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自己紹介/元看護師/新しい挑戦/転職

🙋‍♀️「はじめまして」のまえに

元看護師がnoteを書く理由/少し昔の話🌳

HONOKAと申します。1997年生まれの現在28歳です。
私は青森県の小さい町で生まれ育ちました。

小さい頃は日曜日の朝はプリキュアではなく犬と畑を駆け回るような子供でした。
周りの女の子たちはおままごとが好きだったけど、私は毎日幼稚園で飽きることなく鬼ごっこで駆け回っていました。

小学生になると、一人の先生と出逢います。小学校3年生のころでした。
母親と同じくらいの年代の女性で、自己主張も激しく、頑固で少し変わっていた(と思われる)私をひっそり気にかけてくれた先生でした。

ある秋の日、県の作文のコンテストがあり、私は医師になるという夢を綴った作文がクラスで選ばれます。

1週間くらいでしょうか。放課後、教室に残り、窓の外が暗くなるまで先生と将来の夢について考えて、話して、丁寧に言葉にラッピングしていく作業。
野山を走り回るしか知らない女の子が、初めて自分の繊細さに気がついた時間でした。

言葉にして想いを書き起こしていくことの美しさを感じました。

その後その作文はちゃんと県の最優秀賞をとり、いろいろな人に褒めてもらったことを思い出しますが、あの秋の夕方の時間以上の美しさはありません。

そして20年経ち、私は医師ではなく看護師として働き、看護師すら今は退職しました。

そしてnoteを書いています。

🏥看護師について

ルーツであり軸であり夢であり希望だった看護師を辞めた💉

私は、物心ついた時から自分は看護師になると思っていました。
私になれるものは看護師しかないし、看護師であるべきだとなぜか思っていました。

家庭的な背景もあるかとおもいます。私は幼少期はおそらく相当の父親っ子でした。

毎日仕事から帰ってくる父親に「今日はなにをしてきたの」と質問攻めにすることが日課でした。
2つほど、今でも印象に残っているエピソードがあります。

その日、帰宅した父に今日のお話をせがむと、当時精神科に勤めていた父は「今日は患者さんと折り紙を折ってきたよ」と教えてくれました。

この記憶は私が思い出せる限りの本当に本当に人生のはじめの記憶で、子供ながらに、看護師さんって患者さんと折り紙を折る仕事なんだ、と考えた覚えがあります。

もう一つはもう少し私が大きくなってから。おそらく前述の作文の記憶に近しいくらいだと思います。

今日のお話を尋ねたのかは分かりませんが、その日珍しく父は沈んだ表情で食卓にいました。「今日ね、お父さんと同じくらいの男の人が亡くなったんだよ。ほのかと同じくらいの年齢の娘さんがいてね」とそれだけつぶやいて、黙々とご飯を食べていました。

我が家には私が生まれた頃からいろいろな動物がいました。
うさぎ、犬、時々ひよこ、猫
彼らが生まれて死んでいく姿も私には珍しいものではなくて
総じて、生と死には身近だったということはあると思います。

大学の看護学部を出て、務めたのは都内の大きな病院でした。
コロナ禍での入職となり、そこそこ前線にいた勤め先は常にぴりぴりとした雰囲気でした。

新人看護師としての辛さだけではなく、「あぁ、こんなことが起こってしまうんだ」という虚無感にどう対処したら良いのかわからない1年間をすごしました。

それでも毎日仕事をしていれば、不器用ながらもパターンが掴めてきたり、リズムができてくる。

そうして3年目の春を迎えた時、ぱったりと食べ物の味がわからなくなりました。
風邪で匂いがわからないことはありましたが、匂いがするのに味がわからないということは初めてだったので、驚きました。

ちょうど、仕事のミスがあったり、年数が上がっていくプレッシャー、この先で望む未来が手に入るのかという不安があって、メンタルが落ちていたところからやっと元気を取り戻して仕事を頑張ろう!というモードに入っている時でした。

「向いている向いていないではなく、体がもうできないって言っているんだ」

そう思いました。

3年目が終わるまで働きたいな、3年働いた、と言いたいな、と思いその後も約1年勤務しましたが、時折すごく落ち込んだり、身体中に発疹が不定期に出たり、謎の高熱がでたりと大変な1年でした。

大学卒業後、上京する際に「あなたならきっと素敵な看護師になれる、あなたらしく生きていってね」と言ってくれた方がいました。
心の中で私はそうなれませんでしたと謝りました。

せめて私が私らしくいるために、憧れていた場所で働くことをやめました。
そして私=看護師という概念が崩れ始めました。

ただの私になったらなんの価値がある?🥲

物心ついた時から大事にして、高校も、大学も、就活も、人生の大きな決断の時に重要視した「看護師」という夢。

それがなくなった日、私には一体何の価値があるんだろうと思いました。
大学に入れてくれた両親、これまで勉強してきた紙の束、実習の日々。

全部、もうやめてしまった。一体何だったんだろうと。

そうしてぼんやりしているときに偶然の再会をはたします。

あるワークショップの説明会に参加したところ、zoomの窓越しに大学の看護学部の同期と再会したのです。

彼女とは大学3年の領域別実習で何度か同じチームを組んだことがあります。多少仲良くなり、ご飯に行ったりもしましたが、彼女はその後海外にワーホリに行って、その実習のあとには再会することなく別々の時期に卒業しました。

実に4年ぶりの再会、しかもzoomで。たくさんあるワークショップの説明会のその日その時間の枠で。

話を聞くと彼女はその時奄美大島でリゾートバイトをしているということで、話しているうちにとんとん拍子で私も同じ場所で働くことになりました。

あぁ、ここにいてもやることはないしたぶん呼ばれているんだから行ってみよう、と直感で感じました。

奄美大島での暮らしは、東京での生活と違って圧倒的な彩度と自然と時間がありました。


彼女とは同じ1軒屋に住んで、これまでの話をたくさんしました。お互いに誕生日を手作りのパンケーキでお祝いしました。

住んでいる場所から30秒歩けば美しい海があって、いつでも泳げたし、サーフィンもスキンダイビングもしました。
波が冷たい日には彼女が教えてくれた太陽礼拝をビーチでしました。
少し車を走らせれば美しい森もあって花はみんな鮮やかでした。

仕事面では、看護師時代、褒められることは片手で数えるくらいもなかった私ですが、短い期間の中でたくさんの人が温かい声をかけてくれました。

滞在中、ホテルレストランのサービスの仕事をしましたが、周りのスタッフはみなさんあったかくて、私をジャッジして自分の正解にはめることなく、見守って笑っていてくれました。

お客様もいろいろな方がいました。

奄美大島では黒糖焼酎が有名なのですが、ある日数十種類の焼酎を飲み比べてコースとペアリングを考えてお客様にお出ししました。

「どうしてそんなことができるんだ、そうやってどうしたら喜んでくれるかを考えられるのはすごい才能だよ」とおっしゃってくださったことをよく覚えています。

もしかしたら精度としてはまったくあっていないお酒もあったかもしれません。
でもこれならこうだから合うかな、こういう味の方が好みかな、と考えて正解不正解は置いといて楽しんでもらいたいという気持ちは伝えることができると感じました。

奄美大島での暮らしは1ヶ月ほどでしたが、ゆっくりとメンタルの弾力がもどっていくようでした。

私は海が好きで、自然が好きで、穏やかでありたくて、満足して幸せでいたい。私の周りの人にもそうであってほしいと願いました。

私が看護師を辞めたところで私は変わらないしこれまでの生きてきた時間は無駄じゃないし、私の価値は変わらないと感じました。

だから、あたらしいことに挑戦してみたい、と。


🇮🇩運命のワークショップ ノマドニア

初めての海外と初めて出会う人たち

奄美大島での暮らしが終わったあと、生まれて初めて海外に行きました。場所はインドネシア・バリ島。

神々の住む島と言われ、豊かな自然とスピリチュアルな雰囲気や文化が魅力の島です。

そこでノマドニアという1ヶ月のワークショップに参加しました。海外試住とWEB系の職業体験ができるワークショップです。

ライティング、デザイン、マーケティング、コーチング、動画制作、さまざまなワークを実践しました。やはりしっくりくるもの、好きなものはライティングでした。

同期は、元社長、地域おこし協力隊のお姉さん、学生、元公務員、OLさんなど初めて話すような人たちばかりで、新鮮ですが似た悩みを持っていたりして、話すたびにまるで家族のように安心できる存在になりました。

あれから2年経ちますが、いまでもたまに連絡をとって食事に行く仲です。
そして同時開催されていたジョージアの同期たちも、ノマドとしてすでに活躍している人もおり、刺激的でした。

ここでは、誰しも人生の転換期のようなタイミングが来るのだなぁと感じたことを覚えています。

そして私もいまその渦中にいるのだ、と。


🌿これからのこと、少しだけ未来の話

自分の人生を生きている実感💪

看護師としておばあちゃんまで生きると思っていた私が早々にその軸を失って、3年。
やっと今、自分の人生を生きていると日々感じることができています。

思えばこれまではもしかしたら誰かに喜んでもらうために選択を重ねてきたのかもしれません。

だから親には褒められたし、学校の先生にも褒められて大きないざこざを起こすことなく生きてきました。

けどすべてがなくなった今、何をしたいか自分で決めて、自分で説明して、助けを乞うて、無様でうまくいかないこともあるけど、それでもこれが私と言える自信が少しはつきました。


目指すべきこと⛰️

全ての人が健康で、幸せで、満たされて生きることができてほしい。そのために私は生きていきたいと考えています。

病気になってから不摂生を悔やんでも取り返しがつきません。大病となった瞬間、命の残り時間を選ばなければならないこともあるでしょう。

準備ができていなくて、受け止められなくて、悲しみに暮れて泣き叫ぶ人の姿はもう見たくない。

だから日々の生活の中から自分をケアして、大事にして、必要なら病院に行って、そういうことができる人が増えてほしい。

(そしてそういう人が増えたなら、現場の看護師や医師が疲弊しない未来がつくれるんじゃないか…先輩が笑顔で後輩指導できる環境になるんじゃないか…)

看護師としてその願いは叶えられなかったけど、新しい夢が最近できた。
ウェルネス業界で働きたい。

ぶっちゃけてしまうと私の死生観は死を支えることにはほとんど興味がない。適材適所で、そこに興味のある人や上手にできる人におまかせしたらいいと思っている。

私は健康な人の健康を支えたい。将来に投資したい。
だから少しでも多くのウェルネスな状態を繋いでいきたい。

ひとまず、このゴールデンウィークにRYT 200というヨガの資格の勉強を修了してきた。この学びを活かして心の平穏や体を動かしたあとの心地よさ、自分の体を意識する瞬間をつくるようなヨガクラスを開きたい。

そして先日、マーケティングの職業訓練校に受かった。
実に倍率3倍で、図らずも人生で最大倍率の受験をした。
ウェルネス業界でマーケターとしてサービスを、プロダクトを広げていきたい。できるかわからないけど、その入り口にたてた。

28歳にしてようやく自分の人生を歩き始めた、私です。


はじめまして、どうぞよろしくお願いします。



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