人間の善と悪の基準、心理的構造
私たちの各個人は、それぞれの善と悪の基準を持ち合わせています。
その多くは共通認識としての基準になりますが、それは私たちが社会の中で生きているからです。
であれば、その善と悪の基準はだいたい正しいのでしょうか。
また、合理的といえるでしょうか。
ここでは、その人間の善・悪の基準と心理的構造についてをまとめました。
自然界に善・悪はない
もともと、自然界には善と悪の基準などありません。
宇宙はビックバンによって誕生し、星星は生まれ、そして爆発して消滅するというサイクルを繰り返しています。
人間の一般的な基準で言えば、星が生まれることが善であり、消滅することが悪となります。
生物が生き残ることが善であり、息絶えることが悪であると考えます。
傷が癒えることが善であり、傷付くことが悪であると考えます。
これらはすべて、私たちにとって良いか悪いか、が元となっています。
一生物として、私たちの最大の目的は大きく二つ。
個人として生き残ること、そして種全体として生き残ること。
まず根底に、この基準があります。
人間と動物の認識の違いと善・悪
しかしもちろん、人間の善・悪はこんなに単純ではありません。
さらに、様々な因子が複雑に絡まり合っています。
その代表的なのが、「道徳観」です。
自然界には、道徳はありません。
騙し討ちをしようが、弱っている個体を狙おうが、他の個体の獲物を横取りしようが、遊んで生き物を殺そうと、何でもありです。
行動の基準は、個体の生存と種の繁殖に有利かどうかだけです。
したがって、動物にとって善・悪があるとすれば、生き残るが善で、息絶えるが悪です。
一方で、人間はそうではありません。
騙したらいけない、弱ってる人間に付け込んではいけない、人のものを盗んだらいけない、むやみに生き物を殺してはならない、それは悪だといいます。
この違いが、わかりますでしょうか。
もっとも特徴的なのは、
人間は、「自分以外も自分と同じ一生物であり、自分と同じように他の生物も生きている」という認識がある
ことです。
それに対して動物は、そもそも自や他という認識がありません。
厳密にはありますが、彼らを動かしているのはあくまで本能です。
つまり、たとえ利他的な行動があったとしても、自分にとっての利益を優先したとしても、それはDNAに組み込まれたプログラムに従っただけです。
それに加え、人間には他者の感情を感じ取る能力があります。
人が苦しめば自分も苦しく、人が悲しめば自分も悲しい。
人が喜べば、自分も嬉しい。
といった具合です。
これは人間の脳が発達しているからこその反応であり、共感能力(エンパシー)と呼ばれます。
これが、道徳観の元になっているわけです。
善・悪の基準の範囲とは何か
ただ、そもそも共感能力がなぜ人間に備わっているかと言えば、それが人間の種としての生存戦略でもあるから、でもあります。
実際、動物の中にも他の個体と協力し合い、命を懸けてお互いを守り合う種はいます。
ですから、広い意味での本能といえます。
しかし人間の善と悪の基準は、それだけでは定まりません。
たとえば動物的基準であれば、家族の一員を攻撃する人は、どんな理由があれども悪である、ということになります。
実際は、そうとは限りません。
自分たちの方が否があれば、自分たちを悪だと考えるのが合理的です。
仮に、自分の家族の方が誰かを先に傷つけたのであれば、仕返しをされるのは仕方のないことです。
動物にとっては、そんなことは関係ありません。
自分たちに危害を加えるのは、いかなる理由があろうと悪になります。
ここが、人間と動物が決定的に分類されるところです。
人間は、さらに広い範囲で判断するのです。
つまり、自分たちの仲間内の立場からだけでなく、たとえ敵対する相手であっても、客観性を持って、何が善で、そして悪なのかを考えます。
しかし、その範囲には当然、個人差があります。
客観性を重んじる人もいれば、ほぼ独断と偏見で判断をする人もいます。
だからこそ、個々人の善悪の基準がバラバラになるのです。
善・悪の範囲と心の余裕
また、人間というのは感情的になると、冷静な判断ができなくなります。
つまり、善と悪の基準が、より動物的になります。
そのため、普段から心に余裕がない人は、ついつい自分を贔屓目で見すぎて、善と悪の基準が狭い範囲に限定されがちになります。
狭い範囲で限定されるというのは、物事を表面上でしか捉えなくなる、ということでもあります。
たとえば、社会には秩序を守るための法律だけではなく、従うのが普通であると認識されている常識という概念があります。
この常識という概念に、過度に執着します。
しかし常識というのは、それこそ社会全般の常識もあれば、個人の環境内における常識もあります。
そもそも、社会全般の常識であっても、国や文化、時代が変われば、常識ではなくなります。
にも関わらず、それを全部一括りにまとめて、まるで絶対に守らなければいけない前提であるかのように考えてしまうのです。
そして当然ながら、この執着心が強い人ほど、人間関係でストレスを溜めるし、トラブルも発生しやすくなりやすくなります。
善・悪の範囲が広い人の特徴
善と悪の範囲が広い人からしたら、狭い人がおかしいことは明確に認識できるので、「間違っている」「明らかに良くない」と思うのは事実です。
しかしながら、本当に善と悪の範囲が広い人であれば、明らかに狭い人に対しても寛容になれます。
なぜなら、
「自分も全部が見えているわけではない」
「自分も一歩間違ったらああなってしまったかもしれない、だから無理もない」
「自分より範囲の広い人もいれば、狭い人もいる。それは誰にとってもそうだ」
という考え方をするからです。
善・悪の範囲が広いというのは、想像力の範囲も広いということです。
そのため、より相手の立場に立って考え、その人生の背景まで想像するだけの余裕があります。
つまり、いちいち腹を立ててしまうこと自体が、実は自分も狭い範囲内にいる、という事実の裏返しでもあるのです。
もちろん、ある程度は腹が立つのは仕方ないのですが、自分を見失ったり、生活に支障をきたすレベルだと、それはたいへん生きづらくなってしまいます。
ぜひとも、善・悪の範囲を広げるという視点を持って、意識して日々を過ごしてみてください。
