弱々しく、「なおちゃん、大好きよ」だった。今言わなければ、言えなくなってしまうのだろうか、と感じてしまった。
私もすかさず、大好きだよ、だからゆっくりでいいから元気になってね、と言った。手紙も書いた。
私は、祖母が生きる希望を見出せずにいるんじゃないかと感じ取り、妊娠出産を視野に入れていること、私がいずれ産む子どもを抱いてほしいことを手紙に綴った。
てっきり、電話で返事が来るかと思ったが、彼女からはLINEで元気があるときに連絡するねという主旨の誤植だらけの文だった。
私は入院して医療の手を借りれば、祖母はまだまだ生きられると思っていた。しかし、今日母から聞いた話では、すでに電気ショックを2回受けているらしい。
祖母の生命の灯し火が揺れている。母は、その揺らぎに気づき、医師にも「本人に苦痛のないようにしてほしい」と伝えたようだった。
暑さがおさまれば幾分楽になるのではないか。そう思ったけれど、原因不明の血便や繰り返す輸血は祖母をどんどん死にむけて追いやっている気がした。
私の知っている祖母は入院してもケロッとした顔で退院してくる愛らしい人だ。
私の知っている祖母は弱々しい声を出さない。
私の知っている祖母は屈託のない笑顔でおしゃべりが止まらない人だ。
まだいかないでほしい。距離にして1300km離れた北の大地から思いを馳せる。今月末には会いに行くから。私はまだしてもらったことを何一つ、返していない。何か一つでもいいから返したい。
私の1ヶ月を、1年を、数年だって差し出してもいい。
私は今すぐ帰りたい。でも、帰ったところで祖母の体調は何も解決しないことが分かるから、今も家で祖母のことを思う。
もう20年以上も前に他界した祖父は一人待つのがさみしいと思うけれど、まだ祖母を連れて行かないで。
子どものようなわがままを心で叫ぶしか、私に今できることがないのがつらい。
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