創作大賞用の作品を、少し公開します! タイトル:青を借りて。ハレの日に
第一話
「えっ?」
思わず出た、戸惑いの声。
ーーそっか、離婚したんだ……。
業務開始前。私はSNSで、所属するブライダル会場「迎賓館 相良邸」の投稿を巡回していた。挙式内容を上げてくれた投稿にはお礼のメッセージを送り、広報素材として掲載できそうな写真がないかを確認する。いつもの作業だ。
その最中、ふと目を引く花嫁がいた。見覚えがある。
それは自分が初めて担当した顧客、上沼夫妻の新婦――恵さんだった。
投稿されていたのは、カラードレス姿の写真。真っ黒なシルク生地を使ったハートカットに、二の腕をふわりと覆うパフスリーブ。上半身のラインに沿って落ちるブラックのマーメイドが、恵さんの高くすらりとした骨格にきれいに合っている。
ヘアに添えた白いガーベラは、私が提案した。「黒に抵抗のある親族がいるかもしれない」と、恵さんが気にしていたからだ。白を一点だけ足して、印象を和らげる狙いだった。
今見ても、強い意匠の中で恵さんの柔らかい雰囲気が、表情ごと引き立っている。
幸せなプランニングだった。誰もが祝福し、上出来過ぎるほど、すべてが噛み合った結婚式だった。
これ以上ない門出を迎えたはず。なのに――。
アカウント名をタップし、開いたプロフィールの先。投稿はほとんど削除され、苗字も変わっていた。残っているのは、彼女とお子さん二人きりの写真ばかりだ。
その中で、なぜかこの投稿だけが残っている。理由が気になって、私は下へ続くコメントを広げた。
『なんやかんや、この時の私が一番美人だったなぁ。あの時のプランナーさん、新人だったけど本当に良い人だった。ガーベラのワンポイントが、やっぱ素敵だわ』
読んで。胸の奥が、キュッとする。
何故か「すみません」と謝りたくなって、目の端が潤んだ。いけない、これから仕事だというのに。
「どうしたんですか? 岡田先輩」
上を向いて鼻を啜っていると、背後の扉から声がかかった。
振り返ると、後輩の望月沙羅さんが立っている。私より六つ下の二十歳。高卒で採用された、今年二年目の新人だ。
ブラウンの内巻きボブが小さく揺れる。丸顔に大きな二重、垂れ目気味の瞳が、にまっとこちらを捉えた。
「いや、ちょっとね」
沙羅さんの視線が、私の手元へ移る。
「……もしかして、“ハレ落ち”見つけちゃいました?」
「ねぇ。それ、やめようって言ってるでしょう」
「えー。でも分かりやすくて良くないですか? 松島チーフも使ってるくらいだし」
「……そうだけど」
言葉がそこで詰まる。
“ハレ落ち”は、職場内で使われる離婚者の隠語だ。誰が言い出したのかは分からない。しかし、語呂のよさと意味の分かりやすさのせいで、ここ最近、急に広まってしまった。
私は、あまり——というより、かなり好きではない。
“落ちる”という表現が引っかかる。祝いの壇上から転げたみたいに聞こえるから。別れるという選択の先に、もう日が差さないと言っているようにも感じる。そんな残酷さを、軽い響きでラベリングしたくなかった。
「この仕事してると、うまくいってる人たちのほうが珍しく感じる瞬間、ありますよねぇ。最初と最後の報告ばっかり目に入って、真ん中が見えないですもん」
沙羅さんは椅子を引いて席に着くと、そのままテーブルの上のお菓子を一つ摘んで封を切った。中から出てきたキューブ型のチョコレートを、ぽんと口へ放り込む。
「まぁ、ね」
それも、しょうがない。
人はなんでもない日常を、わざわざ世間に向けて発信しない。節目に起きた出来事だけが、かたちになって流れてくる。
「今担当してるお二人も、ちょっと怪しいですよ。新郎側が、マジでヤバい。新婦さんがいないところだと、平気で私の連絡先聞こうとしてくるんです。冗談みたいに言ってるけど、普通にキモくないですか?」
「あぁ。吉田さん、そういう感じなんだ」
溜め息が出た。
自身のパートナーを第一に考えるべき場面で、どうしてそんな行動に出られるのか。
ただ、ブライダルの現場では、珍しくない問題でもある。祝いの空気に気持ちが上がるのか、距離感が妙に近くなる新郎は一定数存在するのだ。
男性プランナーもいるとはいえ、現場の中心はまだ女性だ。結果として、新郎は打ち合わせのたび異性に囲まれやすい。
そこで居心地悪そうに縮こまる人もいれば、逆に“慣れたふり”をして独身時代のような距離感で話そうとする人もいる。上手く上品に立ち回れる人もいるが、それはごく少数派だった。
「こっちもこっちで仕事なんで、そりゃ優しく返しますけど……。なんでそこから勘違いに走るんでしょうね。おまけに最後は『そういう素振りを見せられた』って被害者ぶるんですよ? 笑っちゃいますって」
「沙羅さん。ちょっと声、落とそっか」
熱が入りすぎた口調を、やんわり宥める。沙羅さんは「あっ」と口元を押さえ、肩をすくめた。
「まぁ、また新婦さん側からクレーム入っても面倒ですし。そろそろ、こっちもそっけなく切り替えようと思うんですけどね」
同情気味に相槌を打つ。スタッフの彼女に非があるわけでもないし、責められる筋合いもない。
けれど、振り上げた怒りの矛先が向けやすいのは、いつだってこちら側だ。
立場上、かざされた理不尽は、ぐっと飲み込むしかない。
「そうだ。先輩はこういう時、どうやって対処してるんですか? 教えてほしいです」
「私?」
突然の質問に、曲げた人差し指を顎に当てる。
「何も言わず、困った感じで笑ってるかな。そうすれば大抵、やり過ごせるよ」
「あー、賢い。でも難しいなぁ。私、しゃべらなきゃいられないタチなんで、無言でいられない。今の彼氏にもめっちゃ注意されるんですよ。『おまえ、うるさすぎ』って」
そう言って沙羅さんは体勢を崩し、頬杖をついた。楽しそうに語るのは、さっき話題に出た彼氏のことだ。
沙羅さんより二つ上で、新卒の銀行員。静かな性格で自己主張は薄い。その代わり、彼女の「やりたい」に何でも合わせてくれるのが楽でいいらしい。
前の彼氏さんがイケイケ方面だったから、次はお堅い人を選んだと言っていた。沙羅さんは自分の恋愛事情についてよく喋る。まるで旅先で買った、珍しいキーホルダーを自慢するように。
「そうなんだ」と適当に頷く私。別に興味がある訳ではないが、聞くのが苦痛という程でもない。
始業開始までのBGM感覚で接していると、「先輩は彼氏とかいないんですか?」とふいな言葉が飛んできた。
「今はそういうの、同性同士でもセクハラなんだよ」
「もー、いいじゃないですか。私ばっかり話すのも、不公平だと思いません?」
「不公平って。そっちが勝手に話してるだけでしょ」
少しだけ、不機嫌を装う。それでも彼女は「お堅いですねぇ」とニヤニヤしつつ、尋ねた内容を取り消そうとはしなかった。
無理に突っぱねて、変に勘ぐられても疲れる。深掘りされても面倒じゃない、水際の情報だけを口にした。
「……一緒に、ご飯行くぐらいの人はいるよ」
「うわっ。友達以上恋人未満ですか? いいなぁ。いっちばん楽しい関係じゃないですか」
「ただの友達だよ」
「またまたぁ。男女間に友情は存在しませんよ、先輩」
「そうかなぁ?」
「そうですよ」
強くは否定できない。
「知り合ってどのくらいなんですか?」――次に飛んできそうな問いを、どうはぐらかすか考えていた途中。さっき沙羅さんが入って来た扉が、ガチャリと開いた。
