英会話講師になれたけど、その後が地獄だった話
前回の記事で、私が英会話講師を目指し、その切符を手に入れた所までを、
お話しさせていただきました。
前回の記事はこちら↓↓
▶︎「TOEICって何?」だった私が英語で仕事をするようになるまで
今日は、その続きになります。
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某英会話スクールに「非常勤講師」として転職した時、自分にとってこの職種は初めてのチャレンジだったので、勝手なイメージで頭の中がいっぱいでした。
それまでは、程良く男女が同じ割合の職場が多く、事務系の仕事しか経験したことがなかったんです。
英会話スクールなんて、きっと「女の園」で、新人イジメがあるに違いない。ドロドロな世界でうまくやっていけるんだろうか...(過剰な妄想(笑))。
そんな、不安6割&期待4割の中で、新人研修が始まりました。
約3週間、レッスンの種類や使うテキストの把握、プランの作り方、予習、準備、フィードバックの後の振り返り。。
目にするもののほとんどが「初めて」の衝撃。英語を使っているのにこの言語は何⁈という、時々起こる謎の混乱。
来る日も来る日も、座学、レッスンプラン作成、デモレッスン。
トレーナーから毎日キツい(的確な)アドバイスとダメ出し。
研修で一緒だった仲間はみんな私より年下で経歴も華やか。帰国子女や海外で働いていた人、英文科大学院卒の人。
そんな人たちの中で、つい最近まで専業主婦やってました〜な私が敵うはずがありません。年齢的にも記憶力や瞬発力、全てにおいて勝ち目がない。
だから当然、私はトレーナーのお荷物で、結構辛辣なことも言われました。
最初は気のせいだと思っていましたが、「テキストを見せている時にあなたの髪が邪魔で内容が入って来ない。結ぶか切ったら?」と言われた時は、あ、完全に私のこと嫌いなんだなと、やっと察し...。
その時はちょっとやさぐれましたが(笑)、何とか皆と一緒に研修を終えることができました。
ところが、これから先がもう地獄で。
配属先が決まり、初めてあいさつに行った日のこと。
私のスクールは当時、ネイティブ講師3人、日本人講師5人、マネージャーとサブマネージャーが1人ずつの合計10人体制。私は、結婚で辞める日本人講師の後任でした。
引き継ぎの時間がもうあまりなくて、
その先生の担当するクラスを毎日見学し、毎日レッスンプランを作り、既存の教材のどれをいつどのタイミングで使うかなど、とにかく教材研究に明け暮れる日々。でも、引き継ぐクラスが多すぎて、どのクラスに何を使えばいいのか途中でごちゃごちゃになり、間違ったアプローチをして後で先輩達に怒られる。

同時期には、プライベートでも大きな変化がありました。
専門学校を卒業する数ヶ月前に私は子供たち2人を連れて離婚していて、
「英語で就職したい」
という夢と、
「この仕事がうまくいかなかったらまたイチから探さなきゃいけない。もう後がない」
という現実を考えたら、
「絶対にここで頑張る」
しか選択肢がなかったのです。
なのに、いつまで経ってもうまくできない自分が本当に情けなくて嫌でした。
スクールが終わるのが21時で、先輩達が「やっと終わったね〜」と談笑する中、ひたすら家で予習するためのテキストを大量にコピーし、持ち帰って家事や子供達のことを済ませた後、明日のレッスンプランを作り、一通り流れを確認して、寝るのが深夜3時。深夜というよりもう明け方です。新聞配達のバイクの音を聞いた日もありました。
その時にはもう、「辛い」という感情さえ何なのか分からなくなっていたのです。
家では待ったなしの家事、私がやらないと誰がやる?の状態。
子供達を送り出して、昼の出勤まで仮眠を取るといっても1時間も寝られません。
あの時の私は極度の睡眠不足とストレスで、徐々に疲弊し、おかしくなって行きました。
レッスンルームで生徒さんといる間は本当に楽しい。彼らはレッスンの「正解」を知りません。だから、新人の先生だしまだ慣れてないんだよね、みたいな温かい目で見て下さいます。
でも、先輩やマネージャーにガラス越しに見られているから、後でまた何か言われるんだろうなぁ...と思ったら怖すぎて(笑)
もちろん、私やスクールのためにしてくれていたんですが、その時の私は、自分を追い詰めることで早く仕事を覚え、早く貢献したいとしか考えられていませんでした。
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ある日、仕事を終え、いつものように
コピーを抱えて車へ。
スクールがあるビルの月極駐車場を契約していた私は、屋上にある自分の車に乗り込み、暫くボーっとしていました。
いつも、帰る時はもうすっかり夜で、時々屋上からの「夜景」を眺めながら、
「よし!明日も頑張ろう」と元気をもらっていたこともあって、ここはお気に入りの場所だったんです。
ただ、その日は、下の階へ続くゆるやかな「傾斜路」に差しかかった時、自分の車がふわっと浮いて、夜景が視界いっぱいに広がって見えた瞬間があったんです。
その時
このままアクセルベタ踏みしたらどうなるかな
という考えが頭に浮かんでしまったんです。

多分、1秒もなかったと思います。
でも、その時、ほぼ同時に
「子供たちはどうするの?!」
自分の声が頭に響いて来て。
......反射的にブレーキを踏んでいました。
子供はその頃小学5年生と2年生。
自分だけ消えるわけにはいかない。
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その出来事があって、多分私はかなり、レベルアップしました。
それから数日後、本社で新人研修があり、デモレッスンを中心に各校の新人さん達と交流するチャンスがありました。
そこでたまたまペアになった「数ヶ月だけ」先輩の女性に、今の悩みを打ち明けたんです。
彼女は、悲痛な表情の私とは対照的に、穏やかに微笑みながら、慣れた手つきでフラッシュカードを次々とめくり、私を生徒に見立てたままさらりと言いました。
「今何ヶ月目ですか?2ヶ月?
じゃあ、あと1ヶ月もしたらラクラクですよ!」
数ヶ月しか違わないのに、彼女にはもう完全に「先生」の佇まいがありました。
私はきっと、羨望の目で見ていたと思います。

その一言で、雷に撃たれたみたいになってしまって...。
「そうだったのか...!!」
という気持ちと
「そうなの?本当に?!」
という気持ち。
だけど、答えは1ヶ月後に出ました。
本当に、3ヶ月経ったら信じられない
くらい楽になったんです。
未経験なら、定着するまでにはだいたい3ヶ月は必要だったこと、それからレッスンの区切りが3ヶ月単位だったことから来ていたのではないかと。
とにかく、3ヶ月すぎてからはスッと頭に入って来るようになり、やっとこのスクールのやり方に自分自身が完全に慣れたんだということを実感しました。
英会話スクールの講師というのは、「教育に携わる仕事」だと思っていましたが、同じくらい「サービス業」的なこともします。
ただ英語教えてればいい、ではないんです。
幸いなことに、私はサービス業に向いているらしく、生徒さんと「素」で仲良くさせていただいていました。
受験や英検に合格した生徒が
「先生!合格したよ!」
と報告しに来てくれた時
会社の昇進の条件に「TOEIC600点以上」があり、今まで避けて来た英語にちゃんと向き合って自分の力で600を取れた社会人の方の笑顔を見た時
ベビーの頃から通っていた一歳半の女の子が、初めて「センテンス」で英語を喋ったんです!と嬉しそうに報告してくれたママさんの涙を見た時
本当に、本当にこの仕事をやっていて良かった!と心から思えます。
これからもずっと英語を教え続け、学び続けたい。
夢の仕事が今では「天職」だと思える。
これは本当に幸せなことです。
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